第9話 今できることは少ない


「あーっ」


 紺色の髪の少年がこちらを指さした。


「ラリサだ。ラリサが急に現れた!」

「おっ、キリロ」


 みんなは作業の手を止めることなくこちらを興味津々に見てきたので、私は手を振って歩み寄った。


「みんな生きてたか。良かった」

「ラリサ、いきなりいなくなるから、また逮捕されたんじゃないかって思った」

「あながち間違いではないな。むしろ合ってる」

「やっぱり! 大変だった?」

「無茶苦茶大変だった」

「お、ラリサ」


 トラクターの運転席からミロンが声をかけた。


「お前、無事だったのかよ」

「無事ではなかったっていう話をしてるところだよ」

「んっんー……ちょっとそれは仕事終わってから聞く」

「はいはい」


 私は、脱穀後の小麦を測る作業を手伝いながら、みんなに事の次第を話して聞かせた。


「えっ!? じゃあスタルはカボチャに殴られて死んだの!?」

 キリロは素っ頓狂な声を上げた。

「何だ、ニュースになってなかったのか」

「お葬式が盛大だったってことしか知らないや」

「ふうん。そりゃまたひどい情報統制が敷かれてんだな。最高指導者の死に際すら機密とは」

「ねえねえ、どんなだったの?」

「なかなか凄絶だった。頭がこうグシャッと」

「凄いや!」

「ううん」


 私は俯いた。


「反省してる。安易に人を殺しても何も変わらなかった。もっとやりようはあったかもしれないのに」

「そんなことないよ」


 キリロは言った。


「だって、ノルマは減った。それに、一日一個はパンを食べられるようになったもの」

「一個ね……」

「その辺に死体も転がっていないし、変な匂いもしないでしょ? そりゃ死人はそれなりに出るけど、前よりはちゃんと死ねるようになったから、ちゃんと埋葬できるようになったんだよ」

「……」

「去年に比べたらうんと良くなったんだからね」

「そうか。……まさか、もう不満は無いの?」


 キリロはプイッと横を向いた。


「あるよ。たくさんある。もっとましな生活してる奴らはいっぱいいるのに、何でエニアーク人だけこんな目にって思う。リスーサのことは今でも大嫌い」

「……だよな」

「でも、見えない相手に怒ったって、お腹が減るだけだし。今は目の前のことをやるしかないって思うよ」

「そうか……」


 私は日暮れまで、労働を手伝った。

 それからミロンに声をかけた。


「なあなあ、トラクター貸して」

「貸すも何も、こいつは共用だがな。……もしかして、あれをやるのか」


 私は力無く微笑んだ。


「私は私で、目の前のできることをやるだけだよ。……ノルマを増やされない程度にね」

「ありがたいね。腹一杯食えるってのは」

「……うん」


 私は頷いて、それから、急いで付け足した。


「ずっとアッセドにはいられないと思う。ここだけ豊かにするのは、気が咎めるから……。それに、しばらくしたら、私はこの国を出なくちゃいけなくなるよ……」


 また点数が溜まったら、あっという間に天界からお呼びがかかるに違いない。今度こそきちんと言いつけ通りに戻らないといけないと思う。戻らなかったとしたら……どうなるか、あまり考えたくはない。これ以上神々を怒らせるのは、どう考えても得策ではない。


「構わねえよ。お前は見るからに色々と訳ありっぽいし、元から期待してない」

 ミロンは言った。

「それに、一人でも多くのエニアーク人を助けることの方が重要だからな。お前みたいな奴は、ひとところにとどまってちまちま何かやってるより、色んな奴を助けに行った方が良いんだろうよ」

「そうかもね」

「そんじゃ、今日はよろしく頼むぜ」

「うん」


 私は、ツルで編んだ網を敷いて、その上にゴロゴロと大量に野菜を置いて行った。

 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、トマト、ナス、キュウリ、ビーツ、トウモロコシ、ホウレンソウ、インゲンマメ。リンゴ、ナシ、スモモ、サクランボ、イチゴ、コケモモ、ラズベリー。

