第15話 神々の失敗作
「失礼」
ガチャンと檻が開く音がして、先輩で見張り役の天使が入ってきた。手にはパンとスープの乗ったお盆を持っている。
「おー」
私はむくっと起き上がった。
「飯くれるのか。このままもらえないかと思った」
「さすがにそんなひどいことはしない」
「天界の奴らは慈悲深いんだな」
「囚人に飯をやった程度で、慈悲深いとは……?」
「下界には、囚人でもないのに政府に食べ物を強奪される世界もあるんだよ」
「……そいつはたいそうな人権侵害だ」
「でしょ? ひどいよね」
私はお盆を受け取って机に置き、立ったままパンを噛み千切った。
「炭水化物はなかなかにいいものだね。もちろん蛋白質も」
「君、そんなに野菜ばかり食っていたら、いくら天使でも病気になるぞ」
「知ってるか? 一日三十品目の野菜料理を食べると、善行点が上がるんだ」
「何……それは初耳だ」
「まあ嘘だからな」
「嘘かよ」
「てか、私の点数どうなってんの? 調べようっと」
私は空中を指さして、成績表を出現させた。
「どれどれ。下界の人間を殺戮したことでマイナス三百万点、下界の人間を守ったことでプラス五十万点。残った点数は百五十万。わー、意味分かんない。しかもさ、スヴェトラナったら、『目の前の人間を救うことには意味があります』とか何とか言ったくせに、自分は目の前の人間を見殺しにするんだぜ。言行不一致じゃないか」
「こら、無礼な口を利くな」
「うわ、本当に点数が下がった。面白いな」
私はけらけらと笑った。先輩は呆れた。
「呑気な奴め。どれだけ罰を受ければ懲りるんだ」
「さあ?」
「全く。……それ、よく噛んで食えよ」
先輩は出て行った。
私はスープを飲みながら考え事を始めた。
そろそろ、天界から逃げる算段をつけねばなるまい。
神々は新しい罰を考案するらしい。それが実効を持つ前に何とかしなくては。
最も困るのは、植物生産の能力を奪われることだ。だが、それはやらないだろうという確信があった。能力を無くすことは、天使にとって死を意味する。そして天使を殺すことは、天使を生み出した神々にとっては、耐えがたい矛盾を引き起こす。間違いを犯さないとされる神々のことだ。自ら生んだ天使の存在を、失敗作であると否定することは、彼らの沽券にかかわる。だから天界では、神々の名誉にかけて、死刑は行われない。能力も奪われない。
次に困るのは、この牢獄にずっと閉じ込められること。能力を封じられた状態で何年も閉じ込められていては、下界のみんなが本当に絶滅しかねない。だがリディヤは先程、含みのある言い方をしていた。
──新しい刑罰が決まるまでの間、ここに拘留される。
裏を返せば、ここから出られる瞬間が訪れるということだ。
攻めるならそこしかない。
「まあ、全力で暴れれば何とかなるでしょ」
そこへ、同僚の天使ガリナがやってきた。
「お食事は召し上がりまして?」
「ああ、うん、うまかったよ」
「では神々のおわすお部屋に連れて行って差し上げます。おいでになって」
妖精たちが身の丈ほどもある鍵を使って私を牢から出し、ガリナが私に能力封じの手枷をはめた。
「では」
ヒュンッと風の音がして、気づけば私は神々の前まで来ていた。
「あー」
牢屋から出された瞬間に逃走する計画は潰れた。おのれガリナめ。ここで瞬間移動の能力を使ってくるなんてずるいぞ。逃げる隙も何も無いじゃないか。
「挨拶は結構です」
スヴェトラナが高いところから私を見下ろした。
「そなたの刑罰が決まりました」
「はい」
「三年間の禁固刑。それに加え、次に勝手に下界に行ったら、天界に帰れなくなります」
「へえ?」
思ったよりかなり軽い。私は拍子抜けした。てっきり、下界に行くのを禁止されるとかで、直接私の行動を封じて来るかと思った。まさか下界に行くのは許されるとは……随分と詰めが甘い。
「分かっているのですか」
スヴェトラナは若干いらついた様子だった。
「これはつまり、そなたを正式に堕天使として、永久に天界から追放するということです」
「なるほど」
「この判例は五百年前に出されてから一度も出なかったものですが、致し方ありません」
「そうですか」
「いいですか、もう二度と、許可なく下界に行かないように。本当に戻れなくなりますからね。この、住みやすい天界に」
ああ、と私は気が付いた。
神々にとっては天界を追い出されるのはこの上ない屈辱なのだ。
天界こそ理想郷だと信じている彼らにとっては、この楽園を失うことが何より怖いのだ。
そうは思わない天使がいるなど、未だに想像できていないのだ。
だとしたら私は紛れもなく、神々にとっての失敗作であろう。
「情状酌量して下さり、ありがとう存じます、スヴェトラナ様」
私は慇懃に言った。
「しかしあなた様は、根本的なことを分かっていらっしゃらない」
「……何です?」
「まず私は、下界の人間を見殺しにして、天界でのほほんと暮らすことが、正しいこととは思えません。善行だとも思えません」
「……」
「それと、私にとって、天界は退屈でした。住みやすくなかった。だから別に戻れなくてもいいんですよ」
「……自ら、堕天することを望むとでもいうのですか」
「そういうことですね」
「堕天とは、神々への反逆を意味します。天使が最も避けなければならないことの一つではないのですか」
静かに怒るスヴェトラナに、私はこう言い放った。
