子供靴

縞々なふ太

第1話

下校道、子供用の小さな靴が1足落ちていた。

左足の靴だった。その道のもう少し先には大きな幼稚園があって、私は、きっとそこの子供だな、と思ったので、ガードレールの柱の上に上手に乗せて、放っておくことにした。わざわざ幼稚園まで声をかけに行く勇気は残念ながらお母さんのお腹の中だったし、明日、同じ道を通った持ち主親子がその存在に気づいて持っていくだろう、と思ったから。

家に着いて、お母さんにそんななんでもないことを話そうと思ったのだけど、なんだかこれは私だけの秘密にしなきゃいけない気がして、黙っていたんだけど、なんとなく後ろめたい気持ちが拭えなかった。


次の日。同じように下校していると、やっぱり子供用の小さな靴が歩道に落ちていた。昨日ガードレールに確かに乗せたのに、風に煽られたのか昨日と全く同じ感じに落ちていて、ああ、持ち主は気づかなかったんだ、と思った。それで私は、もう一度ガードレールの柱に乗っけた。青から赤に淡くグラデーションがかった空も相まって、なんだか高名な写真家の1枚みたいにドラマチックだった。

それで私は、ちょっと悪い気持ちが湧いた。あれ、この靴の持ち主はほんとにいるのかなあ、いないのなら、私が持っていっても構いはしないんじゃないかと思った。幸い誰にも話していないし、人通りもなかった。

だけど、やっぱりやめた。その光景が先にも書いたようにあまりにドラマチックだったので、なんだか高尚で神聖な、けして触れることは許されないもののように思えたから。

だから、あとみっか、と思った。3日たって誰も持っていかなくて、且つその時に人通りがなければ、それはきっと神様がその靴を私にさずけてくれたのだろうと思うことにした。

後3日、と思った。私は昨日と同じように、そうっと靴の置き方を直すと、そこを立ち去ることにした。


あと2日。今日もある。歩道に落ちたそれになんとも言えない気持ちになりながら、またふとその靴に触れた。手のひらに乗るほどに小さな小さな靴。

……その靴を履く子に心を馳せてみた。きっとやんちゃ盛りの男の子だと思った。いや、特に理由はないけど。靴底の溝には泥がこれでもかと敷きつめられていて、幼稚園の校庭を駆け回る姿がありありと目に浮かんだ。或いは砂場遊びかもしれないと思ったけれど、でもきっとかけっこだというやはり理由のない確信があった。

その子が通っているのであろう、少し先の幼稚園には、中学の校外学習で行ったことがあった。自作の絵本を呼んだりした、出来れば思い出したくない恥ずかしい記憶なのだが、ふとそこでペアになった可愛らしい笑顔の男の子を思い出した。私の名前を教えたらお姉ちゃんお姉ちゃんとひよこのように後ろを着いてきて、とてもとても可愛かったのをよく覚えている。

もしかしたらその子なのでは?と思った。そう思い出すとそうとしか思えなくなって、私は1人で少し笑った。あの子、片足、靴落としたんだ。どうやったら片足落とせるんだろう、と思って、なんだか楽しくなって、そこから少し、右足でけんけんをしながら帰路を辿った。


あと1日。俄に気持ちが浮き足立った。あと1日で、あの靴は私のもの。少し急ぎ足で帰り道を進むと、その靴はガードレールの柱の上に鎮座していた。おや、と思った。昨晩は酷く風が強くて、びゅうびゅうと窓ガラスを揺らしていてたので、私は、もしかしたらどこかに飛んで行ってしまったかもとすら思っていたから。それでもそこに残っていたことは、もはや運命以外の何物でもないと思う一方で、理性的な私が、これは怪しいぞ、と語り掛けてきた。そして途端に怖くなった。もしかして、この私の企みを見透かした誰かがいて、気づいてるぞって意味を込めて同じ位置に靴を置いたんじゃ?その考えが頭から離れなくなって、きょろきょろ当たりを見回した。不気味なくらいに、車のエンジン音ひとつしない。

頭が真っ白になって、急いでその場から離れた。走って走って走って、それでも、なんだか、どっかから視線が突き刺さっている気がしてたまらなかった。


決意の日。疲れた足を叱咤して帰路を急ぐと、やっぱり靴は歩道に落ちていた。なんだ、昨日のあれは、全くの気のせいだと胸を撫で下ろして、そろりとその宝物に手を伸ばした。RPGの効果音みたいな祝福が鳴り響いている気がした。ふわりと触れる。ザラと布の感触。口角が上がる。その時だった。

「……あのお」

「へっ?」

つい間抜けな声を出して手を引っこめる。振り向くと、母子が並んでこちらを見ていた。その子供はちょうど幼稚園生くらいに小さくて、母親の服の端を握る様子がなんとも可愛らしい女の子だった。

「その靴……ここに落ちてましたか?」

「はい……」

「やっぱり!それ、うちの子のです。こんなとこにあったのね、もう新しいの買っちゃったぁ」

「あ、そうなんですね……」

元から人見知りなのもあったけど、それだけでもない何かが、私の視線を下へ向ける。

「拾ってくれたんですね、ありがとうございます。」

「い、いえ!」

「じゃあ、うちでゴミに出しますので」

そう言って母親は私の右手のすぐ側にある靴をすっと手に取って子供に持たせた。

そしたら、その子が、本当に嬉しそうに笑うから。

ぼうっと喉の奥まで焼けるように熱くて、血が溜まった顔を隠したくて慌ててお辞儀をした。母子も少し笑ってぺこりと頭を下げ、元来た道を帰って行った。


私は、ぐいと悔し紛れに顔を上げた。そこにあるのはやっぱり赤と青の境界線がとろりと混ざった幻想的な色水で、これで良かったんだな、と、認めざるを得なかった。

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