第2章 人はみな愚かだから

第11話 解放軍がやってきた


 凶弾に倒れた死体がたくさん地面に伏しているのが見える。


「行け──ッ!! 解放軍に加勢しろ!! 今がエニアーク独立の好機だァ──ッ!!」

「うおおお──ッ!!」


 私は今、戦場にいる。銃弾が飛び交い、戦車が生き交い、兵士たちがばたばたと死んでいく、苛烈な戦の場に。


 トラクターで簡易的に掘られた塹壕に身を隠しながら、私は変化の機運を感じていた。

 ──リスーサ連邦に解放軍が攻めてきた。

 共産主義を打倒するためにやってきた。

 これは絶好のチャンスだ。


 独立!

 何という素晴らしい響きの言葉!


 解放軍という強大な味方を得た今なら、リスーサを倒せるかもしれない。かつて一人で挑んでも無理だったことが、今ならみんなと達成できるかもしれない。

 エニアークをリスーサの圧政から救えるかもしれない。


「やってやらァ──!!」


 私は己に喝を入れるために精一杯に吠え、塹壕から飛び出して、リスーサ軍への攻撃を開始した。


 ***


 そろそろ長期休暇の申請をしようと思っていた時だった。

 天界の畑で遊んでいた私の元に、久しぶりにリディヤがやってきた。


「リスーサ連邦は戦争を始めましたよ」


 そう報告をされても、最初はどうもぴんと来なかった。


「へぇ。人間は戦好きだからな……」


 土をいじりながら言うと、リディヤに「何、呑気なこと言ってるんですか」と怒られた。


「主な戦場は、ラリサさんご贔屓のエニアークなんですけど」

「ええっ」


 私は弾かれたように顔を上げた。リディヤはその細い肩を竦めた。


「あの世界はいずれそうなる運命でした。とうとうその時が来たんです」

「で、でも、死ぬのは基本的に兵士だけでしょ?」

「それは世界によりけりですよ。あの世界はもうとっくに、総力戦の時代に突入しています。国を挙げて戦争に挑みますから、どんな場所でも戦場になりますし、どんな人でも兵士になり得るんですよ」

「うーわ」


 私は呻いた。


 リディヤによると、かの世界の情勢はこうだ。


 まず、リスーサ連邦はいくつかの国で構成されている。

 主要な国はリスーサ。他の国は、名目上はリスーサと対等とされているが、実質的には属国である。

 属国の中でも比較的面積が広いのがエニアークだった。エニアークの北東の国境はリスーサに接しており、南には海が広がっている。そして西の国境は、リスーサ連邦に属さない外国と接していた。

 その名も、ティスオ共和国。世界に名高い民主主義国家だ。

 

 リスーサとティスオは、互いの政治的立場の違いのせいで、以前から敵対関係にあった。

 リスーサは、ティスオのことを帝国主義国家と見做し、いずれ共産主義国家を脅やかすものとして捉えていた。ティスオもリスーサの共産主義体制を警戒しており、リスーサのせいで自国の民主主義が揺らぐことを恐れていた。

 エニアークを挟んで国境を接するこの二国が武力衝突するのは、時間の問題だったのだ。不安定な板挟みの位置にあるエニアークが主戦場となるのも、必然的なことだった。


「エニアークの人たちの反応はどうなの? やっぱり土地が敵軍に荒らされるのは困るよね……」

「いえ、むしろ彼らは、ティスオの方々を歓迎して、進軍に協力しているようです」

「へ? 何で?」

「ティスオがエニアークをリスーサから救ってくれると思っているんですよ」

「……! なるほど!」


 実際、これまでにティスオが進駐した西方の国々の中には、ティスオの保護下で独立を果たしたものがあるのだ。この調子でティスオがエニアークを占領することができたら、エニアークも独立を果たし、リスーサの勢力を追い払える可能性が生まれる。

 ティスオ軍は解放軍とも言えるということだ。エニアーク人が待ちに待った、リスーサに対抗し得る力。


 私が一人で最高指導者をやっつけたところで、国は変えられなかった。では、国と国がぶつかったなら? みんなの力を合わせれば、国を倒せる道が見えて来るのではないか?

 正にこれは好機だ。

 以前は安易に人を殺して後悔した私だが、戦争ならばいくら殺しても許される。殺せば殺すだけ勝利に近づくのが戦争というものだ。


「善行は早くやれっていうし、明日から休もうっと」

「……ラリサさん、あの世界の戦争をナメない方が良いですよ。頭上に原子爆弾でも落とされたら、さすがの天使も生きてはいられませんからね」

「原子爆弾……あれか、手軽に大量虐殺ができる兵器」


 私は顔をしかめた。


「あいつら、そんなものまで作ったのか……。考えておくよ」

「あまり、手出しをしすぎないように……。スヴェトラナ様の仰る通り、人間のことは人間が解決しなくては」


 なあ、と私はリディヤに顔を近づけた。


「戦争のことを教えて私をけしかけたのは、あんただからね。あんた、本当は私にエニアークを助けて欲しいんでしょ」


 リディヤはウッと言葉に詰まった。


「そ、それは……たまたまです。エニアーク近辺が私の担当だというだけで……」

「やっぱり、あんただって贔屓してるでしょうが。こういう時、情報だけ寄越しておいて、危ないからと私を止めようとするのは、さすがに卑怯だよ」

「……すみません」


 リディヤはむくれたように言った。


「でも……くれぐれもお気をつけて」

「はいはい」


 ***


 そういうわけで私は今戦場にいる。


 西から攻めてきたティスオ軍は、既にエニアークの三分の一ほどの地域を制圧し終えている。前線はいよいよアッセドの町に達し、激しい地上戦が繰り広げられていた。


 戦況は混沌としている。

 多くのエニアーク人軍事警察官は、リスーサの命令に従ってリスーサ軍に参加している。反対に多くのエニアーク人農民はリスーサ政府に逆らい、解放軍たるティスオ軍に入っている。


