第5話 善行とは何ぞや


「エニアークの面積はおおよそ六十万平方キロメートルで、人口は四千万人ほど。飢餓の犠牲者数はこれまでにおおよそ四百万人じゃないでしょうか」

「……おう……」

 十人に一人が飢えで死んでいると。尋常ではない。

「因みにエニアーク含むリスーサ連邦の面積はおおよそ二千万平方キロメートル」

「に、にせんまん!?」

 エニアークの何十倍もあるではないか。

「リスーサだけで人口は三億ほど。世界全体では推定二十億人ですね」

「あばばぁ」

 私は頭を抱えた。


「そんなにたくさん抱えきれないよ〜」

「ラリサさんが抱える必要はどこにもありませんが」

「確かに」

「何ですか? ラリサさん、もしかして、世界中の飢えを救う気だったんですか?」

「うん、まあ、そんなとこ」

「やめといた方がいいですよ」


 リディヤはあっさりと言った。


「色々と無理がありますから。それに、天使の力を借りて一時的に飢えを凌げたところで、意味ないです。最終的には人間の力でどうにかしない限り、世界は変わりませんって」

「確かに」

「ですから、馬鹿な真似はもうやめて、目の前の労働を──」


「ん〜」

 私は唸った。

「だからって目の前の人を見捨てる理由にはならないんだよなぁ……」


 リディヤは目を皿のようにした。

「はい? あなた、そんなお人好しな天使だったんですか?」

「逆に、目の前で死にかけてる人たちを放置する天使って何?」

「いやまあ、そりゃあそうなんですが……」

 リディヤは難しい顔で頭を掻いた。


「……まあ、好きになさってください」

「もちろんそのつもりだよ」

「それでは、あなたの様子を天界の神々にご報告してまいります」

「頑張って〜」


 金色の光とともに、リディヤは消えた。

 私は少しの間考え込んだ。ある単純な計画が頭の中にはあった。


(うん、とりあえず家に戻ろう)


 確かあそこには個人用の畑なる区画があった。あの場所を使おう。

 私は塀に沿ってツタを蔓延らせて足場を作り、よっこいしょと塀の上に立った。そこからスタッと、塀の中の道路に飛び降りる。


「貴様ッ! 塀から侵入するとは不届きな!」


 早速叱責が飛んできたので、私はうんざりした。いい加減、軍事警察の怒声も聞き飽きてきた。


「すみませーん。もうやりませーん」

「……む? 貴様、先日の果物女か?」

「違いますぅ〜」


 私は走りながらそう言い捨てると、急いでその場を去った。


「戻ったよ〜」


 私が、畑作業をしているみんなの元へと手を振って駆け戻ると、わっと歓声が上がった。


「五体満足で戻ってきた!」

「よかったー!」

「こんなに早く生還する人がいるとは……」

「心配してくれてありがとうな」

 私は謝意を述べた。

「それと、ちょっと今から面白いことをやるから、そこから見ていて欲しいんだ」


 今度は何だ、とみんながざわめく。私は駆け足で自分用の畑に向かった。


「ヴィーヴ、クレスク、フルークトゥ!」


 歌うように唱えて、手を上に。

 すると畑から、巨大なインゲンマメのツルが生えてきた。

 絡まり合いながら成長を続けるそのツルに、私は抱きついた。


「さあ豆の木よ、遥か天空の彼方まで!」


 木はギューンと育ち、私を高みへと連れて行ってくれた。あっという間に雲を貫いて、まだまだ伸びる。さすがの私も寒くなり、息も苦しくなってきた。


「こんなもんでいいかな。今回は、エニアーク全土を見渡せればいいから……。まあ、国境線なんて目に見えないけど」


 眼下の雲の合間から、広々と開けた土地が見渡せた。アッセドは思ったよりも海に近いようだ。この国に海があることも私は知らなかった。


「とりあえず広範囲に能力を使えばいいかな?」


 私は豆のツルから片手を離して、ぐるりと大きく腕を振った。


「ヴィーヴ、クレスク、フルークトゥ! エニアークの畑に祝福を!」


 キラキラッと、私の天使としての力が散らばって、地面へと向かっていく。

 私はもう一度、下を覗き込んだ。


「ここから見ただけだと分からないけど、まあ大丈夫でしょ」


 私は、エニアーク全土の植物が実らせる実の量を、ぐんと増加させたのだ。これで信じられない量の農産物が採れるはずである。どんな作物でも、収穫量が三十パーセントは上がるに違いない。


 私は満足すると、パッと手を離して、落下を始めた。

「ヒュウー!!」

 空を飛ぶのはなかなか愉快だ。

 適当なところで、巨大なフウセンカズラの実を作り、穴を開けてパラシュートの代わりにした。フウセンカズラはふわふわと風をはらんで降りてゆき、私は無事に元の場所に戻れた。


