第4話 その恋は稲妻の如く
「王子ルディウス! その命、頂戴する!」
黒衣の男の低い声が響く。
今度こそ、本物の敵襲だ。
黒衣の暗殺者の鋭いダガーがルディウスに迫り、マルティナは悲鳴を上げた。
ルディウス・フォン・アルズライトは、類稀なる治癒魔術の使い手だ。自分や他人の傷をあっという間に治してしまうし、魔力量も多いのでスタミナ切れもほとんどないという、才能の塊だ。
だが、彼には
ルディウスには、マルティナの雷魔術のような攻撃魔術の素養はない。一点特化型なのだ。しかも、体術や剣術の授業もロクに修めず、いつも取り巻き貴族や護衛の騎士たちに頼り切っていた。
だから、こんな時に悪党を退ける
(殿下が殺されてしまいます!)
マルティナは雷魔術を発動させようとしたが、間に合わず――。
「死ねぇぇぇッ!」
そう叫んだのは、黒衣の暗殺者ではなくルディウスだった。
ルディウスは暗殺者の凶刃を紙一重でかわすと、電光石火のスピードで敵の右方死角に回り込み、そこからストレートパンチを叩き込んだのだ。そして、メキィィィッという嫌な音と共にルディウスの拳が暗殺者の頬にフルヒットしたかと思うと、マルティナの真横を黒い塊がもの凄い速度で通り過ぎていった。
それは、「うぐぅっ!」と痛々しいうめき声を漏らしながらルディウスに殴り飛ばされた暗殺者だった。
(数秒の間に暗殺者が往復してますわ!)
事態のスピード感についていけないマルティナが、暗殺者はどこまで飛ばされたのかを確認しようと慌てて振り返ったのだが、生憎敵もそれなりの手練だったらしい。もしくは、マルティナが完全に油断していた。
「きゃっ!」
マルティナの短い悲鳴は、彼女が手負いの暗殺者に捕らわれてしまったことを示していた。
背後で腕を捻り上げられ、その痛みに今度はマルティナがうめき声を漏らす。
「うぅ……っ。無駄なことはやめて、早く放しなさい!」
「ははは! 人質を取れば抵抗できまい、ルディウス! さぁ、両手を上げてこちらへ来い!」
形勢逆転と言わんばかりに高笑いする暗殺者は、ダガーをマルティナの首筋にピタリと押し当てる。
そのひんやりと冷たい刃が、いつ自分の首を貫くのだろうかと思うと、マルティナは目を開けているのも恐ろしくなってしまう。
(怖い……、怖いけれど……)
せっかくルディウスから婚約破棄を言い渡され、晴れて自由になったというのに、その直後に死ぬなんて。
燃えるような愛や稲妻に打たれるような恋も、まだ知らないというのに。
「チッ! 雑魚がやるこたぁ、雑魚いよなぁ!」
ルディウスは心底面倒臭そうに舌打ちをすると、ポケットに手を突っ込んだまま、その場に立っていた。
暗殺者の要求に従う気配は、少しも感じられない。
やはり……と、マルティナはルディウスを見て瞳を暗くした。
「無駄ですのよ、本当に……」
マルティナは、再び暗殺者に語りかける。
美しい碧眼から悔し涙をぽろぽろと零しながら。
「わたくしを人質に取っても、殿下は痛くも痒くもありません。だってわたくし、殿下に愛されておりませんから。たった今、婚約破棄も言い渡されましたから!」
「なっ、なんだと⁈」
マルティナの言葉に驚いた様子の暗殺者は、ほんの一瞬だけ、ルディウスからマルティナに視線を移した。「この令嬢はハッタリを口にしているだけでは?」という、余計な思考が頭をよぎったコンマ1秒程度。そのわずかな時間で、勝敗がついた。
*
*
「きったねぇ手をどけやがれぇっ‼︎‼︎」
1秒の間にルディウスは暗殺者の元まで一気に距離を詰め、左手でマルティナを力づくで引き剥がした。暗殺者がハッとした時には、残る右手を地から天に向かって大きく振り切り──。
「まぁ……っ!」
マルティナの大きく見開かれた瞳には、目の前の光景がスローモーションのように映っていた。
