第13話 記憶
隠し扉の向こうには、階段が続いていた。
下りの階段、まるで地下室に向かう様な。
「ななな何か出るかもしれん、二人は俺のううう後ろに!」
スマホのバイブレーションの様に揺れる王子が、剣に手を掛けながら先頭に立つ。
おいおいおい……大丈夫か?
「確か前にここに住んでいた“異世界人”は、“絵を描いている”間は音もなく、誰にも邪魔されない環境で過ごしたって聞いたけど……まさか、この先?」
王妃様が興味深そうに覗き込んでくるが、流石にこの人を先に行かせる訳にはいかないだろう。
なんたって国のナンバー2の偉い人だし。
だとしたら、次に続くのは私だ。
「アオイさん? どうしました?」
「何か凄い音がしましたけど……大丈夫ですか?」
リビングからそんな声が聞こえてくるが、「大丈夫!」とだけ声を掛けて前を向き直る。
未開拓領域に、お姫様と王子の婚約者まで向かわせられるか。
二人には、そのまま作業を続けて頂こう。
という訳で。
「行ってみますか」
「何故そんなにお前は冷静なんだ! 幽霊屋敷に隠し扉だぞ!」
「いや、今では我が家ですから。 良く分からない場所が下にあるって、逆に怖いでしょ。 それに浅葱も落ちて行ったし」
「そうねぇ、アサギちゃーん? 大丈夫ー?」
「あーい!」
階段下からは、元気な声が返ってくる。
多分、大丈夫なのだろう。
そんな訳で、私達三人は暗い階段を下りていくのであった。
――――
「コレはまた……御大層な扉です事」
「浅葱見つけた! 偉い!?」
「偉いねぇアサギちゃん、凄いねぇ!」
「この先に……幽霊が……」
色々と鬱陶しいギャラリーを周りに携えながら、目の前の扉を眺める。
第一印象としては、牢獄。
しかも重罪人でも捕らえられているんじゃないかってくらいに、重苦しい雰囲気の扉。
そして私達が到着した瞬間に両脇の蝋燭に火が灯り、扉からは「カチャッ」というあからさまな開錠の音が聞こえて来た。
うわぁ……これ絶対魔法的な何かじゃん。
入って大丈夫かな?
扉を開けた瞬間トラップとか作動しない?
とかなんとか思って扉を突いてみたが、今の所何も無し。
ふむ、なるほど。
入った瞬間何かあるタイプか?
という訳で。
「ノックしてもしもーし!」
「アオイ! 何をしている!?」
とりあえず、扉を蹴り開けてみた。
その奥に広がるのは……広がるのは。
「見えん」
「暗いわねぇ……」
「浅葱が見てこようか?」
「浅葱、待て。 待てだよー」
「あい」
廊下側の壁に蝋燭の光があり、ソレを遮断する壁と扉があるせいでろくに見えない。
幸い扉を開けた瞬間正面から銃弾が飛んでくるとか、クレイモア地雷が仕掛けられているということは無さそうだ。
全て結果論だが、生きている事に感謝しよう。
「アオイ、もう少し警戒心を持て。 最初に室内に入るのは俺だ。 良いな? 絶対だぞ?」
「……フリ?」
「来たら怒るぞ?」
「あいさ」
そう言ってから、やけにへっぴり腰の王子が剣を構えて室内に侵入……侵入して……。
「おい早く行きなさいよ! 気になるでしょ!」
「う、うるさいぞ! こういう未知の場所では常に細心の警戒をだな!」
室内に半歩入る前に何分掛ける気だコイツは。
ジリジリと数ミリずつ進みながら、周囲を見渡す首は歩幅の三倍くらいキョロキョロしておられる。
「王子、上と下と左右、あと正面に気を付けて。 私の知る限り上からギロチン、下から毒ガス、横から棘か壁が迫って来るか、目の前からショットガンをぶっ放されるかもしれない。 全部映画の知識だけど」
「俺は一体どこに注意したら良いんだ!?」
「あ、それから正面から光の線が迫ってきたら避けてね? 鎧ごとぶった切られるよ?」
「そんなに恐ろしいトラップがあるのかアオイの世界には!」
色々とアドバイスしてみたが、どうにも逆効果だったようだ。