「ラリサ!」

 キリロが駆け寄ってきた。

「何だか急に、ってる小麦の数が増えた!」

「これでノルマ達成は楽勝だろ?」

「うん!」


 しかしミロンや何人かの人々は、複雑な表情をしていた。何故だろう、と私は思った。作物が増えたら困ることとは何だ? 政府からより安く買い叩かれるとか? いや、飢餓がエニアーク全土を襲っている今、作物は圧倒的に足りていないはず。少し増やすくらいが丁度いいのではないのか。


 ──数日後、私はミロンが悩んでいたわけを知ることになる。


 簡単に言うと、ノルマがこれまでの一.五倍になった。

 収穫量の増加とノルマの増加が全く噛み合わない。状況はむしろ悪化したことになる。


 しかも、結局のところ作物は、増やしても増やしても、根こそぎ政府が持って行ってしまう。外国への輸出に回されてしまうか、リスーサの中枢に住まう人々の腹に収まるか、どちらかでしかない。いつまで経ってもエニアークの人民にパンが還元されることはないのだ。


 私は改めて、この飢饉が人工的なものであることを痛感した。リスーサ連邦政府はどうしてもエニアーク人に食べ物を与える気はないのだ。


(……だからって、ここで諦めるのも、後味が悪いんだよなあ……)


 中途半端に手を出して、いたずらに環境を悪化させ、後のことは知らんぷり……などという真似はしたくない。


(もし、リスーサ中に配り歩いても余るくらいの収穫量があれば)


 いや、それでも駄目だ。余剰を出したところでエニアーク人の口に入る量は変わらない。リスーサ政府がそのように操作しているからだ。たくさん実らせたところで、恵まれた人々がますます肥えてゆくだけ。


 それでは、一体どうすれば、この虐殺は終わるのか。


 もう、政府の人間の首をすげ替えるくらいしか、方法が……。


 私は硬くて冷たいベッドに横たわりながら、長々と考え事をしていた。連日、能力の使いすぎたので、ひどく疲れていた。今朝もトラクターを乗り回し、アッセドの内部と外部それぞれに、野菜を大量に置いてきたのだ。


「こんばんは、ラリサさん」


 突然声がした。

 チカッと目の前が光って、リディヤが現れた。

 私は起き上がらずに、彼女をじっと見た。


「ラリサさんの点数が百万に届きましたよ」


 リディヤは言った。私は「はあ?」となじるように声を上げた。


「何で加算されてるわけ?」

「近場のあらゆる畑の作物を増やした時に、点数が飛躍的に伸びました」

「意味分かんない」


 私は枕に顔をうずめた。


「あんなことしたって、みんなの苦しみが増えるだけだったでしょ」

「ですが、飢えた人に食べ物を施すのは良いことです」

「結果としてみんながもっと飢えてるって言ってんの。私のやったことは悪行だったんだ」

「しかし実際に善行点は上がったわけです。今や百万点を通り越して三五二万……」

「くっだらない!」


 私は起き上がって叫んだ。


「誰だよ、私の点を上げた奴は!」

「それは、スヴェトラナ様ですとか……」

「全く! だから嫌いなんだ、神々なんて!」

「ラリサさん、言い過ぎです! 減点になりますよ」

「点数、点数、点数」


 私は恨みがましく言った。


「それこそばかみたい。何の役にも立たない評価制度。結局、神々の独善的な価値観でしかないっていうのに、それが天使の全てみたいになってる。私はそういう権威主義は大っ嫌いなんだ」


 私は、言葉を失くしているリディヤを睨んだ。


「私がやりたいのは神々に媚びることなんかじゃない。もっと大事なことのために生きたいの。だから天界には戻らないって、スヴェトラナには言っておいて」

「……困ります。必ず連れ戻すようにと仰せつかりました」

「何故? この前まであんなに追い出したがっていたのに」

「ラリサさんが短期間で善行を積んだので、褒美を取らせると」


 虫のいい話だ。私は思いっきり顔をしかめたが、ふと思いついたことがあった。


「褒美……って何?」

「さあ、存じ上げませんが」

「とにかく私は一度天界に行くんだね?」

「一度っていうか、もう天界で暮らしていいんですよ」

「……そうか……」


 私は呟いた。


「……気が変わった」

「何ですか?」

「天界に行って、神々にお会いしよう。褒めてくれるってんなら、多少は私の話を聞いてくれるだろうしな」

「……何か企んでます?」

「まさか」


 私はニヤッと笑った。


「神々相手に悪さをしようだなんて、そんな畏れ多いことはしないさ」

「どの口が言ってるんですか。庭にヘンテコリンな植物を生やした件は、私も聞き及んでますよ」

「あんな悪戯、悪さのうちに入んないって」

「……」


 リディヤは大袈裟に溜息をついた。


「まあ、ラリサさんが天界に同行してくださるなら、私は何でも構いませんけど」

「うん。行くよ」

「分かりました……」

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