第16話 良いことをするために

「ラリサさん」

「んー?」


 私はアッセドを囲む塀の上に乗って、町を見下ろしているところだった。


「お久しぶりです。リディヤです。ようやく謹慎が解けたので伺ったんですが、お元気ですか」

「あんた謹慎中だったの」

「ラリサさんに協力した咎でお叱りを受けました」

「そいつは災難だったな。何かごめんな」

「いいえ」


 リディヤは何か言いたそうにこちらをじっと見た。


「あの……」

「何?」

「ラリサさんは天界には正式に出禁になったそうです」


 私は欠伸をした。


「んなことは分かってるんだけどな」

「神々は『まさか本当にやるとは思わなかった』と仰せでした。『神のそばにいられなくなることを望む天使がいるとは思わなかった』そうです」

「だから馬鹿なんだ、あいつら。おまけに傲慢だ」

「だいたい、下界で暴れた天使を下界に追放だなんて、よくまあそんな意味の分からん罰を考え付いたもんだ。更に暴れ回るとは思わなかったんだろうか。逆に感心するね」


 リディヤは居心地が悪そうに縮こまっていた。


「……私は何も言わないでおきます。では、これで失礼を」

「まあちょっと待てって。あれを見な」

「あれとは」

「そこでうろちょろしている奴らだよ」


 私が指をさした先では、キリロをはじめとする何人ものエニアーク人が、ティスオ兵士の指示を受けて農作業に取り組んでいた。少しでも遅れた者がいると、兵士に叩かれてしまう。


「いよいよ奴らは、エニアークを独立させる気が無いな」


 私は言った。


「そのようですね」

「ティスオはエニアーク人をこき使うつもりだよ。ティスオ支配下でのエニアークの扱いは、属国だとか植民地だとか、そんなところだろう」

「これでは、リスーサの支配下にあった時と、大して変わりませんね」


 私は足をぶらぶらさせた。虚しい思いが胸の中に広がっていた。


「共産主義の独裁政治だろうが、そうじゃない民主主義の政治だろうが、人間のやることは同じだったんだ。あーあ、盲点だったなあ」

「民主主義を謳っているのに、他国の民族を虐げるんですね。ティスオは」

「そりゃ、あり得るだろ。普通によくある」

「私はあの国を民主主義国家だとは思えませんが」

「民主主義だろうが資本主義だろうが共産主義だろうが何だろうが、人間は悪いことをいくらでもするさ。連中が愚かなのには変わりが無いからな」


 私は塀から飛び降りると、エニアーク人をいじめている兵士の元に歩いて行った。リディヤが後からついてくる。


「この世のものは、みんな愚かだし、間違いを犯すらしい。人間も、妖精も、天使も、神も」

「神もですか」

「ああ。そして私もな」

「……そうですか」

「そうだ」


 私は兵士の立つ地面からイバラを生えさせた。気付かずに腕を振り上げた兵士が、軍服をイバラに引っかけてしまう。イバラから逃れようとすればするほど、服が絡まり、動けなくなっていく。

 私はその滑稽な様子をぼんやりと眺めた。


「私も、身動きが取りづらいよ。人を助けたいけど、同時に良くないことを引き起こしてしまう」

「……」

「思うことがあるよ。やっぱり人間のやることは人間に任せておくべきだって。天界から逃げてきたばっかりなのにさ」

「でも、もう、戻れませんよ」

「そうだ。だからここで死ぬまで悩むしかないんだ」

「ラリサさんがそのようなことを言うとは、驚きました」

「そう?」

「はい」


 リディヤはきっぱりと頷いた。


「ラリサさんは破天荒な天使で、思ったらすぐに行動してしまう性格だと思います。そんなラリサさんでも、立ち止まって悩む時があるんですね」


 私は苦笑した。


「立ち止まってはいないよ」

「はい?」

「リディヤの言う通りだよ。私はね、いつでも、行動に移すのが真っ先で、悩むのは行動しながらやるんだ」

「ええと?」

「おいで、リディヤ」


 私は集合住宅に向かって駆け出した。

 アッセドの町のあちこちでは、ティスオ兵の姿を見かけるようになった。彼らはきっちりと軍服を着て威張って歩いている。アッセドの住人たちは、彼らが加害者であることを徐々に認識して怯えているか、彼らに擦り寄って身の安全をはかろうとするか、どちらかだった。

