第13話 伯爵令嬢は高笑いする

 座学試験から3日後、魔術学院の座学棟にある掲示板に試験の結果が張り出された。


 総合成績 700点満点

『1位 ルディウス・フォン・アルズライト 700点』

『2位 マルティナ・リタ・ローゼン 689点』

『3位 ディヴァン・フォン・コルバティール 688点』


 その驚愕の結果に、誰もが驚かずにはいられなかった。

 マルティナとディヴァンの競り合いは、いつも通りだ。

 だがルディウスといえば、手抜きとカンニングで中間順位をうろついてばかりだったはずなのに、突然700点満点を叩き出すなど、誰が想像しただろうか。


「そんな……。僕がルディウスに負けた?」


 ディヴァンが、掲示板の前に立ち尽くす。血の気は引いて、顔は真っ青だ。


「あ、あり得ませんよ! きっとカンニングか、教員を買収したに違いありません!」

「生徒会長があんな不良王子に負けるわけがないです!」


 ディヴァンと共に結果を見に来ていた生徒会役員たちが、口々にルディウスの不正を訴える。それは、彼らだけでなく全生徒が思うところであった。

 だが、ディヴァンは「いいや」と首を横に振った。


「彼以上の得点者がいないというのに、いったい誰の答案を覗き見ると言うんだ。それに、魔術学院の教員たちは誇り高い貴族だ。そのような汚職に手を染めるわけがない」

「だよなぁ! 生徒会長さんよぉ!」

「ですわ!」


 表情を暗くするディヴァンの前に肩で風を切って登場したのは、ルディウスとマルティナだった。ルディウスがオラオラと周囲の生徒を威嚇し、マルティナが「ごめんあそばせ」と澄ました態度で、木製の折り畳みの椅子を掲示板の真正面に広げる。そこに偉そうに腰を下ろしたのは、もちろんルディウスだ。


「よっこらしょうッ! 凹んだ生徒会長を見れるなんて、ここは絶景ポジだな!」

「くぅ……! まさか、君にこの僕、アルズライト王国内務卿コルバティール伯爵家嫡男ディヴァン・フォン・コルバティールが敗北するなんて……!」

「だから、なげぇよ!」

「いつもより短いぞ……!」


 そこは譲れないと言わんばかりのディヴァンを、ルディウスは悪役さながらに大きく笑い飛ばす。まるで悪の皇帝だ。

 ついでにマルティナは、隣で「おーほっほっ!」と高笑いに勤しんでいた。


「生徒会長。さぞ、驚かれたでしょう? うちの殿下は賢いんですのよ!」

「さすが、マルティナが勉強を見たというだけはある。まさか、君まで彼に負けているとは思わなかったが」

「殿下は国を背負って立つ御方ですから、当然ですわ!」

「俺はな、てめぇらみてぇな雑魚共とはここが違うんだわ。雑魚は黙って俺についてこりゃあいいんだよ! だろ、生徒会長ぉ。……違うか。元・生徒会長か!」


 ルディウスが「がーはっはっ!」と下品に笑うと、ディヴァンは悔しそうに唇を引き結び、俯く。

 その姿を見た他の生徒たちが、ルディウスとディヴァンの座学試験勝負の内容に気がつき始め、その場は大きくざわついた。もちろん、清廉な生徒会長ディヴァンを擁護する声と、悪魔のようなルディウスを卑下する声で、だ。


「ディヴァン様、生徒会長を辞めないでください!」

「あんな暴力王子に屈してはなりません!」

「悪役令嬢にも負けないで!」


 ディヴァンは「しかし、僕は男と男の勝負に負けて……」と歯切れ悪く答えるが、尚いっそう生徒たちの声は大きなり、「ディーバーンッ! ディーバーンッ!」という声援へと変化していく。

