第40話 貴女を、ただ待っている


 ただただ真っ白な世界。

 吹き荒れる吹雪の中、彼女は“謳っていた”。

 片手に“創碧の鉄杖”を持ち、もう片手は上空に掲げながら。

 この歌は、聞いた事がある。

 どこかの国の“子守歌”だ。

 どこまでも柔らかく、暖かいその歌声が。

 今日だけはとても冷たく感じられた。


 「店長! 店長!」


 必死で声を上げた。

 でも、彼女には届かない。

 真っ白い吹雪の中、真っ黒い髪を風に揺らし、真っ赤な瞳で敵を睨む“魔女”。

 それでも、俺の大事な人なんだ。

 彼女が居たからこそ、俺は俺の技術に自信が持てた。

 彼女が居たからこそ、俺は俺を貫き通す事が出来た。

 だというのに。


 「師匠! お願いですから、行かないで下さい! 俺を、“置いて行かないで”下さい!」


 そんな叫びを溢した瞬間。

 彼女は、いつもの様な柔らかい笑みをこちらに向けた。


 「大丈夫だよ、ブルー。 もう大丈夫、私に任せて」


 「何が……大丈夫なんですか」


 「あ、そうだ。 もしも店を建て直すなら、名前を変えてもらって良いかな? 創碧じゃなくて“蒼碧”に。 私には、多分もう作れないから。 ブルーとヘキで頑張ってくれるって意味で、“蒼碧”。 こういう漢字ね、覚えて? 他の皆は王族絡みだし、多分これから忙しくなるよね」


