第8話 処される天使
「ラリサさん」
どこからか声が聞こえる。
「ラリサさん」
「ラリサ」
「起きてください」
「これ、死んでらっしゃるのかしら?」
「いえ、生きてますね。ラリサさーん」
うーん、と私は頭をもたげた。
視界がぼんやりと霞んでいる。
何度か瞬きすると、そこにいるのが、お目付役の妖精のリディヤと、同期で優秀な天使であるガリナだということが分かった。
「何、ぼーっとなさっているの。お起きになって!」
ガリナは私を叱り飛ばしたが、無理があると思う。
だって、物凄い勢いで能力を使って疲れたところに、銃で撃たれたんだぞ。さすがの私も、危うくくたばるところだった。ああ、それから──どうなったんだっけ。
「ここどこ……」
「全く」
リディヤは腰に手を当てた。
「ここはリスーサ連邦の擁する情報局の施設。極寒の僻地にて、密かに人体実験を行なっている牢獄の、独房です。あなた、撃たれても死なない謎の植物人間ということで、格好の実験材料になってるんですよ」
「うげぇ……何てこった」
私は弱々しい声で言った。
「ちょっと、さすがに嫌だな、それは……。ガリナ、あんたの能力でここから出してくんないかな」
「できればそうして差し上げたいところですけれどね。神々があなたにひどくお怒りなのよ。しばらくはここで頭を冷やすようにと仰せでしたわ」
私は出来うる限りに表情筋を総動員して、苦々しい顔をしてみせた。
「何っだそれ……リスーサの連中以上に、血も涙も無いっていうか」
「仕方がありませんわ。天界で実施できる最高の罰は、追放だけなんですもの」
「そんでもって下界で拷問を受けさせるって? 滅茶苦茶すぎる……。だからあいつら嫌い。滅べばいいのに……」
「神々が滅んだら天使も滅びましてよ」
「そっか……そいつぁ困ったな……」
「それ以上無駄口を叩いて善行点を減らすのはおすすめできませんわ。たったの五千点とはいえ、せっかく残っているのですから」
そこはどうでもよかったのだが、ひとまず私は黙った。さて、とリディヤが進み出た。
「あなたが気になっているであろう、この国の状況についてご説明して差し上げましょう」
「ああ……」
できればもう少し頭がはっきりしている時に教えて欲しかったが、早く知りたくもあったので、私は懸命に己を鼓舞してリディヤの話に耳を傾けた。
スタル撲殺事件から、今日で三日が経過している。
リスーサでは、スタルに代わってヨシプという男が、速やかに最高指導者の地位についた。彼はスタルの政策を一部批判しつつも、大きな方針転換はしなさそうである。
エニアークの集団農場については、ひとまずノルマは従来の量にまで抑えることが決まった。食糧の徴収もこれまでよりは控えめになっているという──これまでよりは。
集団農場そのものを廃止するわけではないので、人々は依然として貧しい暮らしを強いられそうではある。
「……結局、私は、何も変えられなかったのか……?」
「そんなことはないですよ。飢饉はちょっとくらいはましになるんじゃないですか?」
「それじゃ足りないんだよ……」
私は天井を仰いだ。
「はぁ……人殺しまでしたのに。万策尽きた。私はどうすれば良かったんだろう」
ガリナとリディヤは顔を見合わせた。
「まず、人を殺したところで何かが解決するはずがないということは、わたくしから申し上げておきますわ。無意味に大罪を犯したことを、深く反省なさいませ」
ガリナはそう言って私を諌めた。
「それから……わたくしの出来る範囲内でなら、あなたを助けて差し上げてもよろしくってよ。これも同期のよしみですわ」
「ガリナ……」
「あなたがそこで頭を冷やすというのは、神々のご指示ですから逆らえませんわ。ですが、あなたの体力が回復して、そこから自力で脱出できるまでになった時は、わたくしをお呼びなさい。エニアークまでお連れしますわ。そちらでお知り合いとでもお会いになってはいかが? そうすれば少しは、やるべきことが分かるかもしれなくてよ」
私は瞬きをした。
「あんた……思ったよりは良いやつなんだな……」
「まあ。わたくしはあなたより遥かに優秀な天使でしてよ。良いやつに決まっていますわ」
「いや、なんつーか……。何でもないわ。ありがとな」
「礼など結構ですわ。謝意なら今後の態度で示してくださいませ」
「ん……分かった」
私は目をこすった。
「……まだ体力が回復してないみたいだ。少し寝かせて……」
「まあ」
