第39話 Annabelle


 「全員、動かないで頂けるかな?」


 そんな声と共に、私の首にナイフが当てられた。

 冷たい刃の感触が、グッと押し付けられた瞬間に“痛み”という熱さに変わる。


 「貴様ぁ!」


 「店長!」


 王子とブルーの声が聞こえる。

 ボーッとする思考の中で、皆の声だけは良く響いた。


 「攫ってこいという命令だったはずだが……また随分と派手にやったモノだ。 獣人なんて所詮は獣か」


 耳元でボソッと呟く彼の言葉は、やけに嬉しそうに聞こえる。

 何故?

 自分達の仲間が次々に捕らえられている状況だというのに。


 「貴方は、楽しんでいるの?」


 ポツリと、疑問が漏れた。

 その声に一瞬ビクリと反応した彼が、すぐ隣でにぃっと口元を釣り上げる。

 フードに隠れて、顔までは見えないが。


 「そうですね、魔女様。 私はこの状況を楽しんでおります。 我々は日陰者、表舞台に立てない暗殺者。 だからこそ、貴女方の様な存在の前に姿を現す愚行が、どこまでも楽しいのです。 まるで舞台に上がったみたいじゃないですか? 光を浴びる貴方達を、遠くから見ていただけの存在だった私達が」


 「まるで、承認欲求の塊だね」


 「我々は特別ではない。 そういう人間の多くは、大体そんなものですよ。 魔女様」


 あぁ、そうかい。

 もはや回らない思考回路が、彼にかける次の言葉を探すのを諦めた。

 もう、駄目だ。

 これはもう、救えない所まで堕ちてしまっているんだろう。

 だから、彼が私の首に突き付ける刃に触れた。


 「何をしている?」


 「最初で最後の警告。 今すぐ刃を退かしなさい。 そうすれば、五体満足で帰してあげる」


 言葉を紡いだ瞬間、彼はやけに楽しそうに笑いだした。

 何か面白い事を言っただろうか?

 だとすれば、私は漫才の才能があるのかもしれない。


 「貴女でもそんなセリフを吐くのですね? まるで貴族のご令嬢の様だ。 すぐに護衛が駆けつける、だから死にたくなければ私を解放しなさい。 こんな事をしたら、お父様が許さないわよ? なんて、皆言うんですよ。 あぁ、面白い。 結局、救助が間に合った事例の方が圧倒的に少ないというのに」


 過去の記憶を呼び覚ましているのか、彼は気味の悪い笑いを溢しながら更にナイフを首に押し付けて来た。


 「止めろ! 武器を捨てる、コレで良いんだろう!? だからそれ以上アオイを傷つけるな!」


 ガランッ! と大きな音を立てながら大剣を投げ捨てた王子が、悔しそうに奥歯を噛みしめながら両手を上げた。


 「チッ! 仕方ないですね」


 舌打ちをしながら手に持った道具を投げ捨てたブルーだったが、私を拘束する彼がクイッと顎でブルーの事を指す。


 「ジャケットの下の物も全てです。 この中では、貴方が一番警戒すべき相手だ。 それこそ裸になってもらうくらいじゃないと安心できませんよ。 旧付与魔法の使い手、今の貴方は万能の魔法使いだ。 それくらいに、有名になっているのですよ?」


 「……チッ、クソヤロウが」


 険しい顔を浮かべながら、ブルーはジャケット脱ぎ捨てた。

 随分と重い音を上げながら地面に落ちたジャケットもそうだが、中から現れたのは体中に装備された護身用魔道具。

 あの一つ一つがブルーによる改造が施されていたとすれば、相当なモノだろう。


 「それから、“道化の魔女”様? 貴女は全ての糸を捨てて頂きましょうか? ホラ、そんなに静かに糸を伸ばしても分かりますよ? 我々には。 コレ以上犠牲を増やしたくないでしょう? こちらもコレ以上仲間を失う訳にはいきませんので」


