第4章 タイマン相手は原作シナリオ
第15話 伯爵令嬢は数多の求愛を受ける
闇を閉じ込めたような黒い髪と眼をした青年は、ある決意を胸に武術訓練場で剣を振るっていた。
鋭く光る白刃の両刃剣はシュッシュッと空を斬り裂くが、青年の黒眼には仮想している相手が映っていた。
紅蓮色の長髪の王子――ルディウス・フォン・アルズライトの剣を弾き飛ばし、彼の喉元に剣先を突き付けるイメージがありありと浮かぶ。
「ククッ……。いいぞ! このハイスぺな身体なら、絶対に勝てる! ……クハハハハハッ!」
青年は武者震いで全身をクツクツと震わせながら、ルディウス打倒後の未来に想いを馳せ、耐え切れず笑い声を漏らす。周囲の引き気味な視線と距離感などは、まったく気にしない。
「待っててくれ、マルティナ! オレのヒロイン!」
彼の高らかな笑い声は、武術訓練場にしばらく響き渡っていたのだった。
***
「なんだか今日は、寒気がしますわ」
「大丈夫ですか、マルティナ様。馬術の授業で、お身体を冷やされたのでは?」
魔術学院の外廊下を早歩きするマルティナを、隣を歩くステラが心配そうに覗き込む。彼女は「次の授業は休まれては?」と提案したが、マルティナはふるふると首を横に振った。
「ほいほいとお休みしていては、殿下に笑われてしまいますわ! わたくし、
「……伯爵令嬢が目指すものではないのに。授業も男子ばかりじゃないですか」
ステラが渋い顔をする理由は、マルティナが取得しようとしている戦乙女という資格が、バリバリの戦闘職だからだ。
戦乙女は、その名の通り戦場に立つ乙女。縦横無尽に馬を駆り、前線で活躍する騎士や戦士を後方から魔術で支援する職業だ。最低限の護身剣術と高度な魔術と馬術が求められることもそうだが、そもそもアルズライト王国では、戦場は男が武勲を上げるための場であるという考え方が強いため、戦乙女は片手で数えるほどの人数しか存在しない。
それでもマルティナは、戦乙女を目指したかった。
「国の古い常識や文化を変えていくには、自ら手本を示さなければなりませんわ。女が殿方に守られる、あるいは貴族がふんぞり返って指揮をするのが当たり前ではいけないと思いませんこと? 少なくともわたくしは、殿下の隣に立つに相応しい女になれるように――」
「素晴らしい信念だ、マルティナ嬢! 仕える身としては、君を誇らしく思うよ!」
「…………」
マルティナがムッとして睨みつけたのは、満面の笑みで口を挟んできたディヴァンだった。
彼は大きな声と大げさな身振り手振りで話しているが、これはゴマをすっているわけではなく、心からのものであることは分かる。
だが、少々鬱陶しく感じてしまうのは、ディヴァンが授業であろうが休み時間であろうが、常にマルティナの近くをうろついているからだった。
「ディヴァン。なぜ、ずっとわたくしに付いて来ますの? わたくしの婚約者は、貴方ではなく殿下なのですが?」
「そのルディウス殿下から、君の護衛の勅命を受けているからね! 騎士として、何としても為さなければならないだろう!」
「貴方……、真面目過ぎますわ」
マルティナは嫌味で「真面目」と言ったつもりだったが、ディヴァンは肯定的な意味に捉えたらしく、「ありがとう! さらに精進するよ!」と胸を張っていた。
おそらく、ディヴァンには何を言っても意味がない。悪役令嬢と行動を共にしていることや、不良殿下に傾倒していることに対して、悪い噂を流されたり低い評価を受けていても、彼は「関係ないさ」と笑い飛ばしているのだから。
(自分の価値観を信じている……、あるいは主君に妄信的と言うべきかしら。どちらにせよ、信用はできる人ですわね)
「王妃が戦乙女。とても革命的だ! ん~、だが僕個人としては、如何なものかと思う。君の雷と水の魔術を侮っているわけではないよ? ただ、貴族は平民を導くために生きる義務がある。だから、彼らを信じて戦場に送り出し、武運を祈ることこそが君の役割ではないかと思うのだよ」
(信用できても、意見は合いませんわね)
マルティナは「その議論は今度じっくり致しましょう」と、声を低くして話題を切った。
授業と授業の移動時間くらい、ぼんやりとさせてほしいものだ。ただでさえ、盗んだ軍馬で爆走しているルディウスに追いつけず、ヤキモキしているというのに。
――と、そこに、マルティナの行く手を阻むように、廊下の角から一人の教員が現れた。
カツカツと早歩きをしていたマルティナは、急に立ち止まることができずにその教員に体当たりをするかのようにぶつかってしまった。
「きゃっ! すみません!」
「おっと……! そんなに急いで、どこに行くんだ? マルティナ・リタ・ローゼン」
あわや無様に転倒するかと思ったマルティナだったが、相手の腕にパッと抱き留められて事なきを得ていた。
しかし、その教員――魔術学を教えるガリオン・ランバルディの顔が近すぎて、事案発生寸前だった。
「ら、ランバルディ先生……!」
マルティナは自分の吐息がランバルディにかからぬように顔を背けるのだが、当の本人は「どうかしたか?」とさらに覗き込んでくる。
これが非常に良くない。
ランバルディは魔術学院一の色香を持つ男と呼ばれており、彼のチョコレート色の瞳に見つめられると、その甘い眼差しにとろけてしまうことが必須であると評判の魔性の教員なのだ。
(が、顔面偏差値が高すぎて、もはや暴力ですわ!)
