第3話 ヤンキー殿下は宣言をする

 魔術学院は、アルズライト王城に匹敵するほどの広大な敷地面積を誇る。

 座学の授業が行われる座学棟、実践訓練を行う魔術訓練場、武術訓練場、他にも馬術場や大講堂、聖堂、温室、庭園、大食堂に学生寮……。数えきれない施設を有しており、移動だけでも一苦労なのだ。

 ルディウスのような王族や一部の貴族たちは、学院内に馬車を持ち込んで派手に乗り回しているのだが、堅実な家柄のローゼン伯爵家では、そんなことは許されてはいなかった。


 故に、マルティナは走る。

 制服のスカートがハタハタとはためくはためくことも厭わずに、ヒールの靴で魔術訓練場を目指し、ひた走っていた。


(もうっ! なぜわざわざ魔術訓練場の裏、ですの? 表ではいけませんの?)


 婚約者への断罪や婚約破棄は、ギャラリーがたくさんいる場所で行うと相場は決まっているというのに、ルディウスはどういった意図で人気ひとけの少ない魔術訓練場の裏を指定したのだろう。

 まぁ、昔からルディウスの考えていることなど理解できた試しがないため、考えても仕方がない。



 マルティナは、カッカッカッとヒールを激しく鳴らして魔術訓練場の裏口へと駆け込む。

 まさか、定刻を少しばかり過ぎてしまっているので、短気なルディウスは待っていないだろうと思い、半分諦めていたのだが――。


 そこには、見慣れない紅蓮色の髪の青年が仁王立ちしていた。


「で、でん……か、じゃない?」


 マルティナは美しい碧眼を大きく瞬かせながら、その青年を凝視した。

 髪色や顔は見慣れたルディウスのそれだったのだが、髪型や服装、表情はまるで別人のようであり、もしやよく似た他人ではないかと疑ってしまったのだ。


 長かった髪はバッサリと切られ、ツンツンと上方向に立てられている。サイドはより短く刈り上げられており、謎の剃り込みまで見受けられる。

 ブレザーは腕を通さずに肩からマントのように羽織り、シャツのボタンは目のやり場に困るくらい大きく開いているし、なんとスラックスは腰位置で履かれているではないか。


 伝統ある魔術学院でこのように謎かつ下品な恰好をする者がいることに驚き、マルティナは、思わず息を吞んでしまう。

 そして奇抜な髪型はともかく、服装に関しては、きっと本人が気づいていないだけの着崩れではないかと勝手に納得し、おずおずと口を開く。


「……どなたか存じ上げませんが、履き物がズレてますわよ。誰かに見られないうちに、安心安全な位置に上げた方がよろしいかと」

「るせぇな! 敢えてに決まってんだろうが!」

「そ、そのお声は殿下!」


 低くドスの効いた声ではあるものの、青年から飛び出た声は怒った時のルディウスのものだった。それに、これでもかというほど吊り上がっているエメラルド色の目も、魔術に秀でたごく一部の王族にしか見られない色だ。


「ルディウス・フォン・アルズライトに決まってんだろうが!」


 舌打ちをして怒鳴る青年。

 本人もルディウスだと自己申告しているので、おそらく本人で間違いないのだろう。


「どうしましょう。わたくし、ツッコミ切れません。今すぐ紙に疑問点を書き並べたい気分ですわ」

「てめぇ、遅れて来て何様のつもりだ? あぁん? 呼び出しの5分前には集合に決まってんだろ!」


 真面目! そして、決まり事がたくさん存在するようで、マルティナは戸惑わずにはいられない。


「遅刻してしまったことは、本当に申し訳ございません。まさか、果たし状で呼ばれるとは思っておらず……」

「言い訳すんじゃねぇ。ぶっ飛ばすぞ!」


 ルディウスに凄まれ、マルティナは「ひっ」と身を縮こませた。

 ルディウスの変わりようが怖い。なぜ、一夜にしてこれほど野蛮に変貌しているのだろう。まさか、サプライズでもあるまいし。

 マルティナは、もしや昨夜自分がルディウスを張り倒してしまったせいで、彼の頭がおかしくなってしまったのではないかとヒヤリとしてしまう。

 自分の雷の魔術には精神を狂わす作用などないはずだが、万が一という可能性もある。


 もし、そうであれば、想像を遥かに超える処罰が待っているだろう。今のルディウスならば、簡単に「ぶっ殺す」、「一家皆殺し」などと言いそうな気配が満ちている。


 そして、ルディウスはチィッと盛大に舌打ちをすると、スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、がに股で近寄って来た。信じられないくらい鋭い眼光で睨みつけられ、マルティナは足がすくんで動けない。


「てめぇ、昨日はよくもこの俺をビンタしてくれたなぁっ? タダで済むとは思ってねぇよなぁ? あぁん? 耳の穴かっぽじって、よく聞きやがれ!」


(あぁ……。来ますわ、運命の刻が。わたくし、きっと死罪ですわ)


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 幼い頃は、幼馴染のルディウスと仲良くしていたのに。この人となら国を良くしていけると、心の底から思っていた時期もあったのに。

 ルディウスをぶったことを後悔はしていないが、身を焦がすような恋も知らぬまま、16年の短い人生がこのような終わり方をするなんて……。


 マルティナが切ない胸の痛みを自覚した時、ルディウスは一段とドスの効いた声で言い放った。


「俺は、てめぇとの婚約を破棄する……!」

「こんやく、はき?」

「よく聞けっつったろうが! 難聴かよ? 婚約破棄だ、婚約破棄!」


(え? 本当にそれだけですの?)


 マルティナは驚いて目を大きく見開くが、目前の王子はそれ以上の処遇を口にする様子はない。ただ、「てめぇは金輪際、俺に近づくんじゃねぇ」と付け加えただけだ。


(と、いうことは……)


「わたくし、晴れて自由の身! 殿下と結婚しなくていいんですのねーっ!」


 抑えきれず、心の声が口から飛び出してしまったがかまわない。マルティナは両手を上げて「キャッホー!」と歓喜の声を上げ、その場で飛び跳ねた。


 もう、王妃教育を受ける必要がない。

 もう、女遊びに呆けているルディウスに頭を抱える必要がない。

 もう、低いヒールを履く必要がない。

 これからは、自由な恋ができる。好きな人と結婚することができる。


「ありがとうございます、殿下! 今までで一番感謝しておりますわ! ……あ。国王陛下とわたくしの父の説得はお任せ致しますわね。政略結婚ですし、わたくしたちの意向だけでは破談になりませんもの」

「うるせぇ! てめぇに言われなくても、筋は通す!」

「宜しくお願い致しますわ。では、わたくしはこれで!」


 喜びのあまり早口でまくし立てたマルティナに、ルディウスは疎ましそうに「とっとと失せろ、クソアマ」と雑言を浴びせる。

 だが、それだけだった。

 それで終わりだった。


 そのあっけない婚約生活の終わりにマルティナは複雑な想いを抱きながらも、新しい未来に向けて軽やかな一歩を踏み出した――。



 はずだった。


「…………‼」


 歩き出したマルティナとすれ違った疾風――黒衣の男が握りしめたダガーが冷たい光を放ち、後方にいるルディウスに振り上げられた瞬間だった。


「殿下!」





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