第5話 最弱スライム


 俺は冒険家ではないので関門を抜けるときに通行料を払わなければならなかった。通行料は大人一人に5千ルアン。まだこの世界の貨幣の価値を知らないから断言はできないけど、結構高い金額だと思う。それに身分証明書があっても身元が不明なのでいろいろと審問を受けた後にやっと町を出ることができた。おかげで日は完全に沈んでしまったし、世界を照らしていた太陽の光は月の光が変わることになった。


 結論から言うと俺は現在ゴブリンの討伐のため、ヒストリスを出て西のライベス森に向かって歩いていた。クエストを受けたわけじゃないけど今日中に試したいものがあってわざわざ疲れた体をたたきながらゴブリンが出るという森に向かっているのだ。


「それにしてもひでえじゃねえか…… 異世界のくせにテストなんて……」


 冒険家になるためには大した経歴の代わりに協会から主体する五つのテストを全部クリアしなければならない。テスト自体は半年に一度、それぞれの国の重要都市のひとつで開かれて合格率がごく低いので一年中合格するのは数十万人のうちに二百人もならないという。


 合格率がふざけてるなだけに試験途中で死ぬ人は言うまでもなく、過酷な試験に堪え切れて狂っちゃたり不具になる人が山ほどあるらしい。それに前の試験で生き残った者どもはもう一般人の領域を超えた状態なのでルーキーが合格する確率はさらに低かった。


「受付さんは新人が合格する場合が全くないわけじゃないって言ってたけど、年に20人じゃ俺にはないも同然なんだよ……」


 それぞれの試験の内容は固定されてるわけではなく、全面的にその試験の試験官たちにかかっていた。試験官たちは現役Aランク冒険家たちに構成されていてそれぞれの個性によって全く違う課題を提出するため、試験に備えることも難しかった。

 つまり冒険家試験は徹底的に現在の実力だけでやりぬかなければならないってことだ。


「学校の試験でもテスト範囲は教えてくれてたんだよ…… しかも試験開始は11日後?王国軍がとらえに来たら責任取ってくれるのかよ……」


 ぶつぶつ文句を吐露していると、いつの間にか俺は森の中を歩いていた。

 夜なのにも周りが結構はっきりと見える。元の世界より月の光が強いって感じだ。月自体の大きさがかなり大きいけど、スーパームーンてやつか?と思ったがスーパームーン三日月バージョンは聞いたことがないので改まってここが異世界ってことを感じた。


「そういえば夜の森を歩くのはまた初めてだな。」


 周りを見てみる。いくら月の光が強いとはいえ、ここは夜の森だ。木の葉をたくさん出して休んでいる木たちが、あちこちにうずくまった草むらと岩たちが、ただそこに存在するだけで恐怖を生む。

 もし俺がホラーゲームのマニアじゃなかったらこんなところに一人で来るのなんて想像もできなかったんだろう。


 一応森の中には入ったけどゴブリンの痕跡は見当たらない。見たかも知れないけど見たとしても素人である俺にはそれを区別するすべはなかった。


 受付さんに聞くところ、ゴブリンは群れを形成して行動し頭が悪い代わりにとても乱暴だということしか聞けなかったので探すのに無理があった。


 夜行性らしいから今活動しているには違いない。このまま森を進めば何とか会えるだろう。問題はそれまでどれぐらいの時間がかかるかってことだった。最弱でも数が多すぎると逃げるしかないしそのためには逃げるための体力を残しておかなければならない。


 今はまだ大丈夫でも持久力がよくないひきぼっちの俺なんかすぐへばってしまうはずだ。


「ゲームだったら今頃ゴブリンの群れなんて三回は倒したはずなのに。全く…… ゲームぽい世界のくせになんだよもう……」


 再び文句を口にしながら頑張って森の中に足を運ぶ。

 なんか森に潜るたびに空気が重くなる気がした。

 湿気というか…… いくら森の中でも春も終わってないのに異常なほど空気が体にとりつく。


「この周りに湖でもあるのか?それとも雲もないのに雨でも降るのか?」


 ファンタジーでは雲がなくても雨が降るんじゃないかと真剣に心配する中、何かが頭の上に落ちた。

 しっとりした重さと冷たい温度を感じた。


 まさかマジで雨?と思ったのに大きさが明らかに違う。水の匂いがしたと思った瞬間、落ちたそれは顔を包んで鼻と口をふさいた。


「うぶ……?!」


 驚いて反射的に顔についた奴に手を伸ばした。だがそれはつかまらず、手を受け入れるだけだった。まるで水の中でこぶしを握った感じだ。

 顔に落ちたのと似た感触の何かが両腕と背中にくっつく。振り払おうと体を振っても落ちない。


 落ち着こう。顔にとりついた奴は半透明だから前は見れる。木陰の間から月の光が漏れ出るところに向かって手を上げてみた。


「……… ぶあにこれ?」


 腕についたものは月の光が透過されるほど透明だった。形はなんて表現できないものが腕にくっついてにょろにょろしている。


 これってもしかして…… スライムってやつ?