暗殺者が、青い空の彼方へと吹き飛ばされていたのだ。
まるで、子どもの絵本のよう。マルティナは、悪党が空の星になって消えた瞬間を生まれて初めて目撃し、思わず感嘆の息を漏らした。
「いちばん星……」
「……チッ。パーの台詞吐いてんじゃねぇよ!」
何が起きたのか整理のつかないマルティナに、ルディウスは罵声を浴びせなが暗殺者を殴り飛ばした拳を軽くさすっていた。
そして、相変わらず眉根を寄せ、不機嫌そうに「助けて、くらい言いやがれ。可愛気ねぇな」と続けた。
その言葉に、マルティナの胸の奥がドクンッと震えた。
まさか、と思いルディウスに問いかける。
「わたくし、殿下に助けを求めてもよかったんですの……?」
「はぁ? 自殺志願者かよ? 女を人質に取られたら、ほっとけねぇに決まってんだろ!」
マルティナは、謎の決まりに命を救われたらしい。
(けれど、それでもわたくしは……)
マルティナは、バクバクと激しい胸の鼓動と熱く滾る感情を確かめる。
これは、暗殺者に遭遇してしまった恐怖によるものではない。
この胸の高鳴り、そして締め付けられるような痛みは、自分がずっと
「……いですわ」
「あぁん? 声張れよ。聞こえねぇぞ」
「カッコイイですわ‼ なんて刺激的なんでしょう‼ これが恋ですの?」
怪訝そうなルディウスにそうドヤされ、マルティナは腹の底から大声を出した。
「殿下がこんなにワイルドで腕っぷしの強い御方だったなんて、わたくし感動してしまいました! 素敵なキャラクターチェンジだと思いますわ!」
「は?」
「殿下に命を救われたご恩は婚約者として、ゆくゆくは妻として支えながら、たっぷりと返させていただきますわね!」
「はぁぁっ?」
キラキラと大きな瞳を輝かすマルティナ。
予想外の展開に驚きを隠せない様子のルディウス。
大きく両手を広げ抱きつく勢いで迫るマルティナに、ルディウスはじりじりと後退るが、方向が悪かったのかすぐに魔術訓練場の外壁に背中が当たってしまった。つまり、マルティナに追い詰められて逃げ場がない。
「てめぇとは婚約破棄するっつっただろうが! そこ退けや! 殺すぞ!」
「いいえ! わたくし、婚約破棄は認めませんわ!」
伯爵令嬢、王位第一継承者に対して全力の拒否。
マルティナはラズベリーブルーの髪を優雅に掻き上げると、力強く言い放つ。
「わたくし、地獄の果てまでお供してもいいほどですわ!」
「バカか。俺のことなんか知らねぇくせに。……父上とお前の親父を言いくるめて、絶対に婚約破棄してやるからな!」
ルディウスはマルティナを軽く突き飛ばして無理矢理退かすと、苛立ちを全身に滲ませながら、がに股で去っていく。
(なぜ、がに股なのでしょう? 偉そうに見せたいのかしら。それとも、普通に歩くとスラックスがずり落ちてしまうのかしら?)
マルティナは、よろけてその場に尻もちをついたままの態勢で婚約者を見送っていた。
ルディウスは一度だけ振り返っていたが、まさか突き飛ばしたマルティナを気にしていたのだろうか。
(まぁ、あり得ませんわよね。殿下は、わたくしなんかに興味はありませんもの)
***
しばらくして、ようやくステラが駆けつけて来たのだが、その時マルティナは既に次の行動を心に決めていた。
「ステラ! わたくし、決めましたの」
「え。処刑前に国外逃亡のするとかですか?」
「もうっ! 違いますわ!」
何が起こったかを知らないステラはきょとんと首をかしげていたが、そんなことはマルティナには関係ない。
「わたくし、ルディウス殿下との婚約破棄回避を目指しますわ!」
ローゼン伯爵令嬢マルティナ、稲妻の如く恋に落つ――‼
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