第10話 獣と人
息を切らして路地裏に走り込めば、そこには一匹の仔猫がこちらを睨んでいた。
やった、やったよ!
こっちにも猫居たよ!
姫様が猫好きだって言っていたから存在する事は分かっていたけど、それでも第一猫発見だよ!
しかも、目の前に居るのは。
「は、反則やろうコレは……」
「シャァー!」
可愛らしい白黒のハチワレ。
そんな模様の仔猫が、レッサーパンダの様な態勢で威嚇していた。
詰まる話二本足で立っているのだ、前足は頭上に掲げながら。
更には、更にはだよ。
手足が短い上に毛が長いのだ。
ペルシャとか、スコティッシュフォールドみたいにモサモサしていて。
マンチカンみたいに短い手足。
なんだこのハッピー欲張りセットみたいな生き物は。
ソレが、見るからに野良。
アカン、鼻血出るわ。
「ヤバイ、可愛すぎてどうしよう」
なんて、思わず鼻の頭を押さえて上空を見上げてみれば。
「ヒト! くるな! ダメ!」
「……ん?」
何か、随分高い声が聞こえた気がするのだが……。
「え? 今喋った? アレ? 王子、おうじー? この世界の猫って喋るのー?」
声を掛けてみれば、丁度その場に到着する王子の姿が。
やけに呆れた上に疲れた表情をしている、はぁぁっと大きなため息を吐いてからコチラを睨んで来た。
「酔い過ぎだ、早く帰るぞ。 猫が喋る訳がないだろう、猫は人語を喋らない」
そんなお叱りを受け、手首を掴まれて元の道に戻されそうになったその時。
「ダメ! ヒト! 怖い!」
「「……」」
もう一度、その声が聞こえた。
喋ったよね?
今絶対喋ったよね?
この子だよね? 声上げたの。
なんて、王子を見上げてみれば。
「喋ったな」
「喋ったよね?」
二人してそんな声を上げた瞬間、急に手首を引かれ王子の後ろに回されてしまった。
いってぇわ! なんて言える暇もなく彼の背後に放り投げられ、更には抜剣する音が暗い路地に響く。
「チッ……どこから紛れ込んだ」
今まで聞いた事が無い程、王子の低い声が響くのであった。
思わず視線を前に向けてみれば、そこには。
「黒ヒョウ?」
「魔獣だ! 非常に頭の良い魔獣だから気を抜くな! コイツ等は平然と罠を張る程に利口だ! それこそ、お前よりも!」
「一言余計じゃないですかね!?」
色々とツッコミたい所はあるが、さっきのレッサーパンダの喧嘩ポーズを取っているスコ猫の後ろには、立派な毛並みの黒ヒョウが唸り声を上げていた。
私なんかパクリと食べられてしまいそうな程に大きな。
だというのに。
「怪我、してるの?」
グルルル! と唸るばかりで、相手は一向にこっちに向かって来ない。
暗がりで良く見えないが、“ソレ”が現れてから確かに鉄臭い匂いが裏路地に充満している気がする。
「見せて! 早く! 死んじゃう!」
「馬鹿者! 死にたいのか!」
そう言って駆け寄ろうとすれば、大声を上げる王子。
その声に反応したのか、先ほどよりもグルルル……と低い声で威嚇してくる黒ヒョウ。
結局両者睨み合ったまま。
あぁもう! このままじゃ埒が空かない!