「うぶ……!」


 息が詰まる。あまりにも突然だったので息の限界がすぐにやってきた。まずは顔のやつからどうかしなければならない!


 もう一度顔にとりついた奴をつかまろうとした。体を振ってみる。木にこすりつく。


 だが奴らは濡れたティッシュのように離れなかった。そして冷たかった感触は一変し、とりついたところが熱くなる。


 なんだ……? こいつらまさか…… 俺を溶かしているのか?


「ぶさけな!」


 スライムなんかに食われてたまるか……!


 酸素が足りなくなった脳の警告音を無理やり無視し、こいつらを引き離す方法を探す。

 ―目の前を手のひらぐらいの大きさを持った何かが流れる。空色のそれはまるで果物の種のようにそこにこまれていた。


 同じ色だからよく見えなかった。

 これってもしかして、スライムの…… 核?


 素早く手を入れて核をつかみ思いっきり外へと引きずり出した。するとスライムが激しく沸きながらシュルりと顔から流れ落ちる。


「けっ!ごほっ!はあ…… はあ……」


 口と鼻を同時に使って酸素を求める。緊急事態から逃れた脳はやっと安心したように視界をボーと染めてゆっくりと安定を取り戻す。

 一歩遅れたら最弱のモンスターにやられるとこだった。スライムに殺されるなんて冗談にもなれない。

 適当にい呼吸を整えて腕にくっついた奴らを見下ろす。相変わらず俺の腕を溶かしていてほかに行動はとらない。見たところ状況を把握する知能はないみたいだ。


 気持ち悪いので他の奴らも体から核を抜いた。さっきと同じにちょっと激しく沸きながらシュルりと地に落ちる。


「ふう……」と安定し始めた呼吸を整えて溶けたスライムを観察する。月の光を浴びて輝く粘液質は水とは違って地にしみこまなかった。まるで地面に塗っておいた接着剤のようだ。


「死んだ…… よな……?」


 足の先で踏んでみた。水よりは泥を踏んだ感じだ。さっきの反応からしてこいつらに死んだふりをする知能があるとは思えない。万が一でもまた固まって襲い掛かったら困るので二三回くらい叩いてみた。


 やはり反応はない。確実に死んだようだ。


「くそ、スライムのくせにびっくりさせやがって……」


 スライムは上から落ちてきた。見たところ木の枝にくっついたまま獲物の顔を襲い、窒息させて溶かすという狩り方を使ってるみたいだ。まだ口の中にスライムの残滓が残った感じがしてつばを吐きながらまた前に進む。


 しとめる方法はわかったけどまた口の中に粘液質が入るのは遠慮したいので周りを警戒しながら歩く。

 おかげで進む速度が落ちたけど二度とスライムに襲われることはなかった。そもそも用心深く隠れていたわけじゃないのでそこまで警戒しなくても探すのが難しくはなかった。


 そうやってスライムとの接触を完全に遮断したまま森を歩くと― 今度は地に落ちた長い木の枝を発見した。

 直接持ってみると思ったより重い。

 片手では持てないほどの太い木の枝。長さはおよそ2mもうちょっとてとこか。

 触感はかなり荒れていて小枝が多くて持って動くには無理があった。頭を上げてみると本来枝があったようなところには先が尖った枝と木が見えた。折れた方向や形からすると、何か重いもののせいで折れたみたいだった。


 最近折れたって感じだけど、スライム?もしかしたら狩り人かもしれない。


「まあどっちでもいい。」


 この木の枝は使えそうだ。そのまま両手で握って目をつぶる。そしてこの木の枝を木の棒に変える想像をする。


「………!!」


 するとまだ慣れてない感覚が体中を包み込んだ。

 空に浮かんだ何かを握ったような異質的な感覚。流れる水の中に手を入れた気分だ。

 しかし、その中にはちゃんとしたぬくもりがあって何かが脈を打っているような感触が規則正しく伝わってきた。

 何かが壁を掻いて文字を刻むかのように、頭の中に単語が羅列される。

 必要なのは木の枝と30の魔力。作れる。作る。


 一瞬体から何かが抜け出る感覚と闇の中でしか区別できない薄い光が木の枝を包んだ。光が消えて、木の枝だったそれは俺が想像したそのままの木の棒に姿を変えた。


 これというとこがない長い木の棒。長さはほとんど同じだったけど重さは軽くなり太さはずっと細くなってて片手でも余裕に握れるようになった。

 何の製錬もされてない木の枝を棒に変える力。この世に存在するものと存在しないものを創造する能力。これが俺の天職、創造人の力だ。


「何度見ても感心してしまうな……」


 実は創造人の力を使ったのはこれが初めてではない。ピエロと城に向かう途中、天職をだますことに天職そのものを使えるんじゃないかと思って軽く岩の形を変えたり文字の内容を変える実験をしてみた。

 おかげで―


 ???

