第4話 救済への果てなき道
脅迫行為は何時間と続いた。尋問官が入れ替わり立ち替わりやってきて、あの手この手で怒鳴り散らして私に虚偽の自白をさせようとした。しかし天使は普通の人間と違って疲れにくい性質だし、私は尋問官の目を盗んでイチゴを食べることができたので、どうってことはなかった。
私は飽きてきてしまい、どんな質問にも「さあ?」と適当に返事をするようになってきた。
「食べ物が出現したという報告があったが、どういう意味かね?」
「さあ?」
「出現するとは何だ? 具体的にどういう現象なんだ?」
「さあ?」
「何だねその態度は。いい加減にしたまえ。我々を舐めているのかね!?」
「さあ?」
「……待て、今何を食べている!? パンなど一度も与えていないはず……」
「さあ?」
「何なんだね君は……一体どういう手品で食べ物が……どこから調達を……」
「さあ?」
そのうち尋問官の方が、訳が分からなくなってきたらしい。私は何時間か放置された。その後私は、理由も告げられないままに釈放された。何だ何だとこちらからしつこく聞くと、「他に上から指示が出ていない」とだけ返ってきた。
駄目な奴ら、と私は鼻で笑った。規則でがんじがらめになっていて、明らかな異常事態が発生しても機転を利かせて対応することができなくなっている。
そんなこんなで、とにかく私は自由の身となった。
「うーん、よく分からなかったな。まあ、運が良かった」
私は敷地を出た。
ひとまず、あの石みたいな布団の待つ部屋に帰りたい。私は伸びをしながら駐留所を後にした。町中を爆走した時の記憶を頼りに、塀に沿って歩き出す。
塀はぐるりとアッセドの町を取り囲んでいるということは、何となく分かっていた。しばらく行くと、塀が途切れている所があって、検問所のようなものが設置されているのが分かった。
外側の世界はどうなっているのだろうか、と私は思った。もしかしたらひどいのはこの壁の中だけで、外には広い世界が待っていたりとか……。
そんな妄想をしていると、突如として、つんざくような少女の声が聞こえてきた。
「ごめんなさいぃ!」
な、何事!?
声の聞こえた先に咄嗟に目をやると、検問所の前で、痩せこけた少女が背の高い軍事警察に襟首を掴まれて宙吊りになっているところだった。
(……ったく、この国は!)
私は舌打ちをして、駆け戻った。走りながらバッと手を振り、軍事警察官にスイカ爆弾をお見舞いする。
「ぐぎぇっ」
他の人が集まってくる前に、私は少女を抱え上げて、即座に塀の外に走り出た。
外の世界は……耕作も何もできなさそうな森の中にあって、荒れた一本道がまっすぐ伸びていた。
私はひとまず森の中に飛び込んで、新しく木を生やして身を隠した。
「お嬢ちゃん、無事?」
「あっ、あの、あたし……」
「突然ごめん。アッセドを出ようとしていたように見えたから、こっちに連れてきちゃったけど、合ってた?」
少女はこくんと頷いた。
「なら良かった。……奴らが私たちのこと探してるとまずいから、しばらくはここで待ってもらっていい?」
「うん……」
こうして私たちは森の中で暇を潰すことになった。
少女の名はイヴァナと言った。
私は木の間に、ツタで編んだハンモックを二つ吊るして、イヴァナを休ませた。それから、バナナを与えた。
「イヴァナはさ、他の町に住んでるの?」
私は尋ねた。
「うん……」
「何でアッセドに来ちゃったわけ」
「アッセドに、食べ物を出せる魔法使いが現れたって、聞いたから……。それってラリサのことでしょう?」
私は「あちゃー」と天を仰いだ。
「うん、私のことだね」
「下のきょうだいに食べさせてあげなきゃって思ったから、こっそり来てみたの。母さんも父さんも死んじゃったし、うちは働き手がいなくて……」
「……そっか……」
「二人はね」
イヴァナは目に涙を溜めた。
「あたしたちにパンを食べさせるために、自分たちのパンを食べなかったの。代わりに、死体を掘り起こして食べちゃって」
「は!?」
私は跳ね起きた。
「死体って、人の?」
「うん……」
「おうふ……!」
「そのせいで病気になったんだって、近所の人が言ってた。だからあたしは真似しちゃ駄目だって……。でも、そうしたら、あたしたちは何を食べればいいのか……」
「んぐふ……!」
「ラリサ、変な声出てる」
「……気にすんな……ちょっと衝撃が大きかっただけだから……」
それから私は、果物と野菜をいくつか出してイヴァナに持たせた。
「ひとまずはこれをきょうだいたちと食べなさい。軍事警察の奴らに取られないように気をつけなよ。その後のことは私が何とかしてやるから」
「うん。ありがとう。でも、何とかって?」
「それは今から考える」
私はハンモックに背中を預けて、黙考した。
アッセドの町を一つ助けたところで、この国には他にもまだまだ町がたくさんあるに違いない。それも、アッセドよりもひどい状況の町が。それを全部助けることはできるのか? どこまで助ければいい?