「そりゃそうですよ。この三日間、寝ながら人体実験を受けて、頭や腹を掻っ捌かれてますからね」
「ぐえぇ……詳細は聞かないでおくよ。おやすみ……」
「おやすみなさいませ」
ガリナとリディヤは、独房からフッと姿を消した。
私は冷たい床に体を横たえて、ぐうぐう眠った。
***
目を覚ましたら腹を掻っ捌かれている最中だった。死ぬほど痛い。こんなに痛めつけられたのはこの百年で初めてだ。
「うーわ」
私は呻いた。実験をしていたらしい幾人かの人々は、ギョッとして手を止めた。
「麻酔くらいちゃんとしてくれ頼むから……」
「ウギャー!? 動いた!! 喋った!!」
「そりゃ動くし喋りますよ……」
「おい、今どんな気持ちだ? 痛いのか? 教えてくれ。記録を取りたい」
「やーなこった。何で私があんたらの実験に協力しなきゃいけないんだよ。いいから麻酔をしなさい」
「この状態で意識を保てるなんて、やはり人間にできることではない……! どこまで気絶せずに痛みに耐えられるか、やってみてもいいか?」
「いいわきゃねーだろ!! いや待って本当に痛いからっ痛ったいこれはマジで痛い!」
「魔法は? 魔法は使わんのか?」
「魔法……って、ああ、植物か。いや今はちょっと余裕が無いっていうか……いややめてそれやめてマジで本当にやめギャアアア!!」
そういう感じだったから、私が回復するのにはかなりの時間を要した。ちゃんと起きていられるようになるのに半年、建物を破壊できるくらいの力を取り戻すのにまた半年。
その間、リディヤは私のところに時々現れて、エニアークの近況を教えてくれた。
大虐殺と呼べるほどの大飢饉は収まっているという。人々は朝から晩まで労働力を搾取され、疲弊しきっているが、死亡率は大幅に下がった。
「……そっか。みんな苦労してるんだね」
「一応、死体を掘り起こして食すような事態は免れてますから、あなたがしでかしたことも、少しは意味があったようです」
「……うん」
「だからって天使が独断で人を殺していいわけじゃないですけどね」
私は不貞腐れて横を向いた。
何万人ものエニアーク人を見捨てることと、一人の独裁者を殺すこと。どっちもどっちではないか。独断が駄目だったというならば、スタルにはとっとと神々が天罰を下すべきだったのに。
……そんなこと、神々はしないだろうけれど。
──こうして時は過ぎ、私は力を充分に蓄えた。
リディヤが定期報告に私の元を訪れた時を見計らって、私はことを実行に移すことにした。
「……この、情報局の実験場を木っ端微塵にして、ついでに他の囚人も助けるから。ガリナを呼んでおいてもらえる?」
「承知しました」
リディヤが消えて少ししてから、私は壁に手を当てた。
ドォン、という轟音と共に特大のイバラが生じ、独房を破壊した。私は極寒の外へと走り出て、凍土に手を添え、大量の樹木を発生させた。
「いけっ!」
メキメキと音を立てて建物が倒壊する。
「何をなさっていますの!」
ガリナが現れて、悲鳴のような声を上げた。
「これでは中の人が無事では済みませんわ!」
「ガリナ! 早いな! 大丈夫、中には色々他の植物を生やして、クッションの代わりにしてるから」
「あ、そうでしたの……」
「そんなことより」
私はニヤッと笑った。
「こんな寒くて何も無いところに囚人たちを放り出したら、それこそ無事じゃ済まないよ。あんたの能力で、みんなを手頃な町の安全なところまで、瞬間転移させてあげてよ」
「……あなた、わたくしをこき使う気ですの?」
「ん? あんたは人間が凍死していく様子を黙って見てるつもり?」
ガリナは怒ったように私を睨みつけた。
「そんなわけありませんわ。仕方ないですわね、あなたの言う通りにしてさしあげますわ」
「さすがガリナ。それでこそ上級天使!」
「おべっかは結構ですわ!」
こうして囚人たちは各地の病院に送られ、情報局の秘密の実験施設は見るも無残に倒壊した。
「これでよし。ありがとう、ガリナ」
「どういたしましてですわ」
「じゃ、最後に、私をエニアークのアッセドまで送ってくれると助かるな」
「元からそのつもりでしてよ」
ガリナは私をびしりと指さした。
「モヴィガンタ・アル・アッセド!」
ふわりと体が浮くような感覚がした。
一瞬の後、再び重力が戻ってきた。そっと目を開ける。
目の前には、見覚えのある麦畑が広がっていた。
私はアッセドの集団農場へ、戻ってきていた。
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