 レベル ― 1

 天職 ― 運び屋

 身体能力 ― 筋力 : 7

     ― 敏捷 : 9

     ― 防御 : 3

     ― 知能 : 153

     ― 体力 : 5

 魔法能力 ― 炎 : 2

     ― 氷 : 4

     ― 風 : 3

     ― 土 : 4

     ― 闇 : 0

     ― 光 : 0

 病気 ー ない

 幸運 ― 43

 魔力 ― 56/56

 進化 ― 0/60


 このようにアティーナの紙も本来なら創造人と書かれていたはずのところを運び屋と書き直すことができた。王の前では必要なかったけど王女をだますことには役に立った。


 試しにくるくる棒を回してみる。こう見えても昔には人生の刺激のために棒術を学んだことがある。

 1年くらい頑張って結構いい線行ってたけどすぐ飽きてしまってやめちゃった。


 回していた棒を動かしながら連続動作をしてみる。記憶の中に残存する形を練習してみた。


 ―幸い鈍いところはなかった。柔軟性もまだまだいけそうだ。


 約4年ぶりにやってみた棒術だったけど、体は棒を覚えていた。一つだけ欠点をいうと体力が当時ほどじゃないってことだ。


 ひきぼっちとして運動とは無縁の人生を送ってたからな…… まぁ、この世界で冒険家として生活すればいやでもまた増えるはずだ。


 再びゆっくりと前に向かって歩いた。周りを注意しながら歩くと今度は木の枝と草森に隠れていたスライムたちが見えた。

 ちょうどいい。今度はよけたりせずあいつらを相手に棒術を試してみよう。

 棒を左のわきに挟みどう見てもスライムたちが襲ってきそうなポイントに向かって走る。


 ボヨッ。ボヨッ。ボヨッ。ゴムボールが一斉にとびかかる音と同時に四方からスライムたちが飛んでくる。俺が見つけたやつらより三匹ほど多かったけど、問題ない。


 足を広げて体を固定し、腕を前に伸ばす。腰を斜めに向けて視野を拡張し、踏ん張りになる下の腕を固く固定させた。体を低く構えたそのまま、スライムの核を確認した。


 ついに目の前に、巨大な粘液質と水のにおいが漂った。


 できる。


 シミュレーションを終わらせて、腕全体に力を入れ棒を動かす。それによって乱れに動かされた棒が踊った。

 ペチャとする音とともに棒がスライムの中を散らしながらその中の核を殴る。

 重い。空中で振るった時とは全く違う打撃感と重さが棒に乗って腕を上る。人を殴った時の鈍さとは違って、水の中を散らした時の抵抗感があって弾力が弱い。

 でもこいつらをしとめるには十分だ。


 続けて華麗に踊った棒が、とりがえさをさらうかのように、核を狩る。

最後に仕留めた一匹が地に落ちた。静寂。


「……ふぅ」


 もうこれ以上の攻撃がないことを確認して、息を吐いた。すると体全体に熱と疲労感が一気に襲い掛かった。

 動きを最小限にしたのにもこのざま。やっぱ体力が落ちすぎだ。

 顔に流れる汗を服で拭いて、壊しきれなかった核を持つスライムに近づく。


 襲ってきたのは全部で13匹。いくらなんでも飛んでくるやつら全部の核を壊すことはできなかった。

 攻撃が外れて半分に分かれたスライム。核は無事だけど大きさが減ったそれはにゅるにゅるするだけで襲ってきたりはしなかった。まるで痛くて動けないようだ。


「なるほど。打撃が全く聞かないわけじゃないってことか。面白い。」


 現実で見たスライムは画面の向こうから見たゼリーの固まりとは違った。弱点があって特徴があって狩り法がある。まるで野生の獣のように。

 だから何も考えず狩りに来たら返り討ちにされる危険があった。たとえそれが最弱モンスターだとしても。


 チートスキルをもらったから俺TUEEE展開になると思ったんだけど、結構難易度がある面白い世界に来ちまったようだ。スライムと同じクラスのゴブリンにも興味がわく。


「でも…… 今日はこの辺にしておくか。」


 朝からずっと歩き回りだし棒術のような激しい運動は引きこもりにはきつい。情けないことにも今の戦いで体力をほぼ使ってしまった。


 このままゴブリンを探し続けたら戻る体力が残らない。


 棒術のテストとこの世界の情報を得たことに満足しながら地面に落ちたスライムの体に棒を刺して核を壊す。そして思いっきり背筋を伸ばしながら残念な気持ちを後にし、町に戻るため振り向いた。



 シュッ



「………え?」


 一瞬冷たくて鋭い何かが頬をかすった。ほっぺは一気に熱が上がって流れ落ちる。手で触ってみるとそれが血てことに気が付いた。


 頬をかすったものを確認するために前を見る。不気味な木に矢が刺さっているのが見えた。とても雑な形の矢。ナイフと適当な太さを持った木の枝だけあれば俺でも作れそうな矢だ。


 今度は矢が飛んできた方向を見る。


 いつからなんだろう…… そこには、緑の小さい悪魔のような黄色い目を持った奴らがこっちをにらみつけていた。

 全体的に細い体で、中には大きな傷跡を持った険悪なやつもいる。

 体型は子供みたいだし耳と鼻は人間より長い。漫画で見た姿と同じだ。

 俺は何かにとりつかれたかのようにその存在の名前を呼んだ。


「ゴブリン……」


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