第13話 誰も彼もが憎み合う


「んー?」


 灰になった町の中に、見慣れない娘が立っていた。

 この町に知り合いなどいたっけか、と考えを巡らせた私は、はっと思い当たった。


「もしかして、イヴァナ?」

「うん」


 娘は頷いた。私は「ありゃー!」と声を上げた。


「随分とまあ大きくなって……。っていうか、凄い火傷! ちょっとこっちおいで」


 私は焼けた地面に手を当てて、火傷によく効くアロエを生やすと、素手で折って絞って、その液をイヴァナの顔や腕に塗った。


「これで少しましなはず」

「うん……」


 イヴァナは瓦礫の上に座り込んで、意気消沈していた。


「大変だったな。今は一人か? 他に怪我した奴はいる?」


 私が聞くと、イヴァナは目に涙を溜めた。


「あたし、ひどい奴なの」

「そんなことはないぞ」

「でも……。弟たちが死んじゃった」


 ああ、と私は町を見渡した。この様子では、犠牲者もさぞ多かろう。


「それは……残念だったな……」

「あたしのせいなの」


 イヴァナはしゃくりあげた。


「みんなが家の下敷きになって……助けを呼ぶはずだったのに、……気づいたら周り全部が燃えてて……戻れなくて」

「……そうか……」

「うわああ。あたしはみんなを見殺しにしてしまったの……」


 泣き崩れるイヴァナの肩を、私はそっと撫でた。


「そうじゃない。仕方がなかったんだ」

「あたしも死ねば良かった……」

「そんなことを言うなよ。あんたが無事で良かったよ」


 イヴァナが落ち着くまで、私はずっとそばにいた。

 しばらくして、イヴァナのすすり泣きが収まると、私は立ち上がった。


「ちょっとここで待っていてくれ」


 今後どうするかを決めるために、戦況を聞きたかった。ティスオ兵士たちの間で何やら偉そうに指示を出している者を探し、声を掛ける。


「なあ、ちょっと状況を聞いてもいいか?」

「何だ、私は今忙しい──って、貴様は、植物の化け物!?」

「天使だよ。なあ、リスーサ軍はどこまで逃げたんだ?」

「待ちたまえ。今、確認を」


 この兵士によると、リスーサ軍は昼夜を問わずに敗走を続けており、まもなく全部隊がエニアークから脱出する見込みだそうだ。


「彼らによる虐殺の規模は……?」

「分からん」

「そこ重要でしょうが!」

「劣等民族がどうなろうと知らん。我々は土地さえ手に入れば……」

「ばーか!!」

 私は兵士に、首が捥げんばかりの勢いで、平手打ちを食らわせた。

「少佐──!」

 周囲の人間が叫び、慌てて彼を助け起こしにかかる。私は腰に手を当てて、兵士を叱り飛ばした。

「民族なんて、あんたらが勝手に作り出した枠組みだろうが。そんなこと私が知るか! 人間は人間同士仲良くしてろ! ばーかばーか」

「し、知らんのか。そもそも共産主義は、世界で最も劣等なリスーサ民族による、大いなる陰謀で……」

「知らんってば! そんなわけあるか!」


 民族なんてものに優劣があってたまるか。それに民族の陰謀だなんありえない。もってのほか、論外だ。

 みんな同じ人間のくせして、くだらない。

 私は憤然と兵士を睨みつけた。


「もういい。私はもうアッセドに戻るから」

「は、はあ……?」

「あんたらはリスーサ軍をまだまだ追っかける気だろうけど、私は協力しない。リスーサ兵を殺すことなんかより、目の前の人を助けることの方がずっと意味があるってもんだ」

「お、おい、化け物。じゃない、天使……」

「とにかく私は戦線離脱するから、偉い人にそう伝えておいて」


 くるりと踵を返して、イヴァナの待つ場所まで戻る。


「待たせたな」

「ううん。何か用があったの?」

「軍人どもに戦況を聞いてきただけだよ。リスーサはエニアークを捨てて逃げてるってさ」

「そうなの……」

「イヴァナ、あんた、行く当てはあるの? 寝る場所と食糧はどうするつもり?」

「特に、何も……」

「だろうと思ったぜ。なあ、イヴァナ」

「うん」

「私と一緒にアッセドに来いよ。娘っ子一人くらいなら迎え入れてくれるだろ。食べ物なら私が提供するし」


 イヴァナは何故か一瞬、怯えたような顔をした。


「それは……」

「嫌か? 無理にとは言わないが」


 イヴァナはしばし迷っていたが、やがておずおずと頷いた。


「行く。ここよりもひどいなんていうことはないと思うから」

「そうか。じゃあ、行こうか」

「うん。ちょっと、待って」


 イヴァナは、焼失した町の方を見て、黙祷を始めた。私もそれに倣った。

 一分後、「いいよ」とイヴァナが言ったので、私たちはヴィエクの町を出て、アッセドへ続く道へと歩いて行った。


 ***


 植物を生み出す天使の噂は、かなりの速さで広まっているらしい。アッセドの検問所を通ろうとした時は止められたが、私が手のひらからイチゴを出して見せると、すんなり町に入れてくれた。