 本当にいつも通りの声。

 ソレが、頭の中に響いた。

 暴風の中、吹雪の中。

 彼女の声がここまでしっかりと聞こえる筈がない。

 何かしらの魔法を使っているのだろう。

 そして、頭の中に浮かんでくる“蒼”という文字。

 “蒼碧の小物屋”。

 これからは、そう名乗れと店長が言っている。

 もう“創碧”の小物屋は無いんだと、ありありと実感してしまった。

 あの人は、“戻って来る”つもりがないんだ。

 戻ってこれなくなると分かっていて今、“魔女”に変わろうとしているんだ。


 「師匠! 絶対お店建て直しますから! 絶対貴女の家を元通りにしますから! だから!」


 「ありがとね、ブルー」


 必死に叫んでいたその唇に、何かが触れた気がした。

 え? なんて呟きながら、思わず唇を指でなぞる。


 『にへへ、“魔女”には色々な事が出来るんだよ。 覚えておくと良い、少年。 サービスだ』


 その声は、何処か店長らしくなかった。

 でも間違いなく、彼女は俺に向かって微笑んでくれていた。

 だったら。


 「待ってますからね、いつまでも。 ずっと待ってますからね!」


 「ありがと、ブルー。 お姉さんにもよろしくね?」


 『いつになるかは分からないけど、この場所に帰るよ。 “私達”は』


 彼女は同時に二つの言葉を紡ぎながら、“創碧の鉄杖”を振り上げた。

 全てが凍り、雪を巻き散らす中。

 “魔女”が杖を振り上げてみれば、暴風が止んだ。

 そして、残っているのは。


 「どこまでも、ウチの店長は勝手なんですから……」


 獣人達と暗殺者の手足を凍らせながら、自らは氷塊の中に埋まっていた。

 杖を振り上げた態勢で、それこそ猛々しい魔法使いの銅像の様に。


 ――――


 この日、この瞬間から。

 この街に1年ほど雪の降る“冬”の時期が訪れた。

 ずっと雪が降り続いているのに、積もらない。

 まるで景色として楽しめと言わんばかりの雪が、ずっと降り続いているのだ。

 少しだけ寒いと感じる気温ではあるが、コートを羽織ればどうという事はない。

 そんな、不思議な天気が続いていた。

 人々はコレを、“不吉の雪”と呼んだ。

 一人の魔女が呼び寄せた異常気象、天変地異の前触れ。

 様々な噂が飛び交う中、俺は今日も外に出る。

 仕事に行くんだ、天候なんか関係ない。

 というかこの雪は、俺たちを彼女が守ってくれた証なのだ。

 だったらこの掌に落ちる雪の一粒ですら、愛おしく感じる。


 「テリーブ、いってらっしゃい。 アオイ様によろしくね?」


 そう言って見送ってくれる姉さんに、思わず振り返った。


 「違うよ姉さん、俺は“ブルー”だ。 蒼碧の小物屋、店主代理のブルー。 あの人の代わりに、“蒼い”方を預かっているんだから」


 ニカッと、どこかの誰かの様な微笑みを浮かべてみれば。

 姉さんはクスクスと上品な笑みを浮かべる。

 普通こうだ。

 立場のある女性の笑みってのは、上品に笑うモノだ

 だというのに、ウチの店長と来たら。

 なははっとか、うははー! みたいに、色々な表情で笑うのだ。

 それも、随分と遠い記憶にはなってしまったが。


 「行ってくるよ、姉さん。 今日も色々と作らないと」


 「えぇ、行ってらっしゃいブルー。 店主代理、頑張ってね?」


 「おう! 行ってくる!」


 再びニカッと笑みを浮かべてから、俺は走り出した。

 今日も仕事だ。

 あの人が残してくれた“小物作り”という仕事をこなす為に、あの場所を守る為に、俺は働く。

 例え魔女がどうとか、不吉がどうだと言われても。

 そんなもの、知った事か。

 その対処法なら、既に習った。

 全力で笑えば良いのだ。

 悪い噂を流されても、思いっきり笑いながら「いらっしゃいませ」と声を上げればお客さんはこっちを見てくれる。

 商品を見てくれれば、興味を持ってくれれば。

 もう、こっちの勝ちなのだ。

 あとは言葉を紡げば良い。

 聞いてくれれば、言葉が通じれば。

 俺たちは“普通に”商売が出来るのだから。

 俺達の“商品”は売れるのだから。

 あぁ違うか、こんな言い方をすると店長に怒られる。


 「さて……今日も“作品”を作って、“お迎え”してくれるお客様を探しますかね」


 ニヘッと締まらない笑みを浮かべながら、俺は職場へと走るのであった。

 新しい職場、“蒼碧の小物屋”へと。

 さて、今日は何を拵えてやろうか?


 ――――


 「その後、アオイ殿には変化なしか?」


 「はい、父上」


 王の謁見室で膝を付き、何の感情も乗らない声を洩らした。


 「アオイ殿が“魔女”に進化を初めて一年半。 相変わらず、“氷”も溶けぬか……」


 「彼女が氷に埋まる前、“色彩の魔女”の方から僅かな声が聞えました。 “生きている内に、会える事を願え”と」


 「……そんなにか」


 父上は大きなため息を吐きながら、天井を見上げた。

 それはもう、大きな大きなため息を吐きながら。


 「“勇者召喚”。 異世界から民を呼び寄せる奇跡の召喚。 数多くの対価を払い、希望とも呼べる“ただ一人”を呼び寄せる召喚術。 正直、私にはどうでも良いのだ。 勇者など。 私は“異世界”が知りたかった。 まだ見ぬ世界を知る者と会いたかった。 そういう意味では、アオイ殿は素晴らしい女性だった。 しかし、やはり間違いだった。 私は、アオイ殿を不幸にしただけに過ぎない……」