 緊迫感の漂う中、私はとある建物にずかずかと入っていく。


「ミロン、入るぞ」

「おう」


 部屋の中には、筋トレをしている一般人たちの姿があった。アッセドに住んでいたエニアーク人で、中には隠れて過ごしているリスーサ人の姿もあった。

 ラリサはみなを監督しているミロンの方へ歩み寄った。


「出来は?」

「まあ、こんなもんじゃないか。ラリサが食いもんを出してくれるお陰で、予想よりもうまく仕上がってる」

「そいつはよかった。……みんな、目的は分かっているな?」


 ラリサが問いかけると、人々は口々に「エニアークの独立!」と答えた。小規模ながらもなかなかの迫力と勇壮さが窺えた。


「そうだ。頑張れよ」


 ラリサは満足そうに頷いた。

 リディヤは不思議そうに首を傾げたが、人前であることを考慮してか、何も聞かなかった。


「じゃ、私は他の部隊を見てくるから。これ、差し入れな」


 ラリサが大量のリンゴを置いて部屋を後にすると、リディヤは待ちかねたように尋ねた。


「ラリサさん、あれは?」

「私が指示して、作戦行動のための部隊を作ってるんだよ」

「へえ……作戦行動」

「こういう場合に植民地側に必要なのは、ゲリラ戦だけどな。最低限のことをやって力をつけておいてもらわないと」


 あとは補給が最大の課題だったが、これはリスーサ連邦から横流ししてもらうつもりで交渉をしてもらっている。リスーサは、ティスオへの打撃となり得る作戦には協力してくれるはずだ。

 私が考え事をしながら歩いていると、「おい、貴様」と声をかけられた。


「むっ、その不遜な態度は、ティスオ兵!」

「貴様はもしや噂の化け物女か? ちょっと本国からお声がかかっているのだが……」

「アッお断りしまーす」


 私はすたこらさっさと逃げ出した。


「また人体実験の材料にでもされたらたまったもんじゃないな」

「また狙われているんですか」

「こればっかりは仕方がない」


 その後、私はさらに数カ所の部屋を訪れて、訓練の様子を聞いて回った。どこも仕上がりは順調そうである。


「な、リディヤ。立ち止まって悩んでなんかないって言ったろ」


 得意げにリディヤを見ると、彼女は何故か悲しそうだった。夕日にきらめく金色の羽の羽ばたきも、こころなしか力無い。


「どうして……そんなに突っ走るんですか」


 リディヤは尋ねた。


「どうしても何も」

 私は当然のように答える。

「天使は良いことをするために生きてるからな」 

「だからって……こんなこと、できるものではないですよ。この地の人間のために何もかも捨ててしまうなんて。一体どういった理由で……」

「ん-。理由とか必要なのかな」


 私は腕を組んで考え込んだ。


「似たようなことをミロンにも聞かれたんだよな。妖精は天使よりも人間に近い感情を持っているのかな」

「へ? それは、知りませんが」

「私はね」


 石ころを蹴って歩きながら、リディヤに説明する。


「悪いことを許せないよ。悪いことを見つけたら、それを正すように動く。天使の本能のようなものかな」

「本能……」

「あまり深く考えたことは無いけどなあ。何か……世界が美しく平和に保たれていたら、気分がいい。うん。私は、自分の気分で動いているよ」


 私は照れ隠しにニッと笑ってリディヤを見た。


「私は神々の失敗作だから、天界の規則に合致した行動を取れないし、目の前の課題ばかりで頭がいっぱいになってしまうんだと思う。でも別にいいでしょ? 私が気分の赴くままに生きることを誰かに阻止されるのなんて、納得いかないからな」


 リディヤはあまり腑に落ちていない様子だった。


「後悔はないのですか」

「あるよ。あの時こうしていればもっとみんな助かったのに、とか色々ね。でもくよくよするのも性に合わないし。やっぱり悩むより次の行動をした方がいいって思うよね」

「そう……ですか……」


 リディヤはどこか暗い表情だった。


「私は……ラリサさんがいつも一人で頑張っているように見えて、苦しくなることがあります」

「えっ? そうなの? 一人……一人かあ」


 私は思考を巡らせたが、やがて首を振った。


「前は分からないけど、今は一人じゃないかな。現地の人が協力してくれるし。それに天界にはガリナやリディヤがいるからね」

「私ですか」

「そうだよ? いつもありがとうな、リディヤ」

「はわ……」


 リディヤは動揺していた。

 私たちは談笑しながら町を歩いた。あまり目立つ行動をするとティスオ兵に捕まりかねないので、道行く人に地道にリンゴを渡していく。

 そろそろ天界に戻らなくてはならなくなったリディヤは、最後に小声で教えてくれた。


「これは今回のお叱りを受けた際に、ローディオン様が特別に教えてくださったことなんですが……」

「うん」

「神々も平和を望んでいらっしゃらないわけじゃないんですよ。ただ、あまりにも多くの世界の調整をなさっていますから、隅から隅まで良くすることは困難なんです」

「……そっか」


 それを聞いても、私はさほど驚かなかった。きっと私も胸のどこかに、神々を嫌いきれないところがあるのだろう。


「……だとしたら、私は神々の歪みを少しでも修正するためにいるのかもね」


 私は言った。


「ありがとう、リディヤ。……ローディオン様によろしく。ついでに謝っておいて」

「お怒りでしたよ。腐臭のする花を一ヶ所に集めるのはやめてほしいそうです」


 私は吹き出した。


「あれはマジで申し訳なかった」

「片付けが大変だったそうです」

「だろうな」


 そのあと、一言二言、雑談を交わしてから、私はリディヤを見送った。


「さて、イヴァナの看病でもしに行くかな」


 やらなければならないことは山のようにあった。

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