 「なっ!? 放せ!」


 「ヘキ!?」


 暗闇から急に現れたローブ男の手によって、ヘキまでもが捕らえられ刃を向けられる。

 あぁ、どうしてこんな事になってしまったのだろう。


 「武装を解除します。 ですから、魔女様とヘキを解放しなさい」


 「そんな恐ろしい殺気を向けられては、手が滑ってしまうかもしれませんねぇ。 ホラ、こんな風に」


 ズリッと、首元から嫌な音が響き、皆が悲鳴をあげた。


 「止めろ! すぐ武装を解除する! だから止めろ!」


 プリエラは随分慌てた様子で、手足についていた見た事もない武装を地面に捨てた。

 これで、私の家族皆が武器を捨てた事になる。

 だというのに、当然ながら事態は好転しなかった。


 「ハ、ハハハ! 道化の魔女までもが白旗を上げますか! 良い、非常に良い! コレこそ、我々が望んだ――」


 「シャァァ!」


 「あん?」


 テンションが上がり切った彼に飛び掛かったのは、浅葱。

 私に当てられている腕に飛び掛かり、必死に牙を突き立てている。


 「嫌い! お前嫌い! 皆言う事聞いたのに、約束破った! アオイを返せ! ヘキも返せ!」


 必死に相手の腕をガジガジしている浅葱。

 その光景に何を思ったのか、彼は今まで以上に強い舌打ちを溢しながら浅葱の事を振り払った。


 「ふぎゃっ!」


 「アサギ!」


 地面に叩きつけられ浅葱の元に、すぐさま駆け寄る王子。

 彼は大きい、王子が浅葱を持つと本当にぬいぐるみの様だ。

 それこそ、掌に収まってしまうのではないのかという程。

 その大きな両の掌の上で、ぐったりと横たわる浅葱。


 「全く、躾のなっていない獣ですね」


 「どっちが?」


 「はい?」


 再び私の首元に戻って来る刃に、掌を当てた。

 ジワッと広がる痛み、したたる赤い血液。

 その光景に、一瞬だけ驚きの表情を浮かべる暗殺者。


 「言ったよね、警告は一回だけだって」


 「貴女は、いつまでそんな事を――」


 「“ひょう”」


 呟いたその瞬間彼の持っていた短剣が凍り付き、そのまま右腕を氷漬けにしていく。


 「ずあぁぁぁ!?」


 「うるさいよ。 私は警告した、それを無視したのは貴方だ」


 コツンッと叩いてやれば、真っ白に凍り付いた彼の腕が砕けた。

 根本まで完全に凍っているのだ、出血はしない。

 溶けた後は、知らないけど。


 「幽霊さん、一つお願いして良いかな」


 『……聞きたくない』


 「貴女の記憶を頂戴、貴女を頂戴? 私と一緒の存在になってくれないかな? そうすれば、皆の事が救えるから」


 『聞きたくない! 今までみたいに、力を貸すだけで良いじゃないか! 君が“私”になる必要はない! そうすれば……きっと、明日からも……』


 「ダメなんだよ、もう。 流石に”使い過ぎた”。 私に分かるくらいだ、貴女になら分かっているんでしょう?」


 『そんな事したら……全部交じり合う。 私という“色彩の魔女”と、アオイという“創碧の魔女”が交じり合う。 そしたら……本当に自分が誰か分からなくなるよ? “次に目覚めた”時に、君は全てを失う事になるかもしれないんだよ!?』


 「いいよ」


 『良い訳あるかバカ! 君は自分が無くなるという恐怖を理解していない! だからそんな簡単に決断出来るんだ!』


 悲痛な声を上げる幽霊さんに、思わず微笑みが漏れた。

 この人は……いや、この人も。

 随分と“想って”くれていたんだな。

 ありがたい限りだ。

 私の様な“無能”に、寄り添ってくれた。

 他の皆みたいに。

 だから、ひたすらに感謝を送ろう。

 貴女もまた、私の大切な人だ。

 厚かましいかもしれないけど、家族みたいに思っているんだ。


 「クロムウェル、お願い。 “ちゃんと”使い方を理解しないと、皆まで巻き込んじゃう。 私の家族を、皆殺しちゃう。 だから、“力を貸して”。 “貴女”を頂戴」


 『君は……何になるつもりだい?』


 「私は、“魔女”になる。 色彩でも、創碧でもない。 貴女と共に、ただの“魔女”になる。 私の“全て”を捨て去って、私の“全て家族”を守る魔女になるよ」


 『本当に、大馬鹿者だ。 君は』


 その瞬間、体の中に“ナニか”が渦巻いた。

 混じった、交じり合った。

 私という存在は、今から私では無くなる。

 それが、肌で、体で、頭で感じられる。


 『名前を決めておきたまえよ、[   アオイ]。 次に目覚めた時、その名前は既に失われている事だろう。 だから今決めよう、君は……誰だい?』


 あぁそうか。

 私が私を忘れるのなら、もう[   ]という名前は使えないのか。

 だったら、どうしようか。

 どうせなら“こっち側”に馴染める名前が良いな。

 そんな事を考えながら、周囲を見渡した。

 事態に付いていけないとばかりに、こちらを眺めている皆と。

 同じようにポカンと口を開けている獣人と暗殺者の人々。

 そして、更に視線を移せば。


 「あっ」


 『何か、良い物を見つけたかい?』


 ウチの庭先の花壇。

 そこには真っ白なアジサイが咲いていた。

 片手間に、アリエルと王妃様が育てていたソレ。

 ついでに、なんて言いながら随分と立派に育った綺麗な白い花。

 この子から、名前を貰おう。

 白い紫陽花。

 確か、その別名は。


 「私は、“アナベル”。 アナベル・クロムウェル。 何の特徴も持たない、ただの魔女。 色彩でも創碧でもない、ただの“魔女”」


 『承知したよ、アナベル。 私達は今から一つになる。 私は、私達はこれから……“アナベル・クロムウェル”だ』


 その声と共に、莫大な情報と魔力が流れ込んで来た。

 “進化”。

 この言葉が一番適しているのだろう。

 私は、今から私を捨てる。

 全てを忘れて、全てを捨て去って。

 新しい存在へと変わる。

 “魔女”へと変わる。


 「アオイ!」


 その名を呼ばれた瞬間、首を傾げてしまった。

 普段とは違う、随分と情けない声だったから。


 「やめてくれ……頼む」


 彼は見た事もない程にくしゃくしゃな顔で、私の事を見つめていた。

 あぁなんだ。

 アンタ、そんな顔も出来たんだ。

 思わずフッと微笑みながら、足元に転がる“創碧の鉄杖”を拾い上げた。


 「ごめんねアスティ。 今日はちょっと飲みに行けそうにないわ」


 ニカッと笑みを浮かべてから、“私達”は片腕を空に向かって突き出した。

 全てを終わらせるために。

 全部を、守る為に。


 「『“氷界”……絶対零度アブソリュート・ゼロ!』」


 その一言共に、全てが白く染まった。

 この街に、あり得ない“冬”が訪れた瞬間であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る