 最近のルディウスの不良っぷり、もしくは以前のだらしなさにうんざりしていた生徒たちの不満も合わさっているのか、完全にルディウスがアウェイな状況だ。

 ルディウス、そしてマルティナは、どんどん膨れ上がるディヴァンコールに圧倒され、むぐぐと悔しげに唇を噛む。


「チッ! うるせぇうるせぇ! 俺は、こいつが生徒会長をやろうがやらまいが、どうだっていいんだよっ! 勝手にやってりゃいいだろうがよぉッ!」

「殿下の仰る通りですわ! どうぞ、皆様、お好きなだけディヴァンを持ち上げていればいいのですわ!」


 まさしく、負け台詞といったところか。

 ルディウスは腹立たしそうに腰を上げ、マルティナは大慌てで折り畳み椅子を畳んで抱き上げ、そして二人揃って足早にその場から逃げ去って行った。


「不良王子と悪役令嬢が去ったぞ!」

「ディヴァン政権続投だー!」


 嵐のように去って行く二人の後ろ姿を見つめる生徒たちの歓声が響く。

 残されたディヴァンは、しばらくの間呆然と立ち尽くしてたのだが、生徒たちによる再びのディヴァンコールにハッと我に返った。


「あ……。えぇと、ありがとう! 皆の期待に応えられるよう、僕はいっそう邁進していく。これからも、よろしく頼む!」



 ***

「殿下……。これで、よかったんですの?」


 ローズガーデンにマルティナの声が響く。

 折り畳み椅子を胸に抱え、小走りでルディウスを追いかけるマルティナは、不満そうに形の良い眉を寄せていた。

 人生初の悪どい演技をしたため、なんだかどぅっと疲れた気分だが、それ以上にルディウスの心が心配だった。


 マルティナとルディウスは、先程多くの生徒たちの前でわざとディヴァンを乏しめ、反感を買って撤退して来たのだ。

 皆の悪意に晒され、悪役令嬢とまで罵られたマルティナは、正直想像以上に震える想いだった。というか、ずっと手は震えたままだ。


「ディヴァンが生徒会長を辞める方が、俺には都合が悪かった。一週間あいつを見てたが、アレは必要な人材だ」

「ディヴァンが生徒会長に相応しいとお思いになられたのでしたら、さっさと勝負を破棄したらよろしかったのですわ」


(婚約破棄は度々口にするくせに)


 ムッと唇を尖らせるマルティナだが、ルディウスにもディヴァンにもプライドがあることくらいは理解できる。しかも、面倒くさいプライドだ。

 素直にディヴァンを認めたくなかったルディウスは、座学試験で彼をコテンパンにのした後に、今度は自らのされてみせた。一勝一敗とも言えるが、どちらかと言えばこちらの方がダメージは大きい気がする。


「学院だけじゃねぇよ。将来、あいつは俺の国創りに役立つ。俺とは真逆の、聞こえの良い理想を掲げてと、平民に与え導き、貴族を先導する――。飴と鞭の飴。政治の旗印。民衆のヒーロー。……ま、そんなとこだ」


 振り返らずに淡々と話すルディウスは、目先の小さな利益よりも未来の大きな利益を見据えている。

 そこまで先のことを彼が考えていたとは驚きだが、そのような約束されない未来のために婚約者が嫌われてしまうなんて、マルティナは理解はできても納得はできなかった。


「だからといって、殿下が悪役にならなくても……!」

「国にも、嫌われ役がいた方がいい。みんな、そいつを倒そうと一致団結すんだろ? ……っつか、てめぇにまで悪役の真似事させちまった。てめぇがいたら心強いと思って、甘えちまった。すまねぇ。怖かったんじゃねぇか?」


(あ、あまえちまった、ですって……?)


「わたくしは、殿下と一緒ならば大丈夫ですわ。……寧ろ、一緒がいいですわ!」


 マルティナはポイと折り畳み椅子を投げ出すと、振り返ろうとしたルディウスの背中にギュッと抱き着いた。

 ルディウスは驚いて「お、おい!」と叫んで暴れるが、マルティナはおかまいなしだ。今は、猛烈に彼が愛おしくて仕方がない。そして、温かいその背に顔をうずめて深く息を吸うと、手の震えは自然と収まっていく。


「わたくしだけは、殿下がとてもお優しい方だと分かっておりますわ。貴方の背中はわたくしがお守りしますから、どうかご安心なさって」

「てめぇは俺の騎士かよ⁉」


 マルティナがそれも素敵かもと顔を上げると、ルディウスが首をひねってこちらを見つめていた。彼は今まで見たことがないくらい頬を真っ赤に染めていて、何か言いたげに口をパクパクとさせていた。


「てめぇは……くしゃで……ひだろ」


 ぼぞぼそと小声で照れくさそうに話すルディウスがじれったく、マルティナは「殿下、聞こえませんわ!」とぴしゃりと言い放つ。

 言い淀むなど、ルディウスらしくない。


 すると、ルディウスは胴に抱き着いていたマルティナの右手を無理矢理引き剝がしたかと思うと、その手を強く握って引き寄せた。互いの指が絡む握り方に、マルティナは驚いて瞳を大きく見開いてしまう。


「で、でん……」

「握り返せよ! 俺だけだと、恥ずかしいだろうが」


 ルディウスは、このまま放っておいたら羞恥心で失神してしまうのではないかと思うほど真っ赤になっていた。耳まで赤い。

 可愛い……などとは言ってはいけないのだろうなと思いつつ、マルティナは嬉しくなって、彼の指に自分の指を強く絡めた。


「殿下……」

「てめぇのためにも、正々堂々戦う。だから……」


 ルディウスのドスの効いた声が和らぎ、とろけるような甘い声調に変わる。それは、女たらしだった頃の彼の声に似ていたが、今はマルティナのためだけのものに違いなかった。

 エメラルド色の瞳に見つめられ、マルティナの鼓動は早くなる。

 ようやくこの恋心を受け入れてもらえるのかと、胸が高鳴って止まらない。

 彼の温度が近くなり、マルティナはドキドキしながらそっと目を閉じた。

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