歩き続けるもの

「ツカルジ!」


 力無く倒れたツカルジを抱きかかえる。あれほど機敏に動いていたというのに、あれほど力強く槍を操っていたというのに、私の腕に乗る彼は枯れ木のような重さしか感じなかった。


 もうすぐ、ツカルジの命が尽きる。私の頭の中の冷静なところが、残酷な現実を突きつけている。何年経っても、何年生きてきても、この瞬間だけは慣れそうにない。大切なものを喪失してしまう恐怖に、目から涙が溢れて落ちた。 


「なに、泣いて、いやがる」


 掠れきったツカルジの声に心臓が飛び跳ねる。あんなに爛々と輝いていた彼の瞳には光が殆ど消え失せていたが、仰向けになったまま動かなくなっているダケラケへと視線を向けている。


「ダケラケ、は、死んだか?」


「うん、多分」


 ダケラケはぴくりとも動かないし、呼吸の声も聞こえない。完全に生命の活動を停止したようだった。私の言葉に安心したのか、ツカルジの身体からさらに力が抜けていく。


「そうか……よかっ、た」


 一呼吸ごとに、ツカルジの命が無くなっていくようだった。これ以上、彼の身体を軽くさせてはいけない。ツカルジの肩を力強く握りしめながら、声を振り絞る。


「だから、生きないと。これから生きていかないといけないんだから、生きて、生きてよ、ツカルジ……!」


 涙はさっきから流れ続けて止まることはない。祈るように、ツカルジの顔を覗き込む。眼の光は殆どないうえに、私ではなく虚空を見つめている。それでも彼は死が間近にあるとは思えないほどに、穏やかな顔を浮かべていた。


「ずっと、ずっと考えて、いた。お前が、名乗るべき、名前、を」


 ツカルジは息も絶え絶えで、これ以上何かを話している場合ではないのかもしれない。それでも、大地を握りしめる彼の右手を見ていると、彼の言葉を止めることができなかった。


「エドナ。『歩き続けるもの』という意味だ。俺の、死んだ妹の名前でも、ある」


 エドナ。ツカルジがつけてくれた、私の、名前。エドナという名前を刻み込むように、何回も胸の中で反芻していく。私が私でいられる印をつけてくれたツカルジを、死なせるわけにはいかない。流れ出る血液を少しでも止めようと空いた手で押さえても、私の手の隙間から溢れ出るだけだった。段々と勢いがなくなっていく彼の血の勢いに、身体の内側が潰れてしまいそうだ。いくら長い時間を生きていても、人が死ぬという事実が受け入れられなかった。


 なぜ、私は死なないのだろうか。


 なぜ、私の周りの人はみんな死んでいくのだろうか。


 長い長い時を、一人で過ごさなければならないのだろうか。ツカルジの肩を握りながら、私は涙を流すことしかできなかった。


「泣くなよ、エドナ。お前は、これからも、生き続けろ。お前が、俺を忘れなければ、俺は、お前の、中で生き続け、られるんだから、な」


 ツカルジの手が、彼の肩を掴んでいた私の手を優しく撫でる。それは妹をあやす兄そのものの手つきだった。家族をダケラケに殺されるまでは、彼はきっと優しい兄だったのだろう。そんな彼が、冷たい大地で命を散らそうとしている。彼の手を握り締めながら、私は小さく頷く。それに満足したのか、ツカルジは口角を少しだけ上げた。


「あぁ、とても、とても眠いんだ。寝たら、絶対に、起きられないことも、わかってる。それでも、眠いんだ。いいだろ、寝かせて、くれよ、エドナ」


 ツカルジの息がどんどん浅くなっていく。もう彼の目は何も写していないだろう。それでも、殆ど息遣いと変わらない大きさの声で、細く小さく呟く。


「じゃあ、『またな』。これからも、歩き、続けろ。もう一人の、我が、妹よ」


 それが彼の最期の言葉だった。大きく息を吐き出し、彼の全身から命ごと力が抜ける。事切れたツカルジの表情は、どこか安心したような笑顔だった。


「忘れない、忘れないよ。ずっと、一緒だよ、ツカルジ」


 先程までツカルジだったものをゆっくりと地面に横たわらせる。彼の肉体はじきに大地に還り、全てと一つになるだろう。ダケラケも、ダケラケに食い荒らされたあの男も同じだ。生きとし生けるもの、善いもの悪いもの全て区別することなく何もかも大地へと戻っていく。その大地から生み出されたものの上で、私たちは生きていくのだ。


 涙を拭って立ち上がる。道を歩いていく限り、私はツカルジ達と共にいるのだ。歩き続けよう。私の、エドナという名前のように。


 すっかり空に輝いていた二つの月に向かって歩き出す。後ろは振り向かない。勇敢で力強く、そして優しかった彼は、私の中で生き続けるのだから。

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