 イヴァナと一緒に、みんなが避難していた建物まで行く。


 途中、何人かの農民が、ティスオ人兵士に捕まっているのを見つけた。私は首を傾げてその光景を眺めた。イヴァナは怯えた様子で、私の軍服の袖を掴んだ。


 やがて私たちは目的の建物の前に着いた。ここでも一般の農民が連行されているのを見ることができた。私は不審に思って、急いで仲間の姿を探した。

 入口の方へ回ると、ミロンが悩ましげな顔つきで黙って立っていた。


「ミロン! どうした」

「ん、ああ、ラリサか。無事で何より」

「ありがとう。それよりも、何で一般人が逮捕されてんだ?」

「あー……」

 ミロンは後頭部を掻いた。

「ティスオの連中に、ここいらに住むリスーサ民族を探し出せと言われてな」

「へ? 何で?」

「俺も詳しくは知らないが、……その……」

「うん?」

「いや、何でもない。ところでそこのお嬢さんは何者だ?」


 イヴァナはびくっとして私の背中に隠れた。


「この子はイヴァナ。ヴィエクの町が焼き討ちにされていたから、拾って来たんだ」

「そうか。まあ、詳しくは聞かないことにするぜ。とりあえず休みな」

「うん? そうだね」


 私はイヴァナを連れて建物の中に入った。

 部屋の中にはいくつかの人だかりができていた。私は知った顔の多い集団に声を掛けた。


「みんな、無事か」

「ラリサ。ご苦労様。僕たちは大丈夫……って」


 キリロが急に険しい顔になった。


「その女の子は誰?」

「イヴァナ。ヴィエクの町で拾ってきたんだ」

「そうじゃなくて……その子は何人なにじんなの」

「は?」

「エニアーク民族? リスーサ民族?」

「え? 私は知らないけど」

「リスーサ民族なら、ティスオ兵に渡さなきゃだめだよ。匿ったら僕らまで逮捕されちゃう」


 ミロンの様子が変だったのはこれか、と私は合点した。

 詳しく尋ねたら引き渡さねばならず、どうなるか分かったものではない、ということだろう。

 イヴァナが怯えていたのもこのせいだ。


「あ、あたし、エニアーク人……です」

 イヴァナは小さい声で言った。

 キリロは途端に笑みを浮かべた。

「そう! それなら歓迎するよ。エニアーク民族同士、仲良くしなくちゃね」

 私は嫌な感じがして、眉間に皺を寄せた。

「おい、その、民族がどうたらっていうの、やめないか。私から見たらどいつも同じ人間だし。差別は良くない」

 キリロは不満そうに口を尖らせた。

「同じ人間なのにエニアーク人ばかりをいじめてきたのは、リスーサ人の方だよ」

「うっ……そりゃそうだけど……」

「ね?」

「でもリスーサ人がみんな悪いわけじゃないし……やられたらやり返すっていうのも何だか違うような……」

 私は言ったが、キリロは聞いていなかった。

「さあ、みんなで助け合って生き延びよう」


 その時、おーい、と私たちを呼ぶ声がした。ミロンが何やら紙切れを持ってやってきた。


「ティスオ兵が、食糧の準備をするから、ここに名簿を作ってくれって。みんな、名前書け」


 やったあ、とみんなは喜び合った。キリロが代表して、みんなの名前を書いていく。最後にイヴァナの名前を付け足して、ミロンに名簿を渡した。


「はいこれ、よろしくね」

「おう、ご苦労さん」


 だが、この名簿が良くなかったらしい。

 後から思えば、これは、エニアーク人の中に混じっているリスーサ人をあぶり出すための手段だったのだ。

 数時間後、厳つい顔のティスオ兵が、名簿を持って部屋に入ってきた。


「ここにあるイヴァナとかいう女はどこだ?」


 イヴァナの顔からさっと血の気が引いた。

 私はすぐに立ち上がった。


「イヴァナに何の用ですか?」

「戸籍を確認したところ、イヴァナが半分リスーサ人であることが判明した。ティスオの法律では、父母のどちらかがリスーサ人であれば本人もリスーサ人であると定められている。よって連行する」

「連行してどうすんのさ」

「貴様が知る必要は無い」

「は?」

「兵隊さん!」

 キリロが声を上げた。

「この、桃色の髪の子がイヴァナです!」

「ちょっと、キリロ?」

「ラリサ……」

 キリロの目はどこか虚ろだった。

「ここはもうティスオの領地なんだよ。法律には従わなくちゃ」

「だからってそんな無茶苦茶な」

「来い!」


 ティスオ兵がイヴァナの髪を乱暴に掴んで立たせた。私はいきり立った。


「あんた、何してんだよ!」

「貴様こそ口出しをするな!」

「いいや、するね。あんたらのやってることは支離滅裂だよ! 何が解放軍だ、このクソッタレが」

「黙らんか。いいか、者ども。我々に盾突く共産主義者の劣等民族は、こういう目に遭うのだ。見たければついてくるがいい!」


 ティスオ兵はイヴァナを連れて部屋を後にした。

 私は歯を食いしばり、その後を追った。


 建物の前の広場には、ティスオ兵に捕まったたくさんの人々が整列させられていた。イヴァナは最後列に並ばされた。


「構え!」


 号令が飛ぶ。

 人々の前に並んでいたティスオ兵たちが、小銃を構えた。

 その銃口は間違いなく、整列した一般の農民に向いている。


「は!?」


 私はあまりの恐ろしさに息を飲んだ。


「待っ――」

「撃て!!」


 耳に痛い銃声が周囲に轟いた。


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