第6話

 彼ら二人は、太陽が姿を消そうとする、夕闇の中を歩いていた。

 向かう先は、夜の闇に怯える弱者の元。その時、ルークが口を開いた。

「……彼の言う事は真理なんだよ。僕ら『リヒティローダー』がやっている事は、弱い者いじめだ。彼らを罰するなら同じステージの者。つまり人間であることが好ましい」

「……ヒーローの様な人間はいません」


 少女は自身の足元を見つめながら応えた。小さな小石が足先に転がる。

「そうなんだよ。僕はそれが悲しい。憧れてくれる人間も、憧れ以上の感情を持ってくれる事は無い。ヒーローになろうと言う人間はいないんだ」

「……ヴィランになりたそうな人間はたくさんいます」

「ははっ、本当に残念だけど笑える話だ」

 二人は、夕闇に黄昏ながら会話を紡ぐ。リヒティローダーは泥をかぶる。

 それでもなお、前を向くのが彼らの在り方だった。


「……さて、着いたな。弱き者の街に」

「そうですね」

 二人の足はオールドナーク北部リンドに辿り着く。そこはハンナムの隣町だ。先ほどの男たちの被害に遭ったもの達が住まう町。

 二人はそこで金貨を配る事にした。この金貨はヒーローが持つべきものでは無い。


「みなさーん。こちらに並んでくださーい!」

 マオの言葉に促され、ぼろきれを纏う人々が並ぶ。

 ドラム缶に適当に詰められた木材が、バチバチと音を鳴らしながら、彼らを照らす。

 老若男女関係なく、人々は疲れ切っていた。弱り切っていたのだ。

 ヒーロー世紀に入り、軍事産業は終わりを迎えた。

 金貨一枚ほどの利益も、生み出せない存在になった。

 そうなると、軍事力の大きな国家ほど大きく傾く事となる。

 そして最も死に目を見たのは『ベイリカ合衆国』だった。

 軍事産業凍結による負債を抱えたその国は、自国のみでは立て直すことが不可能になる。そこで国は州ごとに分裂を始め、自治地域と名を改める。そこで大きな助けとなったのがヒーローの支援だった。

 彼らの指示、そして監視によって、自治組織は互いに手を取り、貿易、交流を続け、国際社会に存在する一つのコミュニティとして確立された。

 しかし、そこで大きな問題が起きた。主な生産物を小麦や畜産としていた自治組織は、貿易等で立て直すことに成功していたが、観光産業に重きを置いていた都市は、自身で立て直すことが不可能になり、また悪の芽の吹き溜まりとしての認識が強く、人間の助けは難しかった。