マルティナのタイプからかけ離れた優男だというのに、その微笑みに思わずドキドキしてしまうという恐ろしい魔性。
マルティナが「ちょっと、勘弁してくださいませんか」と身体を仰け反らせてランバルディの追撃をかわそうとしていると、有難い助け船が入った。ディヴァンとステラである。
「ランバルディ先生。マルティナ嬢との距離が近過ぎるのではありませんか⁈ 教員と生徒の適正な距離を保っていただきたい」
「うちのマルティナ様は転んでも大丈夫ですので、その手を放していただけますか」
「おやおや。ローゼンは、怖い番犬を買っているんだね。噛まれたらたまらないなぁ」
ランバルディは、キツイ口調と視線を注ぐディヴァンとステラに降参したようで、あっさりとマルティナから手を放し、身を引いた。
そのおかげで、ムンムンと漂うフェロモンが遠くなり、マルティナはホッと胸を撫で下ろす。
「ランバルディ先生。ぶつかって申し訳ございませんでしたわ。けれど、わたくしの友人と侍女を番犬などとは仰らないでくださいな」
「だって、可愛いキミに近づくなと吠えてくるじゃないか。今度は、彼らが散歩中の時にゆっくり……、ね?」
(何の、ね????)
マルティナが驚愕の視線を送る中、ランバルディは名残惜しそうにその場を去って行ったが、まったく理解が追いつかない。
だが、ディヴァンは「さっそく、騎士として君を守ることができた!」と誇らしそうに胸を張っていた。
「え? 今のはどういうことでしたの?」
「ランバルディ教諭は、マルティナ様に近づくふてぇ
頷くディヴァンとステラを見て、マルティナは「えぇっ!」と大きく目を見開いた。
16年生きて来て、こんなことは経験したことがなかったのだ。
「わたくしは殿下一筋ですけれど、ロマンス小説の三角関係勃発展開のようでドキドキしてしまいますわね!」
***
ところが、三角関係どころの騒ぎではなかった。
その後、マルティナの前に代わる代わる別の男性が現れたのだ。しかも、数十分刻みで。
侯爵家の嫡子で図書委員会の委員長、シュナイダー・フォン・クロウリー。
「ローゼン。私の委員会に入らないか?」
男爵家の三男で馬術部のホープ、キリル・ゼト・ロジャース。
「マルティナ先輩! ボクと遠乗りに行きましょう!」
大商会の跡取り息子、ジェット・クライバーン。
「おもしれー女だな! オレ、マルティナのこと気に入ったぜ!」
ある公爵令嬢の護衛騎士、ケビン・オークレール。
「マルティナ嬢……。この不敬なる気持ちを……、いえ。何でもありません」
…………。
…………。
次々に現れる美男子たちに、マルティナの頭はクラクラと揺れていた。
決して、数多のトキメキによってクラクラしていたわけではない。
名前と顔が一致しないような男性たちが、流れ作業のように現れては甘言を囁いていくというこの状況に頭痛を感じていたのだ。
「マルティナ嬢、モテ期到来かい?」
「ディヴァン! わたくし、まったく嬉しくありませんことよ!」
マルティナは、ラズベリーブルーの髪がくしゃくしゃになることも厭わずに、大きく頭を抱えて悲鳴を上げた。
まったく、意味が分からない。
つい先日、悪役令嬢と罵られたかと思えば、今日は数えきれないほどの男性たちが求愛してくるとは、いったいどういうことなのか? 今のところ、ディヴァンが間に入って彼らをいなしてくれてはいるものの、ロマンス小説もお手上げのモテっぷりが逆に怖くてたまらない。
「ぐす……っ。殿下に会いたいですわ。罵詈雑言を浴びせていただけたら、わたくし安心できると思いますの」
「それはちょっと、どうかと思うが」
ディヴァンと共に剣術の授業にやって来たマルティナは、必死にルディウスの姿を捜していた。今日のルディウスは授業をサボりがちで、まだ一度も口をきけていなかったのだ。
(殿下。早くドスの効いたお声が聴きたいですわ)
「――マルティナ」
名前を呼ばれ、マルティナはくるりと振り返った。
しかし、そこにいたのは意中のルディウスではなく、黒い髪と瞳とした背の高い塩顔の青年だった。
(心の底から、どちら様ですの?)
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