第11話 黒い聖女


 正直に言おう、めっちゃ怖い。

 何たってデッカイ黒ヒョウが目の前に居るのだ。

 すんごい唸ってたし、“向こう側”の動物園に居た豹よりもでっかい。

 でも、だ。

 美しいとしか言えない黒毛を揺らし、更には吸い込まれそうな真っ黒いその瞳は……随分と辛そうに見えたのだ。

 まるで何かに縋る様に、助けを求めているかの様に。

 そして、この小さい方の子。

 どう見ても仔猫。

 弱々しくて、自然界では絶対生きていけなそうな見た目をしているというのに。

 必死に自身の母親に近づけまいと威嚇してくるのだ。

 怖いのか、プルプルと全身を揺らしながらも一歩も引かずに。

 どう見たって、普通じゃない。


 「大丈夫、大丈夫だよ」


 自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎながら、スッと右の拳を差し出してみる。

 確か猫や犬のご挨拶。

 上からいくと攻撃だと思われてしまうらしいから、相手の視線より下から差し出す。

 そんでもって、掌を広げてしまうと大きく見える事から威嚇されていると思われるらしく、仲良くなりたいなら握りこぶしを作って小さく見せる。

 そのまま近づけてやれば。


 「そうそう、怖く無いよ?」


 クンクンと私の握りこぶしに黒ヒョウの鼻息が掛かる。

 随分と入念に匂いを嗅ぎ、やがて……。


 「うひゃぅ!」


 ベロリと、私の拳を一舐め。

 その際私の襟元、というか首の後ろ当たりの襟首を掴んだ王子の手がビクリッと震えたのが伝わってくる。

 いざという時は後方へ引っ張るつもりなんだろうが……どこを掴んでいるのか。

 私は小動物じゃないぞ。


 「平気だよ、私は敵じゃない。 ホラ、水飲める? それともご飯食べる?」


 逐一言葉にしながら、相手を警戒させない様にゆっくりとした動きでマジックバッグから桶と水。

 先程の串焼き肉を取り出して目の前に並べていく。

 それらを警戒するかのようにクンクンと匂いを嗅いだ後、やはり仔猫の方に視線をやり水を飲ませる。

 足が短すぎて、結構危ない態勢でガブガブと水を飲み始める仔猫。

 でも、親の方は飲んでくれないし食べてくれない。


 「まだまだいっぱいあるから、食べて良いんだよ? それとも、何処か痛い?」


 そう問いかけてみれば、大きな黒ヒョウはスッと頭を下げたかと思うと「マァウン」みたいな低い声で悲しそうに鳴き始めた。

 そして、ゴロンと転がって横向きにお腹を見せる。

 そこには。


 「酷い……」


 未だ血が流れるお腹には、ざっくりと開いた切り傷があった。


 「待っててね、すぐ治療するから」


 「止めろ、相手は魔獣だ! 何かの拍子に攻撃でもされて見ろ! お前が死ぬぞ!」


 「でも!」


 そんな口論を王子と繰り返している内に、黒ヒョウはスッとお腹の傷を隠してしまう。

 更には、ゴロゴロと喉を鳴らしながら大きな頭を私の膝の上に乗せてくる。

 魔獣の事はよくわからないが、猛獣として知られる豹がこんな事をして来るなんて本来あり得ないだろう。

 相当慣れた相手じゃないと、絶対こんな事しない。

 だというのに。


 「ごめん、ごめんね?」


 私は黒ヒョウの頭を撫で続けた。

 凄い毛並みだ、サラサラと指の間を通る長く綺麗な毛並み。

 だというのに。


 「こんなに冷たくなるまで……頑張ったね、偉いよ。 大丈夫、この子は私が守るから。 大丈夫だよ。 ごめんね、何も出来なくて。 ごめん……私には、何も出来そうにない。 貴女を、助けられそうにない……ごめんね」