 世界から見放された自治組織は、政治形態を失い、無法地帯と化した。

 そのような地域は、今の世界に多く存在している。

 マオは長蛇の列を眺めながら思う。この列に並べば、二枚の金貨を貰うことが出来る。それは施しであり、お情けだ。それでも、無くては生きていけない。

 その金貨で服をそろえ、腹を満たし、職を探さなくてはならない。

 ここではないどこかに逃げなくては、黒塗りのあの男たちに再び搾取されてしまう。

「……終わりが見えない」

 マオは呟く。ここにはマオが探す正義など、どこにも無いように見えた。だれもが一点を見つめ正義と名付ける事は出来ない。その事に虚しさを覚える。その時だった。

「ねぇねぇ、お姉ちゃんもヒーローなの?」

 幼い少女の声。六歳ぐらいの人間の子。それは無邪気な質問だった。

「……そうだよ。ヒーローだよ」

 マオは、少しだけ気恥ずかしそうに応える。

 少女のキラキラとした瞳に射抜かれ、無意識に彼女は笑みを引き出されていた。

「そうなんだー!でも私もヒーローなんだよ!ビシーって倒すの!」

 少女はマオの言葉に嬉しそうに破顔し、手に持ったウサギの人形を動かしてみせた。

 ヒーローに憧れる人間の少女。

「そっか、だったら仲間だね」「――うん!仲間だよ!」

 マオは優しい笑みを浮かべる。少女はマオの言葉に嬉しそうに反応した。

 マオには妹がいた。ちょうど彼女ぐらいの歳の小さな妹。――生きていればもう少し大きくなっていた事だろう。彼女ほどの歳の少女を見ると、否が応でも思い出した。

 マオは幼い頃に、額に一文字の傷を持つ男によって、母と妹を亡くした。それからだろう。

 父と娘の距離が開くようになってしまったのは……。父が本心を見せなくなったのは。

 マオは、金貨を貰う列を眺める。

 煤けた頬を涙で濡らす老婆は、二枚の金貨を固く握りしめていた。あれだけあれば贅沢さえしなければ、ひと月は持つことだろう。

 この町では生きていく事も難しい。

 マオは少女に視線を向ける。少女はその視線に対して、不思議そうに首を傾げる。

 この幼い少女も生きていける保証はない。その事にマオは苦虫を噛んだ。

 その時だった。その場に悲鳴が響く。

「――なにっ!?」

 マオは、咄嗟に声のした方向に視線を向ける。するとそこには、先ほどの老婆が倒れこむ姿が。その隣、目を血走らせた妙齢の女性が走り抜ける。身に纏う服装はぼろぼろだ。

 手には血塗れのナイフ。そして、老婆の手から奪った二枚の金貨。

「――マオくん!」

 そこまでマオが理解した時。ルークは一言、列の向こうから彼女の名を呼んだ。

 その言葉の意味を、マオは迅速に理解する。

「わかってる!私が止める!」

 人間を止めることなど容易い。何一つ、気負うことは無い。

 ただひとつマオが感じたのは、言いようのない悲しみだった。

『弱い人間が良い人間とは限らない』

 ルークの言葉が、証明されたようなものだったからだ。


「どいてっ!」

 こちら側に走ってくるその女性は、牙をむき出しにして叫ぶ。ヒーローである存在にまるで恐れを感じていないようにも思われた。しかし、それは強がりでしかない。

 震えるナイフを両手で無理矢理にこちらに向けている。それでも彼女は他人を傷つけ自身の欲望を満たそうとした。

 マオが手を抜く理由にはならない。


 その時だった。マオの鼓膜を揺らす声。

「――お母さん!」

 それは背後に位置する少女の声。それは間違いなく『お母さん』と口にした。

「――っ!?」

 その言葉にひどく動揺するマオ。まさか、この女性がこの子の母親なのか?

 悪に手を染めた女性が、マオとすれ違う刹那。マオの身体の一切が、動きを止めた。

 母親の瞳には娘を思う気持ちと、罪悪感以外の何物も存在していなかった。出来る事ならナイフすら捨ててしまいたい。とそう願っているようだった。

「ごめんなさいっ」

 涙を零しながら、彼女はそう言葉にし、マオとすれ違いざまに、少女の身体を抱き上げた。

 その言葉にマオは何もできなかった。

 彼女は弱かった。やり方などいくつもあった。人を傷つけ、誰かを救う。

 彼女は、最悪な方法を選んだのだ。

 少女の手から、ウサギの人形が零れ落ちた。


「……君はまだ幼いな」

 その時、マオの耳元に触れる優しい声。ルークはマオの隣を抜けると、その母親に追いつき手刀を一太刀。女性はそのまま崩れ落ちる。

 ヒーローの手によって一人の悪が止められた。

 身動きできなかったマオと違い、彼はこの数刹那の内に、老婆の応急処置まで済ませてしまっていた。迅速であり、そして彼は慣れていた。


「お母さん!お母さん!」

 少女は母を呼ぶ。こと切れた様に倒れた母を心配している。

 少女には気絶の意味が分からない。突然動かなくなったことに動揺を隠せない。

 その時だった。周りから聞こえてくる声の波。

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