ぶつかりあう命と命
どれだけ歩いても足元は雪が広がっているし、微かに見える土の上には草木が生え、その周りは木々が乱雑に立っている。何歩か進んでも同じ光景が続いていく為に、時折頭がおかしくなりそうになる。
何しろダケラケの手がかりなど何一つないのだ。闇雲に歩いて回るしかない。
「……なぜお前も付いてくる」
日中だというのに、珍しくツカルジが口を開いた。苛立ちを隠そうともしない声に、少しだけ腹が立った。
「そんなの私の勝手じゃないか。キミが好き勝手に歩いてるように、私も好き勝手に君の後ろを歩くことにしたのさ」
私の言葉に応えることなく、ツカルジは歩みを続けていく。いつも彼は後ろを振り向くことはない。日が出ているうちはダケラケを探し続けて、夜が来れば休む。それの繰り返しだ。まるで全く同じ一日一日が繰り返されていくような感覚すら覚えるが、それこそがツカルジの生きる道なのだろう。今まで生きてきた道程をかなぐり捨てて、ダケラケを殺すためだけに全てを捧げる。狂気を超えるほどの執着心ではあるが、彼の生命力に溢れた目はとても美しいものだった。
幾度も繰り返したある日、見飽きることに飽きた真っ白な大地に、何やら赤いものが視界に入る。まさかと思った瞬間には、私の足は動き出していた。
珍しく風も雪も止んでいたこともあって、足元の雪は溶けて滑りやすくなっている。何度も転びそうになりながらもなんとか辿り着いた先には、先ほどまで同胞の男だったものがあった。まず胴体が骨にこびりついていた肉を除いて殆ど存在していない。内臓と肉を喰い尽くされた見るも無惨な姿になってしまった男の残された部位は顎と両腕、そして両足ぐらいなものだ。ぶち撒けられた血液の温かさにより男の周りの雪は解けて無くなっている。雪が降っていない今だからこそ、この死体がつい先程作られたことを証明していた。
「ダケラケだ」
ツカルジの声は隠し切れないほどの敵意と殺意で塗り潰されていた。男の旅の終わりの瞬間が近づいてくるのをひしひしと感じる。
「間違いない、このすぐ近くにダケラケがいる」
音もなく槍を構えたツカルジは臨戦態勢で周りを見廻す。私も身構えながら首を細かく振りながら、何か違和感がないか探し回ったが何も見つからない。同胞をあのような肉塊に変えてしまうダケラケという獣の凶暴性と残虐性をあのように知ってしまうと、丸腰でツカルジに付いていたことを後悔する。
死体を弔ってやりたかったが、そんな余裕はない。せめて、美しい草木の下に包まれるように。それだけを願いながら身を屈め、息を潜めたままゆっくりと移動しようと足に力を入れた瞬間、遠くの木と木の間に大きな影が動くのが見えた。それはツカルジも同じようで、槍を持つ手に力を込めながら、私をほんの一瞬睨みつける。
「お前は手を出すな」
何か助けになれば。そう思っていた私を牽制するような言葉を言い残し、ツカルジは身を屈めたまま影が向かった方向へと足を進める。
「これは俺の戦いだ」
まるで蛇のようだ。これまで私と同じように歩いていた存在とは思えないほどしなやかでいて力強い。それでいて微塵の音も感じさせないツカルジは、あっという間に小さくなっていく。
「女になど、他人になど助けられてたまるか……!」
吐き捨てられるように放たれたその言葉が身体を貫くよりも早く、まるで空に響く轟音のような獣の咆哮が私の鼓膜を震わせる。自分自身が傷つくことなどどうでもいい。ツカルジのことが気掛かりだ。咆哮のする先へ、できるだけ音を立てないように足を進めていった。
「がぁあああああぁぁッ‼︎」
獣の咆哮とはまた違う、聴くものの根源的な恐怖を揺り動かすような、魂からの絶叫。それがツカルジから放たれたものであることに気づくまではそう遅くなかった。草むらに伏せながら、二つの声がする方向へと目を向ける。
