第3話 植物生産の能力


 私は容易く小麦を太らせることができるが、それだけでは労働環境は改善されない。まずは目先の、飢饉の解決だ。


「なあなあミロン。リンゴいるか?」


 私が声をかけると、ミロンは訳が分からないという顔でこちらを見た。


「リンゴ? そんなもん手に入るはずないだろ」

「ほれ」


 私は後ろに手をやると、真っ赤に熟れたリンゴを取り出した。


「これをやろう」

「は? そんな貴重なもの何で持ってる──というか、何で渡してくるんだ」

「何だ、腹は減ってないのか?」

「減ってるに決まってるだろうが! そうじゃなくて」

「ふーん。それならこれはキリロにやろうっと。おーいキリロ」


 キリロはぎくっとこちらを見上げた。


「リンゴをお食べ」

「いや、悪いよ……さっきも何かもらっちゃったし」

「何だ、飢饉だってのに他人を気遣ってる余裕があるのか? 心配せずともたくさんあるから遠慮するな」

「たくさんって?」

「ほら、たくさん」


 私は指揮者のように手を振り上げた。途端に空中から百個ほどのリンゴが出現し、山のように地面に積み重なった。


「ええ!?」

「はあっ!?」


 キリロとミロンは同時に声を上げた。周囲の人々も驚きのあまりどよめいた。


「好きにお食べ」

 私は山の中からリンゴを一つ取り上げて齧った。

「土がついちゃったのは持って帰って洗ってお食べ」


 数秒の沈黙。

 それから人々は、わっとリンゴの山に群がった。


「こらこら、なくなったりはしないから、そう慌てるな」


 私がそう言っても誰も聞いていない。


「食べ物! 食べ物……っ!!」

「うわああん美味しいよう」

「モゴモゴモゴモゴモゴ」


 皆、芯まで残さず食べてしまう。少し落ち着くと、今度はリンゴの確保のために必死になった。キリロは腕いっぱいにリンゴを抱えて走り出した。


「僕、これを妹に渡してくる!」

「キリロ、食わせすぎるなよ。飢餓状態の時に固形物を大量に食ったら死ぬ」

「分かってるって!」


 他の人も、家族のためにリンゴを集めた。百個などあっという間に消え去った。


「ありゃ。もう少し出すか」


 私が追加で百個出すと、人々は感激のあまり奇声を上げた。


「これで……これでもう飢えなくて済む!」

「道端の草を食べなくて済む!」

「救世主だ! 救世主が現れた!」

「しかし、そんな虫のいい話があるのか!?」

「そんなこと気にしてられないわよ。ああ、今日も生き残れるんだわ」


 感激のあまり咽び泣く者も現れた。縋り付くようにして感謝を述べられ、私はいささかたじろいでしまった。

 しかし平和な時も束の間であった。


「コラーッ!!」


 怒声が響き渡って、例の制服を着た男が走ってきた。みんなの顔が恐怖にひきつる。


「何だね、その山は!」


 威嚇するように問い詰められて、私はやれやれと呆れ顔になった。


「何って、リンゴですけど。ご覧の通り」

「そんなことは分かっている! 何故そんなものがここにあるかと聞いているんだ!」

「私が作ったからですね」

「作っ……?」

「こんな風に」


 私は男の頭上を指さした。男が不思議そうに空を見上げる。すると、男の上にリンゴの雨が降り注いだ。鈍い音がして、男が倒れ込む。男の呻き声を掻き消すかのように、リンゴが積み重なっていく。やがて男はリンゴの山の中に消えて見えなくなった。


「これでよし」


 私は満足した。みんなは青ざめて沈黙していたので、私は元気付けるためにニッと笑ってみせた。


「さあ、こんな奴は放っておいて、仕事に戻ろう。ノルマを達成しなきゃいけないんでしょ?」

「……軍事警察にこんなことして、ただで済むはずが……」

「ああ、そのこと。……急に空からリンゴが降ってきたなんて、誰も信じないさ。大丈夫大丈夫」

「そ、そうか……?」

「そうかもしれない……」

「そうだね、きっと……」


 だんだんとみんなの顔に血の気が戻ってきた。ミロンが、戸惑いがちにみんなに声をかけた。


「よ、よし、そうしたらみんな、作業を始めようか。家に戻った奴を呼び戻そう」

「……おう……!」


 こうして作業は再開された。


 しばらくして、リンゴの山がうごめき、軍事警察の男がよれよれになって出てきた。彼は恐ろしい夢でも見たかのように、リンゴたちを見下ろすと、こそこそと逃げ帰っていった。


 ***


 その日の夕方、私はトラクターを拝借して、ポコポコと野菜や果物を生み出しながら、通りを爆走した。慣れない土地なので、運転席にはキリロを座らせていて、私はその後ろの空間に立っている。

 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、トマト、ナス、キュウリ、ビーツ、トウモロコシ、ホウレンソウ、インゲンマメ。

