第6話 神と天使と人間と


 神々が私の世界間の通行を許可したので、私とリディヤは天界に戻った。

 儀式の間ではローディオンが待っていた。


「お久しぶりです。ローディオン様。ご機嫌如何です?」


 私は慇懃に挨拶をした。ローディオンは無言で頷くと、「来たまえ」とだけ言った。


「はーい」

「仰せのままに」


 私たちは、スヴェトラナたち高位の神々が待つ部屋に連れて行かれた。


 私たちが跪くのを待って、スヴェトラナが口を開く。


「まずはリディヤ。この度の任務、ご苦労でした」

「勿体ないお言葉にございます」

「それからラリサ。過酷な環境に落ちたにも関わらず、自分の力で状況を打破しようとするその姿勢。見直しました。褒めてつかわしましょう」

「ありがとうございます」

「ラリサはかつてない速度で善行点を上げました。何か褒美を取らせなくては。何か希望はありますか?」

「あります」


 私は断言した。


「新しい能力をください!」

「……ほう?」

「瞬間転移の能力が欲しいです!」

「……一応聞きますが、それでどうするつもりです?」

「作った野菜を、かの世界の飢餓に陥っている全家庭に配りまくります。無限に!」


 今の私は目に見える範囲でしか能力を発動できない。だが転移能力があれば、その場から動かずとも食べ物を届けられる。各家庭に無限に野菜を供給し続ければ、さしもの軍事警察も回収が間に合わないだろう。これならノルマが上がってもすぐに対応できる。


「なるほど」


 スヴェトラナは無表情だった。


「駄目です」

「何故ですか?」

「そんなことに神の力は使えません」

「そんなことですって!?」


 私は立ち上がった。


「何故です? あなた方だって、私が食べ物を施したら、私の点数を上げたじゃありませんか!」

「一時的に人を救うことには意味があります。しかし永続的に施し続けることは、堕落と破滅を招きます」

「……!」

「そなたが人間に無限に施すのは、人間にとってはむしろ毒です。そのせいで破滅していく彼らの未来の責任を、そなたが取れるんですか」


 私は咄嗟に反論できずに、唇を噛んだ。

 一応、理屈は通っている。認められない点はたくさんあるが。


「ラリサ。神や天使が、人の営みに過剰に介入することはあってはなりません。気をつけなさい」

「じゃあ……何で私を下界に追放したんです?」

「過酷な環境下にやることで、そなたを改心させるためです。百万ほど点を溜めた頃合いで戻ってくるのが丁度良いと判断しました。予想よりかなり早かったですが」

「納得いきませんね」


 私は低く言った。


「そもそも、無謬であるはずの神々が管理しているはずの下界の一つで、何故あのような悲惨な事態が起きているのです? 監督不行き届きではありませんか?」


 神々は憤慨したようにブツブツと何か言った。スヴェトラナが彼らを軽く宥め、呟くように言った。


「醜いのもまた、人間の姿……」

「……え……」

「それもまた人の子の為すことの一つということですよ、ラリサ。人間同士の争いの調停は、人間自身がやらなくては。そこに介入するのは神々の役目ではないのです。我々は静観する他ない……」

「では……あなた方の役目とは一体何です?」

「より高次元のことですよ」


 スヴェトラナの話し方は、どこか遠くを見据えているかのようだった。


「言うなれば、そうですね……人間の定義を世界に位置付けることでしょうか。世界にとっての人間というものを意味付けする……。世界にあるものとしてその存在を定める。そういったことです。その中で人間が何を為すかは、また別の問題……」

「そ、そんなの、初耳なんですが」

「そなたが低級の天使ゆえに知らぬだけのこと」

「……」


 ぐうの音も出ない。


「じゃあ、私たちにできることは、もう何も無いのですか」

「ありません」

「……」

「さて、褒美の話です。そなたの等級を特別に二つ進めましょう。次から五級天使として研鑽を積むように」

「……はい……」

「下がりなさい」

「……失礼します」


 私は部屋を去った。

 廊下を歩きながら考え事に耽る。


「リディヤ」

「はい?」

「あんたは何も思わないわけ。苦しんでいる人間を見て」


 リディヤは少し顔をしかめた。


「思わなくはないですが、神々の仰せの通り、私にできることはありませんので」

「……そう。それで諦めるのが、『いいこと』なんだ。へえ」

「ラリサさん?」

「私はさあ」


 吐き出すように私は言った。


「低級の天使だから分かんないよ。いいこともわるいことも分からないし、そんな簡単に割り切ることなんてできない。天使として何が正しいのかも知らない」

「……はい」

「でも私は、成績の悪い、問題児の天使だから」

「……はい?」

「神々の意に沿わないことだってできちゃうんだ。天使としては正しくないことだってね」

「何を言っているのです?」

「……私は行くよ、リディヤ」

「行くって……」

「このまま全て諦めて、天界でぬくぬく点数稼いで暮らしてろって? ばかみたい!」


 言うや否や、私は駆け出した。


「あーっ! ラリサさん、どこへ! だっ、誰か止めてー!」


 わーっと妖精たちが十匹あまり集まってきたが、何匹かは遠慮がちに身を引いた。私が美味しい果物をよく与えている個体だ。それ以外の妖精をツル植物を振り回して追い払うと、私は儀式の間へ突進した。