アッセドで足りなければエニアーク。エニアークで足りなければリスーサ連邦。それでも足りなければ世界中。では、世界中とはいかほどの広さがあって、何人の人が苦しんでいて、どこまで私の力を及ぼすことができるのか? 全世界中の人が苦しまずに生きられるようにするなんて、そんな御伽噺みたいなことを現実にできるのか? というか、それをこの私が実行すべきなのか? 身近な町の少女を救うこともできないこの私が? これは困った。困ったぞ……。
その時、金色の光が目の前で弾けた。
「ん? 何だ?」
「何だ? とは何ですか?」
「あっ、リディヤ」
案内役の妖精の存在を半分くらいは忘れかけていた。そうだ、分からないことはこの妖精に聞けば良いのだ。この世界が管轄の生き字引なのだから。
「ラリサ、どしたの?」
イヴァナが頭をもたげたので、私は「ああ」と返事をした。
「ちょっとね、今、異世界と交信中」
「えっ?」
「何あほなこと言ってんですか。今周りに人はいませんから、その子は逃がして大丈夫ですよ」
「おっ、マジか。イヴァナ、今なら逃げて大丈夫だってさ」
「そうなの?」
「うん、妖精さんがそう言ってるから大丈夫だ。早いとこ、きょうだいのところにそれを持って行ってあげな」
「うん……!」
イヴァナはハンモックから降りた。
「ありがとう、ラリサ。さよなら」
「はいはい。気をつけな」
イヴァナが走り去ると、リディヤは「さて」と話を始めた。
「凄まじい勢いであなたの善行点が加算されてるんですが、一体何をやってんですか、ラリサさん?」
「んあ……」
そういえば善行点というのがあったっけ。私は何か加点されるようなことをやったかな?
……めちゃくちゃやってるわ。
「んー、目の前にお腹を空かせた奴らがいたから、食べ物を与えただけだけど」
「えっ……!? ラリサさんがそんな優等生みたいなことを言うなんて……!!」
リディヤに言われて、私はいくらかムッとした。
「いや、私にも天使の心はあるからね!? 優等生とかそんな、点稼ぎに必死になってる奴らと、一緒にしないでもらえるかな」
良い仕事に就くために必死こいて点を稼ぐことは、善行でも何でもない。本当に良い生き方っていうのは、まず自分が楽しく生きること、そして他人を思いやれることじゃないかと思う。
私は善のために働くこと自体は嫌いじゃない。権力者に媚びるのが嫌いなだけだ。
「……で、点数ってのはどんくらい上がったの」
「そうですね」
リディヤは宙にピンクの光を表示した。
「ざっと四十万九千点……」
「え、そんなに? もう半分も来てんの?」
「はい。これには女神様も驚いていらっしゃいます」
「困るわー。まだ天界に帰りたくないんだよね」
「本当にラリサさんは変わったお方ですね……」
リディヤは溜息をついた。
「神々はあなたに、過酷な環境下で労働をさせて惨めな思いをさせるために、この世界に落としたというのに……まさか世界そのものを変えようとしてしまうとは」
「いや、神々おかしくない? 天使には善行点を積むように指示しておいて、自分たちは鬼畜外道じゃないっすか」
全く、と私は吐き捨てた。
「本当に天界はクソ。やっぱり下界に落とされて正解だった」
「……」
「それでリディヤ。聞きたいことがあるんだ」
「……はい、何でしょう」
「この世界の規模はどれくらいで、飢えている人や虐殺されている民族は、どれくらいいる?」
「はい?」
「ちょっと今後の活動方針に関わる問題なんだ。教えてくれよ」
私は真剣だった。
リディヤはつぶらな目をぱちくりさせたが、やがて「そうですねえ……」と考える素振りを見せた。
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