王子は周囲にキョロキョロと視線を動かすばかりで、一歩……半歩? 踏み込んだ所で動かなくなってしまった。
ふむ、仕方ないね。
だったら、踏み込んでみようではないか。
危ないかもしれないけど、ココは我が家なのだ。
そんでもって、前に使っていた人が“作業スペース”として使っていた場所なら多分。
「よっと」
「アオイ!」
「多分平気だって。 だって前に住んでいた人も“クリエイター”だったんでしょ? だったら余計なモノを作ったりはしないって。 ほら」
私が踏み込めば、室内に証明が灯る。
蝋燭じゃない、まるでLEDの様な明るさで光る照明。
「魔石を使った照明ね……でも、これは」
「ゴチャゴチャ! アオイに怒られるヤツ!」
続いて踏み込んで来た王妃様と、アサギが声を上げた。
そう、二人の言う通り見た事の無い照明器具に、散らかった部屋。
キャンバス、絵具、筆。
更には鉛筆や床に散らばった描き途中のノートの紙切れ。
そして。
「……は、はは」
「アオイ? どうした?」
ガタガタと身体が震えているのが分かった。
そして、ココが“幽霊屋敷”なんて言われている理由も。
“コレ”を見れば、誰だって身が震えるだろう。
怖くなるだろう。
そして私の様な“異世界人”なら、尚更。
「ココに前に住んでた人って、この場で死んだ……とか無いよね?」
「ソレは無い、聞いた話では年老いて眠る様に息を引き取ったそうだ。 見た目は若いままだと記されていたが……詳細は分からん。 そしてしっかりと葬儀も行われていると記録に残っている。 それが、どうかしたのか? この壁に描かれた模様……文字、か? 何が書かれているんだ?」
ガタガタと震える私はその場に膝を付きそうになるが、王子が支えてくれた。
でも、コレはあまりにも……。
「この人は、どんな人だったの? どんな事をして、どんな最後を迎えたの? 全部教えて、じゃないと……私、ここに住めない」
壁一面に描かれていたのだ。
所狭しと、色んな色を使って。
“日本語”が。
『逃げろ』 『忘れるな』 『使うな』 『私は私だ』 『忘れたくない』 『思い出せない』 『助けて』 『私は“こっち側”の人間じゃない、筈だったのに』
そんな文字が、視界一面に書きなぐられていた。
何? コレは。
何を伝えたいの?
この強い感情は、何を示しているの?
見ているだけで眩暈がする、この文字を壁一面に描いた人物の気持ちに、押しつぶされそうになる。
そして、室内にはそこら中に散らばるキャンバスや筆。
スケッチブックや鉛筆や絵の具の数々。
どれも私の見た事のある代物だった。
全て見覚えがある、間違いなく“向こう側”から持ってきた物だ。
そして。
「どういう事? 何なの?」
部屋の中心には机と椅子。
更に、机の上に乗っているのは。
「昔の人……じゃなかったの?」
どう見ても、液晶タブレットとペンタブが転がっているのだ。
そして、積み上がるような数のノートが。
どれもこれも見覚えがるし、周囲を囲む怖い文字の数々。
“見るな”。
心の何処かで、そんな声が聞こえた気がする。
“戻れなくなる”
直観がそう告げていた。
でも、私は。
積み上げられたノートの一冊を手に取ってしまった。
そして。
『12月24日。 今日はクリスマスイヴだ、“向こう側”では。 まだ、私は覚えている。 今日がクリスマスという日の前日だという事は思い出せる。 でも、クリスマスが何だったのかは思い出せない。 でも楽しい……というか、お祝いする様な日だったと思うんだ。 だから、一人でもお祝いしようと思う。 何たって、明日はクリスマスなんだから……』
文の初めを読んで、思わずゾクッと背筋が冷えた。
慌てて他のノートを漁ってみれば。
『今日は7月7日。 日本では七夕……で良いのだろうか? 確か星空がどうとか言っていた気がするが、今では思い出せない。 物語があった筈だ、王子様と王姫様……いや、違うか? 勇者と姫様だっただろうか? よく思い出せない。 少し“使い過ぎた”のかもしれない。 過去の日記を漁って、確かめようかと思う』