「私が最も避けたいのは、神々への信仰とかいうくだらないものに固執して、現実の危険を放置することです」
「……」
「天使だろうが堕天使だろうが、みんなを助けられるならどっちでも構いませんよ、私は。この能力は神々のお役に立てるためのものじゃなくて、弱き者を救うためのものだったんだって、最近気づいたんですから」
「……口を慎みなさい」
「私は天使ですからね。本当の意味での善行がしたいんですよ。良く生きたいんです。それは決して、神々にへつらうことじゃないんです」
「ラリサ。いい加減になさい」
スヴェトラナは声を低くして言った。私はびりびりと威圧を感じて後ずさった。
「そなたは神々が正しくないとでも言うつもりですか」
「いいえ。あなた方の仰ることは、ある意味では正しいとは思います。ただ、私にとっては正しくない」
「そなたにとって……?」
「価値観の相違というやつですね。みんながみんな、同じ正しさを信じているはずがないですから」
「そなたは神々の意向を信じないのですか」
「それがいいことだと思ったら、従います。悪いことだと思ったら、従いません」
「……本当に、どうしようもない、愚かな子」
スヴェトラナは疲れきったように言った。
「とにかく、刑罰は変わりません。三年間の禁固刑。および執行猶予つきの下界への永久追放。分かりましたね?」
「それでいいのでしたら、歓んで」
「では、さっさと独房にお行きなさい」
私はちらっと足元を見た。
手錠の鍵をガリナからくすねてきたリディヤが、隠れるようにして付きまとっている。
リディヤは私の後ろに回ったかと思うと、実に素早い動作で手錠の鍵を外してしまった。
(よくやった、リディヤ! これで能力が使える)
私は鍵をリディヤから奪い取った。自分で盗んだように見せかけるためだ。
「それじゃ」
私は頑丈で巨大なツタを走らせて、部屋の扉を突き破って脱走した。
「さようなら! ごきげんよう!」
儀式の間まで一直線。
そして例の如く部屋の前で待ち構えているローディオンとガリナ。
「ここは通さんぞ。ガリナ、やりたまえ」
「はい、ローディオン様」
ガリナは手をかざした。私は防御が一瞬遅れてしまった。まずい、と思ったが……ガリナはなかなか能力を発動させない。
私はピンと来た。
(ガリナ、こいつ、実は私に協力する気だな)
さっきリディヤに鍵を盗まれたのも、わざとか。
そんな面白いことが起きようとは、実に僥倖。酒の席なら大いにからかってやるところだ。
「隙あり!」
私はローディオンとガリナをヒルガオのツルでぐるぐる巻きにしてしまった。儀式の間に駆け込み、今度は出入り口にバリケードを築く。
臭い匂いがする大きな花の、ラフレシアとショクダイオオコンニャクを積み重ねて、誰も近寄れないようにしてやった。潔癖なところがあるローディオンなら、忌避すること間違いなしだ。
「さあ、いざ下界へ赴かん! さようなら、我が故郷、天界よ!」
私は思いっきりレバーを引いて、世界間転移を開始した。
「ティスオ共和国に編入されたエニアークのアッセドの広場まで!」
指定するとちゃんとその場に連れて行ってくれる。つくづく便利なものだ。
私が降り立った先の地面には、夥しい量の血痕が残っていた。
結局あの後リスーサ人たちは殺されてしまったのだと、私は悲しくなった。
私は意気消沈して、建物の中に入った。そこではエニアーク人たちが疲れ果てた様子で休んでいた。
「ミロン」
私は駆け寄った。ミロンは寂しそうな顔をした。
「ラリサ。リスーサ人だと認められた者たちは、ほとんどが殺されてしまったよ」
「イヴァナは?」
訊くと、ミロンはちらりと後ろを振り返った。
「彼女は……何とか無事だった」
「何、本当か!」
「あの後、死体はそのまま捨て置かれてな。埋葬は俺らエニアーク人に任されたんだ。そしたら、何人か生き残りがいて……イヴァナもその一人だよ。大怪我だけど」
「ああ、良かった!」
私は駆け寄ろうとして、止められた。
「まだ絶対安静だから、騒ぐんじゃねえ」
「そ、そっか。でも、少しでも生き残った人がいてくれて、嬉しいよ……」
「喜ぶにしては、犠牲が多すぎるがな……」
「ミロンは、リスーサ人が殺されるのはおかしいって思っているんだね」
「そりゃそうだが」
「キリロは違うみたいなんだ……」
ミロンは困ったような顔をした。
「あいつは、真面目で素直だから。エニアーク人のことをよく考えているつもりなんだろう。……さっきも、エニアーク人への招集がかかったから、意気揚々として参加しに行っちまった」
「……そっか」
私は俯いた。
「私、少しでもみんなを助けるよ。エニアークをもう誰にも踏み荒らさせない。誰も憎み合うことのない、平和な国を作ろうよ」
「ラリサは余所者なのに、そこまで考えてくれるのか」
「え」
私はちょっと驚いてミロンを見た。
「変かな?」
「ちょっと変わっていると思うぞ」
「うーん、今までやりたいことを一直線にやってきたから、あんまり振り返って考えたりしないんだけど」
私は難しい顔をした。
「お腹が空いている人がいたら食べ物をあげるのは当然だろ? それだけだよ」
「ラリサは凄い奴だ」
「そうかねえ」
私は溜息をついて、物思いに耽った。
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