 何かに耐える様に、王は苦しそうに言葉を紡ぐ。

 もしも彼女が“向こう側”に残っていれば、“こっち側”に来なければ。

 そんな未来を、訪れなかった現代いまを想像しているのだろう。


 「でも、アオイは言っていました」


 「ほう、なんと?」


 「“こっち側”が好きだと。 みんなちゃんと“生きて”いると」


 そう呟いた瞬間、王は更に上を向いた。

 両手で顔を塞いだ状態で。


 「……俺は、こんな時なんと言葉にすれば良いのか分からない。 アスティ、この気持ちを……お前なら理解できるか?」


 「嬉しくも、“寂しい”です。 ただただ、アオイに会えない今が、俺には辛いです。 彼女との記憶は、過去に置き去りにするにはどれも暖かすぎる」


 「大人になったな、アスティ」


 そんな言葉を交わしながら、俺たちは静かに時を過ごした。

 彼女が目覚める事を願いつつ、変わらない日常を過ごす他なかった。

 毎日の様に、“蒼碧の小物屋”に顔を出し。

 氷の中で眠る彼女を眺める。


 「アオイ、早く起きろ。 このままでは……俺はジジイになってしまう」


 そう呟きながら、彼女が纏う氷に触れるのであった。


 ――――


 人は、生まれながらにして意味を持つ。

 そんなセリフを聞いたのはいつの事だったろうか。

 いまだから言えよう。

 ふざけるなと。

 私は、何の意味も持たぬまま生きて来た。

 ただただ生きて、親の言う通りに過ごして来た。

 でもある時、とても“難しい”人を見かけたのだ。

 誰に話しかけられてもブスッとしていて、常に不機嫌そう。

 ここはパーティー会場なのだ。

 ある意味凄い。

 あそこまで不機嫌を露わにしても、周りに人が寄って来る。

 きっと凄い人なのだろう。

 とても地位の高い御方なのだろう。

 そんな事を考えながら眺めていると。

 ふと、眼があった。


 「……」


 人込みの向こう、数々の人の向こう側。

 私とは違う世界。

 だから気のせいだと、勘違いだと思ったのだ。

 あんな人が、私に興味を持つはずがない。

 私なんかを気にする筈がないと。

 でも。

 この日だけは、少しだけ勇気を振り絞った。

 本当に小さく、手を振ってみたのだ。

 すると。


 「……え?」


 彼は周りの人々を押しのけ、私の元へと真っすぐに向かって来た。

 そして私の正面に立ち、真っすぐにコチラに視線を向けて来る。


 「君は、飾らないんだな」


 そう言ってくれたその人が居たから、今の私が居る。

 この人が好きだ。

 この人と共に生きよう。

 出会ったその瞬間だというのに、そんな事を思ってしまったくらい。

 だから、なのだろう。


 「はぁ……王子、口元が凄い事になってますよ? ホラ、ハンカチ」


 「そうか、やはりクレープは食べるのが難しいな」


 あの光景を見た時は、胸が張り裂けそうになった。

 王子が……アスティ様が他の女性に、私以上に心を開いている光景。

 思わず逃げ出した。

 私はいらないんだと、涙を溢しながら走ったというのに。


 「やぁやぁ随分と可愛らしい茶髪っ子よ、よくいらっしゃった。 私は彩花 碧。 異世界から来た“小物作り”だ」


 色々あって、“その人”と会う事になった最初の出会い。

 それが、コレである。

 馬鹿みたいだ、色々考えていた私が。

 どこまでも彼女はふざけていて、賑やかそうとして。

 それでいて王子までも場の盛り上げ役に使おうとする、訳の分からない人だった。

 本当に、今まで出会って来た人々とは全然違う。

 どこまでも真っすぐな人だったのだ。


 「ねぇねぇ、シリアはどんな食べ物が好き?」


 「えぇと、リンゴとかでしょうか? 後は海老なんかも好きです」


 「それじゃリンゴの木を植えてみようか。 流石に海老の木は無いけど、海老の木……あったら良いなぁ、私も好きだし。 まぁソレは良いか。 どうせ広い庭だし、リンゴの木が一本くらい増えても良いでしょ」


 「そんなにすぐには育ちませんよ?」


 「まったり待てば良いじゃない、どうせ急ぐ事でもないしさ」


 なははっと笑いながら、私達は庭の隅っこにリンゴの種を植えた。

 まるで子供の遊戯だ。

 実る筈がない。

 そんな風に、思っていたのに。


 「アオイ様。 今年も、立派なリンゴが実っていますよ?」


 普通ではあり得ない速度で育ったリンゴの木が、数多くの赤い実をぶら下げていた。

 この果実を、貴女と共に齧りたかった。

 きっとあなたの事だ。

 豪快に齧りつき、旨い! とか叫んだのだろう。

 そして手遊びついでに、このリンゴを使って色々と拵えてくれたのだろう。


 「また、作っているのか」


 「はい、アスティ様。 リンゴと言えば、コレですから」


 私の掌には、切り分けられたリンゴが。

 真っ赤な皮を残しながら、立派な耳が付いたソレが乗っていた。


 「リンゴの兎さんなんて、誰が考えたのでしょうね?」


 「アオイに聞いたら、知らんと言われそうだな」


 「確かに、その通りです」


 そんな事を呟きながら、私達は皺だらけの手でリンゴを頬張るのであった。

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