 冷たいのだ。

 もうとっくに限界を超えているのだろう。

 撫でているその体は、僅かな温もりを残してどんどんと冷たくなっていく。

 そして、私の膝まで染み渡ってくる血液。

 ジワリ、ジワリと温かい血液が私の服を汚していく。

 その分、この子の体から体温を奪っていく。


 「ゴメン、ゴメン……本当にゴメンね。 助けてあげられない……ごめんね」


 ぎゅっとしがみ付く様に、その大きな頭を抱えてみれば。


 「ウナァン」


 「ふふっ、本当に猫みたいな声」


 目元を拭ってから頭を撫でてみれば、大きな獣は私の掌に頭を擦りつけて来る。

 ゴロゴロと喉を鳴らし、再び膝の上に戻ったかと思えば。


 「ごめん、ね? もうゆっくり休んで? 間に合わなくて、ごめんね」


 私の膝の上で今、一つの命の灯が消えた。

 スッと眠る様にとても静かに、そして穏やかに。

 眼を閉じると同時に、大きな頭は今までよりもずっと重くなった。

 こちらまで冷たくなってしまいそうだと感じる程の体温、ピクリとも動かない身体。

 更には。


 「ビヤァ! フニャァッ!」


 さっきまで水を飲んだり肉を齧ったり、大忙しだった仔猫も異変に気付いたのか。

 私の膝の上で眠る黒ヒョウに喉が枯れそうな叫び声を上げ始める。

 必死に大きな黒ヒョウを揺らしたり、飛びついたり。

 そして終いには、私を見上げて「何で?」とばかりに視線を向けてくる。

 ごめんね。

 助けてあげられなくて、ゴメンね?

 再びギュッっと黒ヒョウの頭を抱きしめる。

 冷たい、とんでもなく冷たい。

 コレは魔獣、人を襲う恐ろしい相手。

 だというのに、今目の前にいるこの親子からは、そんな気配は微塵も感じられなかった。

 それどころか、この子達の生き様に思わず両方の目から涙が零れた。


 「ごめん、本当にごめんね……私じゃ、助けてあげられなかった」


 グッと力を入れて抱きしめれば、ペロッと私の涙を舐めるザラついた舌の感触。

 眼を開いてみれば。


 「人間、怖い」


 小さな仔猫が、私のすぐ近くまで歩み寄って来ていた。

 母親とは違う白黒まだらに浅葱色の瞳。

 ふふっ、君は随分と目立ちそうな“色”をしているんだね。

 なんて微笑みを浮かべ。


 「初めまして、私は碧」


 「はじ……まし? アぉイ?」


 「そう、碧。 一緒に来ない? 家族になろうよ」


 「アオぃ……アオ、イ。 アオイ!」


 「そう、碧。 よろしくね、凄く綺麗な瞳の仔猫さん? その瞳から取って、浅葱って名前にしようか」


 「アサ、ギ……?」


 「そう、浅葱。 君の瞳の色だよ」


 「アサギ、アサギ! ――※※は?」


 「え?」


 「※※――も!」


 そう言いながら、仔猫はカリカリと母親の頬を引っ掻く。

 連れて行こうとしているのだろう、母親にも名前をくれと言っている様にも思える。

 でも。


 「ゴメンね……一緒にお別れしようか」


 「フシャァッ!」


 「嫌だよね、ゴメンね。 でも、ママにバイバイしよう?」


 ゆっくりと仔猫を抱き上げ、母親の目の前に座らせてやれば。

 スンッと耳を折りたたみ、母親と鼻をこすり合わせる。

 きっと鼻先に感じているのだろう、母親の冷たさを。

 最後に残る母の匂いを感じながら、戻ってこないと理解してしまったのだろう。

 仔猫は、私の膝の上でスッと大人しくなってしまった。


 「ごめんね、君は……浅葱は私が守るから。 寂しいかもしれないけど、バイバイしよう? お母さんは、おやすみしたんだよ? 疲れちゃったみたいだから、お休みさせてあげよう?」


