第2章 恋は盗んだ軍馬で走り出す

第5話 伯爵令嬢は一匹狼に近づきたい

「危ない‼ 逃げろ‼」


 誰かが叫ぶと同時に、魔術学院の庭園を一頭の馬が勢いよく突っ切っていく。


「退け、ゴラァ! 引き殺すぞ!」


 手綱ではなく馬の首根に取り付けられた謎のハンドルを握り、大声で怒鳴っているのはルディウス・フォン・アルズライト。この国の王子だ。


 すれ違う誰もがルディウスを恐れ、悲鳴を上げて逃げていく中、マルティナは「引き殺す」と言いながら誰にも接触せずに馬を駆る彼の操馬技術に、感嘆のため息を漏らしていた。


「あぁ……。かっこいいですわ、殿下。ゴラァが何かは分かりませんけれど」

「えぇ~……。マルティナ様のご趣味が理解できません」


 学生寮のバルコニーから、ルディウスの暴走を見守っていたマルティナ。そのマルティナの隣で、侍女のステラが引き気味に眉根を寄せていた。


「噂によると、あの馬は王国軍の騎馬隊から盗み出した軍馬を飾り付けたそうですよ?」

「まぁ、どうりでいい走りっぷりですわね」

「そうじゃなくて、殿下の素行不良が問題で……」

「殿方はやんちゃなくらいが丁度いいですわ」


 マルティナは、ルディウスの姿をうっとりと見つめる。

 かつての取り巻きたちを蹴散らして我が道を進む様は、見ていて爽快だ。

 取り巻き令嬢ズは、「相手をしてもらえない」、「邪険にされる」、「疎ましがられる」と嘆き、太鼓持ち令息ズは「威嚇された」、「とにかく怖い」と震えあがっている。

 いい気味だと思わなくもない。

 群れる必要などないと背中で語っているルディウスは、最高にカッコイイ。まるで孤高な狼だ。


 しかし、問題があった。

 マルティナまで、ルディウスに近づくことができずにいるのだ。

 笑顔で挨拶をすれば、「黙れ、近寄るな」。

 授業でさりげなく隣の席に座ろうとすれば、「……帰る」と、少しも関わる隙を与えてくれない。一匹狼が過ぎるのだ。


 幸い、国王陛下から頭を冷やせとストップがかかったらしく、マルティナとの婚約破棄はいったん頓挫しているらしい。だが、このままではルディウスと心を通わせることが叶わないという理由で婚約破談になりかねない。


(どうにか、殿下にお近づきになりたいですわ)


 そう思ったマルティナの決断は早かった。


「殿下に振り向いていただくには、まず殿下のことを知らなければなりませんわ! さぁ、ステラ。殿下を尾行しますわよ!」

「私もですか……?」


 やれやれと肩を落とすステラの手を取り、マルティナは「いざ出陣!」とバルコニーを後にした。



 ***

 魔術学院の制服は、黒色の上品なデザインのブレザーを基調としている。

 胸元には学院の純金のエンブレム。これは全生徒共通なのだが、ブレザーの細部やシャツ、スラックス、スカート、靴やアクセサリーに至っては、校則上各々自由にして良いことになっている。


 マルティナもブレザーの袖口にレースをあしらっているし、スカートの形も長さもその日の気分で変えているのだが、身分の高い者ほど豪華礼装な制服をカスタマイズしている印象だ。


 いい例としては、過去のルディウスだ。

 彼の身に付けるもの全ては、国内最高級の素材に差し替えられていた。特に宝石の付いたブレスレットや時計が大好きだったのだが、どれも目玉が飛び出る値段。しかも、一度付けたものは二度と付けることはない。

 これが上に立つ者のあるべき姿だと本人が語っていたのだが──。


 現在のルディウスは、名門校のブレザーをマントのようにはためかせ、シャツもスラックスも着崩していてだらしない。

 そして、アクセサリーの代わりに銀色の厳つい鎖が腰や手首に巻かれている。手には指先だけが剥き出しの革手袋だ。


「あ、あれはお洒落なんでしょうか? とても、流行っているとは思えませんが……」


 ステラが、相変わらず引き気味な表情で呟く。


 今、マルティナとステラは剣術の実践授業を訓練場の窓の外から覗いているところだった。もちろん、ルディウスをよく知るために彼を観察しているのである。決して、怪しいストーカーではない。


「殿下に流行など関係ありませんわ! 制服は自由ですし、唯一無二のスタイルを貫くお姿が尊いのです!」

「え、でも、ダサ──」

「──くないですわ! 華美過ぎる服装よりも、よほど機能的ですわよ」

「どの辺が機能的なのか、私の頭では理解できません」


 ステラは暗殺者を撃退したルディウスを見ていないから、そんなことを言うのだと、マルティナは悔しい気持ちいっぱいにため息を漏らす。

 幸運なことに、剣術の授業はルディウスの凄さを彼女に伝えるには最適だろう。きっと、あの時のように驚くべき身体能力を見せてくれるに違いない。


 マルティナが小窓に張り付きながら訓練場内を見守っていると、男性教員が二人一組でウォーミングアップせよとの指示を出した。

 内容は木刀での打ち合いであり、過去のルディウスは太鼓持ち令息と適当に済ませていたものだった。


(殿下……! 素晴らしい剣さばきをお見せください!)


 次の瞬間、マルティナは息を呑んだ。


「で、殿下……! 二人組が組めていないですわ!」


 ルディウスは、訓練場内で堂々とぽつんと仁王立ちしていた。

 誰も彼もがルディウスを避けているのだ。

 理由は言わずもがな。

 先日まで女たらしのナルシストだった王子が、鬼の形相で定期的に舌打ちをしているのだから、みんな恐ろしくてたまらないのだ。自ら近づく者など、いるわけがない。


 ルディウスは、教員に何やら声をかけられていたが、すぐに親指で首を斬る仕草をし、肩に羽織ったブレザーをなびかせて訓練場を去っていく。

 そして、怒る教員とホッとしている生徒たち。


(あら? あらら? 殿下はどうされましたの?)


 会話がまったく聞こえず、マルティナが戸惑っていると、隣のステラが「えぇっと……」と口を開いた。


「先生に『私とペアを組むか』と提案された殿下が、『センコーなんかとやるかよ! ぶっ殺すぞ!』と捨て台詞を吐いて出て行かれた感じですね」

「まぁ、ステラ! 耳がいいんですわね!」

「目がいいんです。読唇術です」


 侍女の意外な特技はさて置いて、マルティナは首を傾げる。


「センコーって何ですの?」



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