第14話 ヤンキー殿下と騎士と薔薇
(わたくしの、ファーストキ――)
「――すばらしいよ! ルディウス、マルティナ!」
天を割るのではないかというほど爽やかに突き抜ける声に弾かれ、マルティナはハッと驚いて目を開いた。
誰かと問うまでもない。声の主は、先程掲示板の前に置いてきたはずのディヴァンだった。
(きゃぁぁぁっ! み、見られてませんわよねっ?)
マルティナは、もしや今のキス待ち顔を見られたのではないかと焦り、真っ赤に火照った顔を両手の平で覆い隠して俯いた。
だが、お相手のルディウスといえば、何事もなかったかのようにディヴァンを「あぁん?」と睨んでいる。
もしや、キスをすると思ったのは自分だけだったのだろうかと、マルティナは猛烈に恥ずかしくなったが、今は事実を確かめようがない。
「ルディウス、マルティナ。心からの感謝と尊敬を君たちに捧ぐよ」
ヤキモキしていたマルティナをよそに、ディヴァンは颯爽とした歩調でこちらに近づくと、美しい動作で片膝を折った。右手は胸に当て、視線はルディウスとマルティナに。
それは、アルズライト王国の騎士が主君に誓いを立てる時の動作に他ならなかった。
「てめぇ、何の真似だよ?」
「騎士の誓いさ」
「んなこたぁ、見りゃ分かる」
「僕は、自分の未熟さに気づかせてくれて、さらに生徒会長の職を全うしろと、暗に鼓舞してくれた君たちに感謝をしている。僕のために、汚れ役まで請け負うなんて……。君たちこそ、貴族と王族の鑑だ!」
ディヴァンは、キラリと白い歯を見せて爽やかに笑う。
その圧倒的に明るいオーラに当てられそうになりながら、マルティナは彼の人生を懸けた宣誓を聞いた。
「僕、生徒会長兼、アルズライト王国内務卿コルバティール伯爵の嫡男ディヴァン・フォン・コルバティールは、ルディウス殿下とマルティナ嬢の剣となり盾となることを誓うよ」
「まぁ! 噂をすれば、騎士……ですの?」
ディヴァンの長い肩書きにもすっかり耳が慣れてしまい、マルティナは素直に驚き喜んでいた。
まさか、パーシバル派であった生徒会長がルディウス派に移籍するとは思ってもみなかったし、何より自分以外の人間が、ルディウスの器の大きさに気がついてくれたことが嬉しかった。
今日は悪役になってしまったルディウスだが、これからは、より多くの人が彼の真っすぐな心根を知ってくれるのではないかと胸が躍る。
しかし、ディヴァンが次に口にした言葉は、
「二人は素晴らしい精神を持っているが、少々暴走しがちなようだからね。僕が誠心誠意サポートさせてもらうよ!」
というものであり、何だか手放しで喜べない気分になってしまった。
それは、騎士という名のお目付け役ではないだろうか?
マルティナは「う~ん」と小首を傾げていたが、一方のルディウスは細かいことまでは気にしていないらしい。
「なら、死ぬ気でこいつを守れ。こいつに何かあったら、一族釘バットの刑じゃ済まさねぇからな」
「心得たよ。未来の王」
ルディウスはマルティナを顎で指しながら、さっそく指令をディヴァンに下した。「くぎばっとの刑」が何かは聞けない雰囲気だが、きっと恐ろしい刑罰なのだろう。だがそれよりも、マルティナはルディウスが自分をとても大切に思ってくれていることが嬉しくてたまらなかった。
「大丈夫ですわよ、殿下! わたくし、どんな悪漢も魔術で撃退しますから! それくらいでなければ、殿下の婚約者は務まりませんもの」
「うるせぇ。てめぇは無茶したら殺す。黙ってキス顔の練習でもしとけ!」
「な、な、なにを言うんですの‼」
先程の顔をばっちりキス顔として認識されていたことが恥ずかしく、マルティナは飛び上がって慌てふためいた。
もしかして、変な顔をしていたのだろうか? どんな? いったいどんな?
そしてディヴァンまで、「あぁ。あれはキスを待つ顔だったのか」と苦笑しているではないか。
もう、マルティナのライフはゼロだ。
「でっ、殿下のバカ野郎ですわーーっ!」
(座学が満点でも、乙女心はまるで落第点ですわっ!)
恥ずかしくて倒れそうなマルティナは、全力で走り去って行ったのだった。
***
逃げていくマルティナに「誰がバカ野郎だ、このアマ!」と暴言を吐くルディウス。
だが、あの時邪魔さえ入らなければ、自分は本当に彼女にキスをしていたかもしれないと考えると、全身がむず痒く悶々としてしまうのだった。
(あいつに嫌われて、遠ざけるつもりだったのに。俺はどうにも堪え性がねぇ。その上、受け入れる度胸も足りねぇ……)
マルティナの手は、とても華奢ですべすべとしていた。
近づくと、花の香油の香りがした。
まつ毛がふんわりと長く、バラ色の頬は触れたくなるくらい美しかった。
そして、ぷっくりと厚い唇は――。
「だぁぁぁぁッ! 忘れろ、俺!」
甘い残像を振り払おうと絶叫すると、そばにいたディヴァンが驚いた様子で一歩跳び退く。
「ど、どうしたルディウス殿下。憑りついている悪魔が暴れ出しでもしたのか?」
「憑りつかれてねぇよ! カス! 帰れ!」
「どうどう。落ち着きたまえよ」
ギャンと吠えるルディウスをまるで馬のようになだめるディヴァン。
彼は、ルディウスが冷静になったと見えるタイミングで、ひとつ疑問を口にした。
「ルディウス殿下。あなたと座学勝負をして感じたことがある。……他の生徒たちは、カンニングや教員の買収を疑っていたが、僕はあなたが実力で満点を取ったと思っている」
「…………」
「あなたは、本当は誰よりも聡い。だがこれまでは、わざと出来ないと思われるように振舞っていたのではないか? 学問だけではない。剣術や魔術も、そう……、兄王子のパーシバル殿下を上回らぬように――」
褪せた赤色の長髪を束ねた後ろ姿が、脳裏に浮かぶ。
ずっと追い着きたかった兄の背中が小さく頼りなく見えた日のことを思い出し、ルディウスの胸に刃物でえぐられたように痛みが走る。
「……なわけねぇだろ。兄上なんて関係ねぇ。たまたまできただけだ。」
「そうだろうか。僕には、努力の積み重ねのように感じられたが」
ディヴァンは納得がいかない様子だったが、それ以上ルディウスを追及することはなかった。
(努力、か。……そのせいで、実の兄から殺したいほど憎まれる羽目になるなんて、笑っちまうよな)
ローズガーデンに強い風が吹き抜け、花びらをさらっていく。
ルディウスはふっと花びらを掴まえようと手を伸ばしたが、ソレはするりと指の間を抜けて行ってしまったのだった。
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