訳も分からず違うノートを開いてみれば。
『誰か、教えてくれ。 私は、“どっち側”の人間なんだ? もう、自分でもよく分からない。 感覚では“どこか他の世界の人間”だったという認識はありながらも、“その世界”が思い出せない。 私は、誰だ? 私の名前は? 私はどこの生まれだ? いくら地図を眺めようと、ココが私の故郷だという感情を得る事が出来ない。 私は、一体……どこから来た?』
「ひっ!」
「アオイ! どうした!?」
余りにも酷い内容にノートを放り出してみれば、机に躓いてしまった。
そこら中に散らばる“誰か”の日記。
そして、私の足元に開いたその本には。
『もしもこの日記を読む異世界人が居るのなら、気を付けた方が良い。 この“世界”は、私達を喰らう。 私達を“こっち側”に染め上げる。 染まり切ったその時、多分アナタは自身の名前すら思い出せないだろう。 現に私は“名前”を失った。 だからこそ、偽名を名乗った。 そしてソレがステータスプレートに現れてしまったのだ。 私は、“元の私ではなくなった”。 だからこそ、見失わない様に気を付けた方が良い。 私は“使い過ぎた”為に、“――”という国で得た名前を、失ってしまったのだから』
どう考えても、異常な文字の羅列。
まるで呪いの文章の様に感じられるソレだが、ほとんどが“日本語”で書かれているのだ。
既に自身の出身国を忘れるほどに削られた記憶の中で、この人はあえて“日本語”でこの文章を残したのだ。
その想いが、この人に起きた現象が。
兎に角、怖かった。
忘れる、喰われる、名前さえ思い出せなくなる。
なんだ、なんだそれ。
そして、この大量の日記と壁に所狭しと描かれた心の叫び。
怖い、全てが怖い。
こんな風に感じたのは、多分初めての経験だ。
「アオイ! どうした!? アオイ!?」
「アオイちゃん!? どうしたの!?」
「アオイ! アオイ! 痛い!?」
皆がコチラを覗き込みながら、必死に声を掛けて来てくれている。
大丈夫、私は“まだ”彩花 碧だ。
この人物の様に、自分を見失ってはいない。
大丈夫、大丈夫だ。
だからこそ。
「うん、平気。 ハハッ、凄い所見つけちゃったね」
そんな事を言いながら、微笑みを浮かべるのであった。
大丈夫、大丈夫だ。
私はまだ、アオイで居られている。
ちゃんと“向こう側”の事も覚えているいし、小物作りの知識であれば隅から隅まで思い出せる。
だからこそ、大丈夫だ。
もっと細々とした常識というか、知識から忘れていくのかもしれないが……“こちら側”で住む以上、そんな事大した問題にはならない筈。
「アオイ、平気?」
「ごめんね、大丈夫だよアサギ」
ん? あれ?
何か今、私発音が変だった気がする。
「アサギ?」
「あい」
「あ、さぎ? アサギ……浅葱?」
「あい?」
不思議そうに首を傾げながら、私の膝に乗ったアサギは返事を返して来る。
なんだろう? 何か違和感を持った気がしたのだが……気のせいかな?
「ううん、なんでもない。 一回上に戻ろうか」
「あい!」
元気に声を返して来る浅葱の頭を撫でながら、私は立ち上がった。
大丈夫、大丈夫だ。
私はコレと言って不具合は起きていないし、日記を全て読んだ訳でもない。
何が原因で“この人”がそうなったのかも分からないし、私もそうなるとは限らない。
だからこそ、心配する必要などない……と思いたいのだが。
「私が猫を好きになったのって……いつからだろう?」
ぼんやりとする記憶を抱えながら、私は王子と王妃様と共に。
地上の室内へと一旦帰還するのであった。
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