 それから果物は、リンゴ、ナシ、スモモを中心に、サクランボやイチゴやコケモモやラズベリーも。

 地面に直に落とすのも気が引けたので、道路には細いツタを網目状に敷き詰めて、シートの代わりにした。

 キリロは楽しいやら嬉しいやらで、大笑いしながらハンドルを握っていた。


「こんなに笑ったのは生まれて初めてだよ!」

「そうかそうか。今日中にアッセドの住人みんなに食べ物をあげたいから、よろしく頼んだよ」

「任せてよ! あはははは!」


 アッセドの町にはたちまち新鮮な食べ物があふれかえって、ろくに歩けもしない有様だった。


 軍事警察たちは目を疑って立ち尽くす。飢えた人々は真っ先に果物にかぶりつき、野菜をかき集める。私は上機嫌でトラクターを乗り回す。


「待ちたまえ、君ィ!」

 何が何やら分からないらしい一人の軍事警察が、息も切れ切れに私を追いかけながら叫んだ。

「これは一体どういうことかね!」

「慈善活動でーす」

「なっ!? いいから、止まりたまえ!」

「やーなこった。食らえ、スイカ爆弾」


 巨大なスイカが軍事警察の頭にぶち当たり、彼はあえなく地面に倒れ込んだ。


「あはははは!」


 キリロは過呼吸になりそうな勢いで爆笑している。私も愉快になってきてニヤニヤと笑った。


 こうして、軍事警察の麻袋に入りきらないくらいの食べ物が生まれ続け、アッセドの人々はお腹がいっぱいになった。


「明日の朝も運転頼むぞ、キリロ」

「明日もこれをやるの?」

「いや」


 私は周囲の畑を見渡した。


「今度は小麦を増やしたり太らせたりするのさ」

「ええーっ! そんなこともできるの?」

「できるよ」

「最高!」

「だろ?」


 ***


 そんなわけで翌日の昼頃には、麦の穂が重く垂れ下がった金色の畑が一面に広がっていた。刈り取りを終えた場所にも、太った麦がわんさと生えている。


「本当は脱穀した後の麦を作りたかったんだけどさ、作業工程と違うもんを作ると手間が増えるからな。これで我慢してくれ」

「充分だよ。ありがとう、ラリサ!」

「ありがとう!」

「ありがとう!」


 私はエヘヘと照れて見せた。天界では厄介者だった私も、ここに来ると英雄だ。悪い気はしない。


「さて、もうひと頑張りするか! 私とキリロが抜けたぶん、作業に遅れが出ているからな」


 そう言った私の手に、ガチャリと手錠がはめられた。


「ん?」


 軍事警察の男二人が、厳めしい顔つきでこちらを睨んでいる。

 村のみんなは息を飲んだ。


「貴様がラリサだな?」

「そうっすけど」

「違法な肥料を用いた件で逮捕する!」

「はあん?」


 私は喧嘩腰で彼らを睨み返した。


「私は何にも悪いことはしていないだろうが。とっととこれを外しな!」

「黙らんか!」


 一人が私の頬を力一杯に殴った。地面に倒れ込んだ私を、もう一人が蹴っ飛ばす。


「オラ、立て! ついてこい!」

「んな無茶な……」

 私はブツクサ言いながら、頑張って起き上がった。

「ラリサ!」

 キリロが呼んだので、私は首を振った。

「いい、構うな。大したことはないから」

「……」

「さっさと歩け!」

「はいはい」


 こうして私は町の端っこにある駐留所に連れて行かれた。


 ***


 何かを尋ねられたら、いくらでも口答えをしてやろうと思っていたのだが、狭い独房にぶち込まれてからもう長い時間放っておかれている。何時間経ったのかも分からない。

 お腹が空いたので、私は口の中にイチゴを出現させて、咀嚼した。


(今日も野菜の無料配布をやろうと思ってたんだがなぁ……)


 ぼーっと考えていると、足音がしたので、私は慌てて口の中のものを飲み込んだ。

 やって来た軍事警察官は怪訝な顔で私を見ると、「出なさい」と指示を出した。

「はーい」と私は言った。そして、とある小部屋の中に連れて行かれた。


 こうしてようやく、私への聞き取り──もとい、恫喝が始まった。

 とても厳つい体躯の、尋問役の男が、私をやたらめったら怒鳴りつける。


「珍妙な技を使いやがって。何を企んでいる!」

「みんなを助けたいと思って」

「貴様は政府に逆らおうとしているんだ。そうなんだろう!」

「何でそうなるかな……。国民を救うことがどうしてそんなに悪いわけ」

「黙れ、口答えをするな。このクソアマが!」


 それから男は無茶苦茶に喚いた。何を言っているのかもはや聞き取れなかったが、私を脅していることだけは伝わってきた。


(なるほど、なるほど。こうして私を疲れさせて、私に「反逆者です」と言わせるつもりだな)


 疲れ果てた囚人は、時にこの状況から解放されようとして、虚偽の自白をしてしまうことがある。すると相手は言質を取れるから、好きに囚人のことを処刑できるというわけだ。


(下界に来たばかりだというのに、早くも処刑の危機か……)


 私はやれやれという気分だった。

 天使は生半可なことでは死なないが、これはちょっと面倒だ。

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