 東の地をを死守せんとするリスーサ軍は、ティスオ軍の猛攻に押し負けて、徐々に後退しているように見えた。


 私は快進撃を続けるティスオ軍の後方に降り立った。近くに知り合いはいないかと探していると、戦車の蓋がパカッと開いて、中からミロンが顔を出した。


「おーい! お前、ラリサか! よく来た! 久々だな!」

「ミロン! トラクターの代わりに戦車に乗るようになったの!?」

「おうよ。ティスオ軍に訓練をつけてもらって、今日が初めての運転だ」

「様になってる!」

「ありがとよ。これでリスーサ政府の奴らを蹴散らしてやる!」

「私も協力するよ」

「そいつは助かる」


 ミロンはくつくつと笑った。


「ねえ、キリロたちは?」

「あいつなら小さいのを連れて、公民館の地下室に避難してるぜ。今のところはティスオ軍が守ってくれてるから問題ない!」

「そっか。ミロンも気をつけて!」

「おう!」


 私はひとまずその場を離れ、前線の方に向かった。建物の影に隠れて様子を窺い、適当な塹壕を見つけて転がり込む。

 隠れていた兵士は驚いた。


「姉ちゃん、ここは危険だから避難しな」

「私は戦いに来たので大丈夫ですよ」

「そんな軽装でか? 危ないからやめとけ」

「ああ、確かに白い服は的になりやすいですね……」

「それもあるんだが、そういうことではなく」

「いいんです。どうせ目立つことをやるんだから」


 私は地面の上に大きな花を咲かせた。鋼鉄の硬さを誇る花弁で、銃弾から身を守るためだ。

 そしてそれは、攻撃手段でもある。


「ヴィーヴ、クレスク、フルークトゥ!」


 花の中心から魚雷のように、大きなカタバミの茎が飛び出した。

 矛先はリスーサ軍。カタバミは猛然と突き進む。道に伏せていたリスーサ軍の兵士たちが、茎にぶん殴られてころころ転がる。

 一方のカタバミは巨大な実をつけた。緑色の長い実はどんどんと大きくなって、はち切れた。中から砲弾のような大きさの黒い種が弾けて飛び散り、これもリスーサ兵士に次々とぶち当たる。

 地面に落ちた種はその場で即座に芽を出して、新しいカタバミが凄まじい速さで育っていった。


 リスーサ軍を蹂躙するカタバミを見たティスオ兵たちは、仰天して私を見つめた。


「信じられないことが起こっている……」

「噂に聞いた、植物の魔法使いか!?」

「何だそれ、俺は聞いたことがない」


 私は胸を張った。


「ふふん。どんなもんよ。……さあ、のんびりしている暇はないよ。この隙に攻め込まなくちゃ!」


 ざわざわ、と兵士たちはどよめいて、上官らしき軍人を仰ぎ見た。彼は慌てて、「と、突撃ィ──!」と指示を出した。


「うおおおお!」


 勇敢な兵士たちが次々と塹壕から飛び出し、姿勢を低くして走り出す。

 私も「やってやらァ!」と叫んで突進した。


「思い知れ! エニアーク人たちの怒りの力を!」


 巨大なカタバミは、一定時間が経つと細胞の自死アポトーシスを引き起こすように作ってある。味方の兵士たちがカタバミの暴れた跡にまで進軍する頃合いには、その地のカタバミは枯れ果てていて、遥か前方で新たなカタバミが暴れているという寸法だ。


「行け──! 共産主義をぶっ潰せ!」

「エニアークの独立のために!」

「人類のより良い未来のために!」

「進めや進め──!」

「解放軍、万歳!」

「ティスオ、万歳!」

「エニアーク、万歳!」

「民主主義、万歳!」


 私の能力と兵士たちの決死の突撃で、前線は大きく東に前進してゆく。


「じゃ、みんな、頑張って!」


 私は手近な塹壕に飛び込んで、北の方角へ急いだ。戦死した人たちの遺体を乗り越えて、ひた走る。

 できるだけ広範囲に、植物の罠を仕掛けるのだ。食糧の供給が滞っている箇所があったら、そちらも私の能力で手助けしたい。


「うーん、カタバミは良い手だと思ったけど、ちょっと使い勝手が悪いかも……」


 その場にいる兵士たちをぶん殴るには、カタバミは丁度良い。だが、まだ足りない。もっと、一息で大量に仕留められる手立てが欲しい。

 私は走りながら、どんな植物がいいのか考え込んだ。


「……うん、あれを使ってみようかな」


 うまくいくかは分からないが、ものは試しだ。幸か不幸か、戦場というところには、技を試せる機会が掃いて捨てるほどある。


「私をさんざん実験材料にした、憎きリスーサめ。今度はあんたらが実験台になる番だ!」

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