 しかし、扉の前で立ちはだかる者が二人。

 怒り心頭に発した神、ローディオンと、お付きの上級天使ガリナだ。


「ローディオン様!」

 私は作り笑いをした。

「私、ちょーっと下界に用がありまして! すみませんがそこを通してください!」

 ローディオンは黙って、疲れた風に眼鏡を直した。


「勝手な真似は許さないそうですよ」

 ガリナもにっこり笑って私に手のひらを向けた。

「あちらの方で頭をお冷やしになって!」

「やーなこった!」


 私はガリナに向かって巨大カボチャを投げつけた。ガリナの発動させた能力──「瞬間転移」はカボチャに当たってしまい、カボチャは消え失せた。今頃庭の真ん中あたりに巨大カボチャが転がっているはずだ。


「今だっ」


 ガリナが当惑している隙をついて、私は廊下の両脇から樹木を生やした。急成長するしなやかな枝でローディオンとガリナを拘束すると、彼らを飛び越えて儀式の間に突入する。

 だが、下界への入り口まであと一歩というところで、体が動かせなくなった。


「──神であれば」

 ローディオンが歩み寄ってくる。

「天使ごときを抑えることなど容易いのだよ」


 振り向くこともできない私の正面まで、彼はわざわざ回ってきた。


「さすがローディオン様ですね」


 口を動かすことはできたので、私はそう言った。


「私の木を抜け出したばかりか、私の動きを止めてしまうとは。神々のお力とは誠に偉大です」

「本当にそう思っておるのなら、素直に言うことを聞かんか!」

「えへへ……思ってないですから聞けませんね」


 私は口からプイッと種を吐き出した。

 コロコロとローディオンの前まで転がって行った種は、ジェット噴射のような勢いで成長し、開いた巨大な花がローディオンを包み込もうとした。


「だから、この程度の能力など……」


 ローディオンは容易くその花をズタズタに裂いて脱出した。途端に花の切り傷から、毒性のある水が飛び散り、ローディオンに降りかかった。


「うわっ」


 ローディオンの気が、一瞬逸れた。私にかけられたローディオンの術が解け、私は自由の身となった。

 私にも毒がかかったが、私の方は度重なるこの技の練習ですっかり耐性がついていたのでへっちゃらだった。


「エンジェルス・トランペット! ……っていう植物を巨大化して、毒性をうんと強めたものです! 神様に毒なんかそんなに効きゃしないでしょうけど、一応お気をつけて!」


 私は部屋の真ん中まで走り、下界への転送開始のためのレバーを引いた。


「そんじゃ、行ってきます」


 私は狙い通りの下界――第十三区域第五番の世界まで、まんまと下りて行った。


「ついでだから下りる場所も設定しようかな……」


 そうして私が現れたのは、リスーサ連邦に属するリスーサ社会主義共和国の首都ウォクソム。

 突如として町の真ん中に出現した私を見て、道行く人々はぎょっとした。

 私は左右を見渡した。


 人々は健康そうで、飢餓状態というわけでもなさそうだった。エニアーク人が苦しんでいる横で、彼らは食糧の供給に預かっているのだ。意図的に設定された格差というのは実に気持ちの悪いものである。

 そればかりではない。建造物はどれも威容ある姿でそびえ、立派な乗用車が何台も行き交い、精肉店には長蛇の列ができ、路上は綺麗に掃除されている。いかにも都会という感じだ。


(これがこの世界の国の首都。思ったよりずっと発展している……)


 そんなことを考えていると、遅ればせながらリディヤが現れた。


「何やってんですか、ラリサさん!! ひどすぎます!! ローディオン様に狼藉をはたらくなど!!」

「ははは。あんた、私のお目付け役兼案内役なんでしょ? 駄目じゃないかこんなことさせちゃ」

「本人に言われたくはないんですよっ!!」

「ごめんごめん。私、これからこの国の最高指導者のところに行くから、あんた案内してよ」

「いいえ、もう勝手は許されません。今すぐ天界に戻ってください!」

「だったら天使でもなんでも送り込んできて、無理やり連れ戻せばいいでしょ」

「そうさせていただきますっ!」


 リディヤはぷんぷん怒って姿を消した。


「こりゃうかうかしてらんないな。追っ手が来たら、あっという間に連れ戻されちゃう」

 私は手を宙に差し出した。

「さあ、ひと暴れしてやりますか」


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