 これで少しでも命を繋いで欲しい。それが、今の私にできる精一杯。──今は、まだ、これだけ。

 ガタガタと夜通しかけて私は町を一周した。


 明け方、トラクターを返却する。


 誰にも何も言わず出て行こうかと思ったが、トラクター置き場には既に何人かの仲間たちが集まっていた。


「行っちゃうんだね、ラリサ」

 キリロは寂しそうだった。

「うん」

「たくさんの人を助けるんだね」

「そうできるように努力するよ」

「頑張って。応援してる」

「おう。じゃあな」

「さようなら」

「さよなら」


 私は、塀に囲まれたこの空間の出口まで、歩いて行った。こんな場所でも名残惜しいので、いくらかゆったりとした歩調で。

 検問所を通って、アッセドの外へ出る──


「ん?」

 軍事警察官が私の顔をまじまじと見た。

「貴様──昨日から指名手配中の怪物女か!? 何故こんなところに……」

「あー」


 私はぴしりと軍事警察官の頭を指さした。


「出でよ、スイカ爆弾!」


 ポコーンと気持ちの良い音を立ててスイカが男の頭に命中し、男は倒れた。


「な、何事!?」

「反逆者か!?」


 わらわらと軍事警察が湧いて出る。私は全員にスイカ爆弾をお見舞いすると、とっとと塀の外に逃げ出した。

 それでも敵は追いかけて来る。

 最速で逃げるには、やっぱりこの手しかない。私は地面に手をかざした。


「ヴィーヴ、クレスク、フルークトゥ」


 土くれを巻き上げながら、巨大なツタが地面から這い出る。


「いざ、隣の集団農場へ! 一直線!」


 やっぱり私は、こうやって派手に能力を使うのが性に合っている。

 ツタで爆走したり、食べ物をあふれさせたり、時にはムカつく奴を殴ったり。

 品行方正とはとても言えないけれど、これが一番しっくりくる。

 これからも、人の命のために、この能力を使っていきたい。


 ***


 三か月ほどかけて各地を巡った私は、五百万点の善行点を稼いだことで神々に赦され、天界に戻っていた。まだ巡りきれていない土地があるのが心残りだが、仕方がない。どうせ行けたとしても、焼け石に水なのだから。

 また機を見て人を助けに行けたらと思う。


 今日もまた私はローディオンのお叱りを受けた。あれ以来ローディオンからの当たりが非常にきつい。空前絶後の無礼をはたらいたのだから、当然といえば当然である。甘んじて受け入れよう。

 だが変化もあった。ローディオンのお付きの天使ガリナとは、以前よりももう少し仲が良くなったのだ。ガリナは優秀な天使なので、ローディオンがお怒りの際はローディオンに全面的に賛成していて、私にはちっとも助け船を出してくれない。でもお叱りが終わったら、ちょっと慰めに来てくれることもあるのだ。


「わたくしも下界での善行に興味が湧き始めましたわ」

 こんなことをガリナは言った。

「もちろん、長期的に追放されるのは真っ平御免ですけれど……絶対に嫌ですけれど……休暇を頂いた時に、どこかに旅行するというのは、悪くはありませんわね」

「そっか。その時は、どんなところだったか話を聞かせてくれよ」

「仕方ないですわね。あなたがどうしても聞きたいというのなら、話して差し上げるにやぶさかではありませんわ」

「婉曲な表現だなあ」


 それからリディヤは、エニアークについての情報をくれることが稀にあった。

 彼女は、私があの世界を引っ掻き回したことを、あまり快くは思っていないようだった。しかし私を見かけると、何かとあの世界の近況を報告してくれる。


「ヨシプとかいう、新しいリスーサ最高指導者は、古い権力者を次々と粛清しています」

「へえ。何か変わると良いけどね。死者数とか減ったりしないかな」

「そもそも粛清で殺されている者も多数いるのですから、期待を寄せるのはやめた方がいいですよ」

「そうか、そりゃ可哀想な。……エニアークの様子は?」

「相変わらずですよ。集団農場での生産物が輸出に使われている傍らで、飢えに苦しんでいる人が一定数います」

「そっか」


 私は束の間、目を伏せた。それから決意を込めてこう言った。


「よし、私も頑張って働こうっと」

「えっ!? ラリサさんがそんなことを言うなんて、今日は天界に槍の雨でも降るんですか?」

「だって、長期休暇を早くもらいたいんだよ。そしたらまたエニアークに行こうかなって」

「はあ。それは、物好きなことですね」

「あそこに落とされたのも何かの縁ってやつだよ」


 私の小さな力では、下界の辺境の国の小さな町一つすら、変えることはできない。それでも、こうして少しずつ為す善行が、ほんの僅かでも成果を実らせてくれるといい。点数稼ぎではない、本当の意味での善行。その積み重ねが、いつかは明るい未来を拓いてくれることを、祈る。


「さて、五級の天使様は忙しい。今日のところはもう、ちっちゃな妖精ちゃんとはお別れしなくちゃいけないや」

「七段階中の五級なんて、大して偉くもないですよ。自重してください」

「冗談が通じない奴め。いいのいいの。じきにもっと点を稼いで偉くなったら、バカスカ休暇をもらってやるんだから」

「ではその時までお待ちしております。せいぜい頑張ってください」

「頑張りますとも」


 私はよっこいしょと立ち上がった。

 片付けなくてはいけない書類が山とある。さっさと全部やっつけて、私の有能ぶりを見せつけてやろう。


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