「ちょっと待ってて! そこ動いちゃ駄目だからね!? 王子! 見張ってて!」
「おいコラ! 何処へ行く!? お前から目を離す訳にも、魔獣から眼を離す訳にもいかない俺はどうすれば良い!?」
「その子見てて! すぐ戻るから!」
そんな訳で、私は明るい道まで全速力で駆け戻った。
そして近くの屋台へと駆け込み。
「すみません! その食べ物いっぱい下さい! あと水と桶もらえますか!? それから医療品って何処に行けば売ってもらえますか!?」
「うぉっ!? どうした嬢ちゃん、ビックリするじゃねぇか。 ん? アンタ確か昼間の露店で小物屋やってる――」
「緊急なんです!」
「お、おう? 分かった。 ちょっと待ってな? うおぉぉい! テメェら! だれか包帯と薬もってねぇか!? 持っている奴はすぐこっちこい! 誰か危ねぇ奴がいるんだとよ!」
屋台のおっちゃんが大声を上げれば、周囲の屋台やお店からゾロゾロと人が現れ此方に歩み寄って来た。
やはり露店や周囲の店というのは繋がりが強いのだろうか。
たった一声で、ワラワラと人が集まって来る。
「ホラ薬持って来たぞ! コッチがポーションで、こっちが傷に直接塗る薬な? コレで足りるかい?」
「お、小物屋の嬢ちゃんか。 ホレ、包帯だなんだと色々入ってる。 持って行きな!」
「オラ、小物屋の嬢ちゃん。 コイツ貸してやるからいっぺんに持ってきな、マジックバッグだ」
「食い物と水、あと桶だったか? 全部用意出来たぞ!」
多くの人が色んなモノを差し出してくれる中、一人のおっちゃんが腰ポーチみたいなバッグに次々と物品を突っ込んでいく。
なんだあれ、明らかにサイズと入れている物の量が合ってない。
ゲームや漫画に登場するアレだろうか、見た目に反していっぱい入っちゃう収納手段。
”マジックバッグ”とか言って行ったし、そういうモノなんだろう。
ヤバイ、私も欲しい……て、今はそれどころじゃない。
「皆さんありがとうございます! 後でお代はちゃんと払いますので!」
「そんなもん良いからさっさと行きな! それとも誰か付けるか!?」
「大丈夫です! 行ってきます!」
集まってくれた皆さんに頭を下げてから、再び路地裏に飛び込んだ。
背後からは、色んな声が聞こえる。
応援してくれる声、心配してくれる声。
やっぱり異世界は凄い、皆が温かい。
緊急事態には、皆力を合わせようとすぐさま協力してくれる。
“向こう側”でも優しい人は居たけど、こういう事態になると遠目で見ているだけだったり、カメラを構える人間が殆どだった気がする。
“こっち”でカメラなんか見た事ないから、構える人間が居ないのは当たり前かもしれないが。
それでも、こんなにも多くの人が何も疑わず手を貸してくれる事なんか無かっただろう。
緊急事態ではあるし、早く戻らないといけないのだけども。
「やっぱり、いいな。 この世界」
緩んだ頬は、なかなか元に戻ってくれなかった。
――――
「チッ! “影豹”とは、厄介だな……」
長剣を構えながら、目の前の魔獣を睨む。
明かりの無い路地裏では、影にでも潜られてしまえばすぐに見失ってしまう可能性もある。
それくらいに、真っ黒な毛並みなのだ。
しかもこの魔獣は、文字通り“影”に潜る。
ソレをやられてしまえば、急に背後から齧られるなんて事態も発生する事だろう。
動き回るスペースも無し、戦場という訳でもないのでフル装備でもない。
そもそも兵士、騎士というのは対人戦を得意とする。
そして彼らと共に訓練を受けている俺は、当然彼等に近い。
魔獣を相手にする事もあるが、やはりソレの専門家と言える民間の“ウォーカー”達と比べれば、天と地ほども差が生れるだろう。
コレは……非常に良くない状況だな。
「随分と大人しい様だが、手負いか……しかも、子持ち。 獣が危険になる状況が全て揃っているとは……俺も運がない」
そんな事を呟いてから、空に向けて魔法を放つ。
赤い閃光を放ち、空高くまで登った所で炸裂する。
救援信号。
そして、緊急事態。
これで近くの兵士達はこちらに向かって来てくれるだろうが……問題は、俺がそれまで保つかどうか。
アオイは何やら意味の分からない事を叫びながら退避してくれたので安心だが。
表通りにさえ出てしまえば、先程の魔法を見た住人や兵士達がきっと彼女を保護してくれるだろう。
だからこそ俺の仕事は、この魔獣が表通りに出て行かない様にココで食い止める事。
「絶対に通す訳にはいかない、刺し違えてもお前を殺す」
「ダメ! 怖い! ヒト、キライ!」
未だ二本足で立っている影豹の子供が、再び声を上げる。
アイツは特殊個体か何かだろうか? 人語を話す魔獣など見た事が無い。
見た目は恐ろしくは無いが、もしかしたら魔法も使用してくるかもしれない。
警戒するに越したことはないな……。
「俺はお前達の方が“怖い”よ。 では、行くぞ?」
グッと足に力を入れ、姿勢を低くする。