ダケラケの姿は、まさしく異形だった。自分が二つ縦に並んでもなお高いほどの、今まで見た事のないほどの巨体。まるで大きな岩に顔と手足が付いているような印象を覚える。その顔には小さな目と鼻が申し訳程度に備え付けてあるが、その下にある口は信じられないほどに大きく、女の私ぐらいなら一口で飲み込んでしまいそうだ。先程の死体のような惨状など、最も容易く作り上げてしまうだろう。
こんな、こんな怪物にツカルジは立ち向かっていた。振り回す両腕を身を屈めたり飛び跳ねたりして躱し、時折槍の穂先でその肉体を切り裂く。石や動物の牙で石の塊を剥いで作られた刃は毛皮を切り裂くが、脂肪に阻まれているのかなかなか有効打を与えられないようだ。それでもダケラケの身体中からは少しずつ血液が吹き出し、真っ白な大地をほんの少しだけ赤黒くしていく。
耳を塞ぎたくなるような大声と夥しい量の涎を撒き散らすダケラケの両腕が次第に早くなっていく。それと比例するように飛び散る血液の量も増えていく様を見て、ダケラケも命を燃やしていることに気付く。
どれほどの時間が経ったのだろうか。いつしか空を覆う雲が厚くなり、微かに雪がちらつき始めていた。ツカルジの細い身体のどこにそんな力が隠されていたのか。動きはいまだに衰えることなく、ダケラケを翻弄し続けている。その眼は微塵も油断がなく、ただ怨敵を殺すために徹底的に槍を振り続けていく。ダケラケは初めほど活発に動くことはできていない。最早闇雲に身体を動かし続けることしかできない。逃げ出そうとしても、それを察知したツカルジに先回りをされる。このまま斃されるのも、時間の問題というところだ。
夜になる前に全てを終わらせないと、流石に逃げられてしまうだろう。それを考えないツカルジではない。槍を力強く握り、大地に足の裏を踏みしめるが、ここで私とツカルジの時間が凍りつく。雪解け水とダケラケをの血によってぬかるんだ大地に、ツカルジの足が取られたのだ。長い長い戦いの果てに初めて生まれた、彼の隙。ダケラケがそれを見逃すか、その隙に逃げ出してくれればと祈る暇もなかった。千載一遇のチャンスと獣は思ったのかどうかなどわからなかったが、ダケラケの鋭い爪がツカルジの脇腹を深く切り裂いた。
「ツカルジ‼︎」
崩れ落ちるツカルジの命が急速に流れ出ていく。このままでは彼が死んでしまう。考えるより先に身体は動いていた。一気に立ち上がり、ダケラケに向かって一直線に走り出す。策も何もない、ただの無謀な行為。このまま逃げてくれれば御の字で、こちらに向かってさえくれればそれでいいのだ。
「わぁぁぁぁぁ!」
自分でもこんな声が出るとは思っていなかった。お腹の底からの叫びと、闇雲に両手を動かす動きにダケラケの視線がこちらへと向く。無機質な瞳がツカルジの方を見る私の顔を映し出し、歪んで見せた。
「なに、そっちを見て、やがる……!」
油断させようとしたつもりはなかったが、ツカルジにとっては絶好のチャンスになったのだろう。目を見開き、槍の穂先を私を見ていたダケラケの左目に突き刺した。衝撃で槍が途中でへし折れ、穂先はダケラケの目に残っている。耳を突き破るような咆哮を上げて、一歩後ろに下がるダケラケに向かってツカルジは体制を立て直し、血を吐きながら叫んだ。
「俺に! 殺され、ろ!」
折れた槍でも、最早ツカルジにとっては何でもよかった。半分程度の長さになってしまった槍の柄をもう片方の眼球に突き刺すと、ダケラケはゆっくりと倒れ動かなくなった。
だがそれは、ツカルジの命を燃やし尽くす一撃だった。杖にする槍も、残っていない。手を着くこともせず、地面に倒れ込むツカルジに向かって私は手を伸ばすことしかできなかった。
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