 「バイ、バ……バイバイ?」


 「そう、バイバイ。 お休みなさいって、言って上げて? 君なら、言葉に出来るでしょう?」


 言葉を紡ぎながら小さなその頭を撫でてみれば、母親に負けず劣らず指触りの良い毛並み。

 あぁ、親子なんだなぁなんて思えば……また目尻から涙が滲んで来た。


 「ごめ、ごめん……ね? お母さん助けられなくて」


 私はその日、“こちら側”に来てから初めて死というモノを目の当たりにした。

 家族や祖母、そう言った死を経験し随分と“慣れた”つもりでいたのに。

 慣れる事なんか無いんだ、“死”というモノは。

 もう会えない。

 この先の世界は、大切な“何か”を失ったまま進んでいく。

 その現実が、私の膝の上に乗っている小さな命にのしかかっていると思うと。

 正直やりきれない。

 人語を喋る魔獣。

 “珍しい”と評され、人々は興味を持つかもしれない。

 だからすぐに殺される事は無いのかもしれない。

 でも、私達に分かる言葉を喋るこの子だからこそ。


 「ごめんね……ごめんね……」


 「アオイ、アオイ。 痛い? アサギ、居る。 平気」


 余計に、胸が締め付けられる様な”想い”を感じてしまうのだ。


 ――――


 「王子! お待たせしました! ご無事ですか!?」


 「黙れ」


 「はい?」


 救援に来たというのに、不愛想な王子はスッと此方に掌を向けるだけで、その瞳さえも合わせない。

 流石にソレはないだろう、せめて状況説明を……なんて思いながら彼の視線を追って見れば。


 「こ、これは……」


 巨大な影豹。

 そんなモノが街中に入り込んでいるという時点で大問題だが、目の前の光景はそれ以上に訳の分からないモノだった。

 倒れ伏した影豹、その頭を一人の少女……女性? は大きなソレを膝に乗せている。

 まるでペットか何かの様に、何処までも落ち着いた表情で眠る魔獣からは、夥しい量の血液が血だまりを作っていた。

 アレではもう、生きては居るまい。

 危機は去ったと考えれば良いのか、それとも。


 「随分と、悲しい光景ですね」


 「あぁ。 だから、しばらく待て。 すまない」


 大きな影豹の頭を膝に乗せ、優しくその頭を撫でる彼女は……泣いていた。

 愛しい我が子を慈しむように、ゆっくりと。

 そして優しく撫でながら、彼女は“謳っていた”。

 黒目黒髪の少女。

 まるで影豹の様に、月光が反射しそうな美しい黒髪を揺らしながら。

 彼女はどこかの国の子守歌を口ずさんでいた。

 命の灯が消えた魔獣に対して、少女は歌う。

 悲し気に、愛おしむかの様に。

 相手は魔獣だというのに、まるでその魂に安らかな眠りを届けるかの光景。

 本来であればあり得ない。

 魔獣は敵、倒すべき相手。

 そういう認識であった我々からすれば、激高してもおかしくない光景。

 しかし、我々の中から声を上げるものは居なかった。

 というよりも、声を掛けられる者は存在しなかった。

 それくらいに、美しいと想えたんだ。


 「あの魔獣の子は……」


 「彼女がどうしたいか、その判断を仰ぐ。 今この場で取り上げる事が、お前には出来るか?」


 「ご冗談を。 そんな事をすれば、私は部下達から軽蔑の目で見られてしまいます」


 彼女の膝の上には、影豹の子供とみられるもう一匹の獣が。

 随分と小さい、だからこそ討伐するのは簡単だろう。

 今すぐに駆除すべきだ、相手は魔獣だ。

 それが分かっていても、私達は動けなかった。

 泣き疲れたかのように、黒髪の少女に寄りかかる小さな命をどうして奪う事が出来ようか。

 思わずそんな事を考えてしまう程に、美しい光景だった。

 この光景を誰かに絵にしてほしい。

 思わず、そんな事を考えてしまった。

 きっとその絵を見た人間は様々な感想を述べ、色々な感情を心に抱く事だろう。

 そして、多分タイトルは。


 「黒き聖女は、全ての命を慈しむ。 と言った所ですかね」


 「フンッ、アレが聖女なんて柄か。 ゴミ屋敷の守り人で十分だ。 あまり遠くに行かれては困る……守れなくなるからな」


 良く分からない台詞を吐いた王子は鼻を鳴らしながら夜空を見上げ、その後喋らなくなってしまった。

 我々の仕事は、国の民を守る事。

 緊急の救援要請を受けたからこそ駆けつけたが……どうやら仕事はあの魔獣を運ぶ事に変わった様だ。

 解体するのか、それとも弔うのか。

 それは、全て彼女の意見に従おう。

 王子ですら“彼女に任せる”という程なのだ、相当な権力者なのだろう。

 ただ、もしも。

 なるべく優しく弔って欲しいと言われたその時は、我々は全力でソレに答えよう。

 友の亡骸を運ぶ時の様に、愛しい誰かの亡骸を運ぶその時の様に。

 だが、今は。

 今だけは、彼女の歌声を聞いていたい。

 耳馴染みは無くとも、美しく優し気なこの歌声を今は聞いていたい。


 「全ては、黒き聖女の御望みのままに」


 「止めろ、アイツはそんな事を言えば調子にのる」


 王子の鋭い声を頂きながら、月光が差し込む路地裏で物音も立てずに。

 彼女の唄が終わるまで、ジッと静かに待機するのであった。

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