ソレに合わせて、影豹の親もスッと身体を伏せた。
多分、俺が駆け出すと同時に襲ってくる。
覚悟を決めよう。
大型の魔獣は、本来一人で相手する様なモノじゃない。
だがしかし、今は味方が居ない。
だからこそ、俺が止める。
「うおぉぉぉぉぉ!」
「シャァー!」
剣を振りかぶり、一気に距離を詰めてみれば。
何故か相手は動かずに威嚇して来るばかり。
いける! もうこちらの剣が届く距離だ。
そう確信してから力いっぱいに剣を振り下ろそうとしたその瞬間。
「だから待てっつってんだろうがぁ!」
背後から何かが飛んで来て、俺の後頭部に激突した。
「……オイ、何故戻って来た」
「戻るわ! そりゃ戻るわ!」
結局何も出来ずにバックステップで元の位置に戻れば。
そこには肩で息をしているアオイがコチラを睨んでいた。
「怪我してるんでしょその子!? 何でトドメを刺しに行ってんのよ! 襲われそうになったなら分かるけど、無抵抗の相手ぶっ殺しに行かないの!」
「アオイ、説明していなかったがアレは“魔獣”。 魔獣とは人類の敵だ、奴らは人の肉を好む。 見つけたら狩らなければ、他の物が犠牲になる」
「え、マジで? あっちのデッカイ豹は確かに怖いけど、あのちっこいのも?」
状況を徐々に理解し始めたのか、パクパクと口を開閉させながら目の前の小さな魔獣を指さす彼女。
「あちらは恐らく特殊個体だ。 成長すれば、あの大きな影豹よりも多くの人間が犠牲になる事だろう」
「あんなに可愛いのに?」
随分とズレた感想を残す彼女を、取りあえず後ろに押しのける。
戻って来てしまったとなれば、もう本当に引けない状況になってしまった。
逃げる事も、死ぬことも許されない。
せめて彼女が再度逃げてくれるまでは、どうにか生き残らないと……なんて、考えていると。
「そぉい!」
背後から影豹に向かって、何かが飛んで行った。
「おい、お前が注意を引くな」
「でも、あの子達さっきから動かないよ? それにおっきい方は首輪してる」
「何?」
アオイに言われて気づいたが、確かに長い黒毛に隠れて白い首輪が巻かれていた。
アレは……隷属の首輪?
しかも白となると、教会が作ったかなり強力なモノだ。
一応一般にも出回る事はあるが、あんな高価なモノを魔獣に使っているとなると……随分きな臭くなって来たな。
なんて事を考えていれば。
「それ食べな! 怖く無いよ!」
「……おい、あまり前に出るな。 危険だ」
飛び出そうとするアオイを抑えながら正面を睨んでみると、魔獣の前に放り出されたのは露店の物と思われる串肉。
それに対し、影豹の親が這いずる様にして近づきクンクンと鼻を動かしている。
その後ペロリと一舐めしてから、チラッと子供の方へと視線を向けた。
そして。
「食べた!」
「……食ったな」
小さいほうの影豹が、飛びつく様な勢いで串肉を頬張り始めた。
ガツガツと食べている中、親の方は静かにその様子を眺めて居る。
魔獣の中でも頭の良い部類とされる影豹。
だからこそ、普通の動物と同じように子を想う心を持っている様だ。
普段見ている魔獣達からは、到底考えられないほどに“普通”の光景。
彼等は、人を見ればすぐさま襲い掛かって来る程の狂暴なイメージしかなかったというのに。
「ほいっ! お母さん猫の方にも!」
「だから、注意を引くなと言っている」
俺の言う事など聞かずに、アオイは更に串肉を追加する。
投擲のコントロールが良いのか、今度の肉は親の目の前に転がる訳だが……。
「あれ? 食べてくれない」
一度は口に咥えたが、そのまま子供の方へと肉を運んでしまった。
そして、ジッと我が子を見守る影豹。
アイツは……まさか死期が近いのか?
確かに血の匂いはする、しかも結構な量の血が流れているのか、随分と鼻に着く。
だから食べる必要がないと、そう理解しているのか?
「あぁもう王子邪魔!」
「だから! 前に出るなと!」
「だったら一緒に来い!」
滅茶苦茶な言い分を叫ぶ彼女は、俺の事を押しのけながら魔獣へと歩み寄る。
すると食事に夢中だった小さい方も、先ほどから静かに座っていた大きい方もグルルっ! と再び威嚇を始めた。
やはり魔獣は魔獣だ。
いくら頭が良いからと言って、人と相いれる事など――。
「大丈夫、大丈夫だよ。 私達は怖く無い」
あろうことかこの馬鹿は、随分と近くに膝を下ろして座り込み、握りこぶしを魔獣に向けて差し出していた。
「馬鹿っ! 食われるぞ!」
「ちょっと静かにお願いします」
本当に意味が分からない。
本来ならすぐにでも引き剥がすべきなんだろうが、こんな状況で急に動けば相手が何をして来るか分からない。
だからこそ慎重に、ゆっくりと彼女の襟首を掴むのであった。
この馬鹿は、ホントに何を考えているんだ?
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