第2話 あまりにもひどい
全く同じ外観をした集合住宅がずらりと並んでいる。
その向こうには広大な麦畑が広がっていた。
そろそろ収穫の時期を迎えているらしいのだが、穂がどれもひょろひょろと痩せていて情けない。
「ラリサさんがやる労働は、農業です」
「農業を私が?」
植物生産という能力を持つこの私が、農作物を育てると?
「そうです」
「楽勝では?」
リディヤはその小さな頭で頷く。
「そうかもしれません。──こっち側の畑は個人用。あっち側の畑は住人が共同で仕事をするためのものです」
「共同の畑か……。領主に対する労役か何か?」
「……あぁ……」
リディヤは苦笑いした。
「この国に領主はいないんですよ」
ん? と私は首を傾げた。
「てっきりここの住民は、土地を借りてる小作農だと思ったんだけど……違うのか」
「違いますね」
リディヤは生真面目な表情で言った。
「この国では土地などの財産を私有することは基本的には禁じられています。土地は人民みんなの共有財産だということで、政府が一元的に管理しているんです。農民は集団農場で働き、農産物を政府に納め、報酬として政府から賃金を得ます」
何だ、それは。
政府が全てを所持しているということか。しかも「共有財産」という名目で。
そんな政治形態のことをどこかで聞いた気がする。別の下界にもそんな国がかつてあったと、聞いたことがある。
「……まさかとは思うんだが」
「はい」
「この国は……エニアークは、共産党一党独裁の社会主義国家か?」
「ま、そうですね」
「うーわ」
私はあからさまに顔をしかめた。
落とされた先が、よりによって独裁国家か。スヴェトラナたちも性格が悪い。
「この国は正式には、リスーサ社会主義共和国連邦に属するエニアーク社会主義共和国です。全てのことは最高指導者であるスタルの一存で決まります」
「何てこった」
「それと……リスーサ連邦政府はエニアーク人に対して、
聞き捨てならない言葉が耳に入った。私は立ち止まった。
「は?」
「ここでは人工的な飢饉が起きているんですよ。毎日、飢えによって、人がばたばた死んでますね」
「は?」
そんなことがありうるのか?
人がわざと飢饉を起こせると?
政策的な問題は元より、人道的な問題としてあまりにもひどすぎる。
「ま、詳しい事情はそのうち分かるでしょう」
リディヤは言うと、道脇の建物を指差した。
「ここがラリサさんの部屋です。場所はそこの建物を入って左。じゃあ、明日から頑張ってくださいね」
リディヤは金色の光と共にパッとその場から消え失せた。
「ま、待て、まだ聞きたいことが」
私は言ったが、もう遅かった。リディヤは出てきてはくれなかった。
私は鳥肌が立つ思いで、道の真ん中に立ち尽くしていた。畑に入って作業をしている人々や、帰路についている人々は、そんな私に全く気を払わない。──見えない何かに向かって一人でペチャクチャ喋っていた変な女に対して、何の反応も示さない。
彼らにはそれだけの体力が無いのだ。
先程の、道端で死んでいた男に対してもそう。飢えて行き倒れて死ぬなんてありふれた出来事だから、誰もが慣れきってしまったのだ。そんなものより己の体力を優先する。故に男は捨て置かれていた。そして共同墓地には何人もの遺体が──。
明らかに異常だ。
この事態を、リスーサ政府が意図的に作ったのか。
悍ましいことだ。
私は身震いした。
退屈な天界から未知の下界に追放だなんて、面白そうだと思っていたけれど、これは想像の五百倍くらいは状況が悪い。──だが、自分で引き起こしたことなのだから文句は言えない。
私はひとまず指定された部屋に入った。
台所と暖炉と箪笥と机と椅子とベッドがある。それだけの、ひどく狭くて殺風景な空間。
(……ひとまず、休むか)
私は両手を器のようにして空中に差し出した。
ぽわんと出現したのは、小ぶりのリンゴが二つ。
天使は別に、ものを食べずとも死にはしないが、食べないと普通に倒れる。何か口にした方がいい。
出したリンゴを丸ごと齧ると、シャリッという小気味良い食感とともに甘い果汁が味わえる。我ながら良い出来だ。
(この能力を使えば、餓死する人は減るかね)
そんなことを考えながらもぐもぐやっていると、廊下の方が騒がしくなってきた。バタバタとした足音と、怒鳴り声と、悲鳴のような声。やがて私の部屋のドアが乱暴にノックされた。
「軍事警察だ! 開けたまえ!!」
軍事警察? またご大層なものが存在することだ。私は「はいはい」とドアを開けた。
「何か御用ですか──」
「どけ!」
制服姿の男が私を押しのけてずかずかと部屋に入る。そして「何だこれは!」と言った。
「何って、リンゴですけど」
「……? けしからん! 没収だ!」
男はリンゴを奪って、持っていた麻袋に突っ込んだ。食べかけのものまで没収された。私はぽかんと口を開けた。
「リンゴってけしからんの?」
「当然だ! 食物は人民のものである。それを独り占めしようとは!」
「ん? それを言うなら私も人民なんだから食べたっていいのでは?」
「違う! くだらん口答えをするな! この盗っ人が!」
「ええぇ……」
男は荒々しい足取りで部屋を去ると、他の部屋をノックし始めた。
私はひたすら困惑していた。
(もしかしてこの調子で他の人も食べ物を取られているのか……?)
これは一筋縄では行かなさそうだ。私が他人に事前に果物を渡しても、没収されてしまっては元も子もない。飢饉が起きるのも道理だ。
(まあ没収しきれないくらいたくさん作ればいいだけの話だがな)
私は改めて手のひらを広げて、ぽこぽことリンゴを二個出した。
***
早朝、部屋のドアを叩く音がしたので、私は石のように硬いベッドから身を起こした。目をしょぼしょぼさせながらドアを開ける。
「ふぁい」
玄関先には、群青色の髪をした少年が立っていた。
「おはようございます、新人さん」
「はい、おはようございます」
「何、呑気にしてんですか。出勤の時間ですよ」
私は備え付けられた小さな時計を見た。時刻は五時を過ぎた頃。
「そうなんだ……」
「もしかして集団農場は初めてですか?」
「うん」
「なら説明してあげますから、さっさと支度してください」
「うん」
私は箪笥に入っていたシャツとズボンを身につけると、適当に髪を整えて顔を洗って、ついでにバナナを二本作った。
「ほい、少年。お待たせ。これをやろう」
「僕の名はキリロです。……なんですか、それ」
「食いもん。うまいぞ」
「はぁ?」
「ほれ、誰かに見つかる前に食え」
私は自分のぶんの皮を剥いて食べてみせた。キリロは目を丸くしていたが、ぎこちない手つきで私の真似をした。
「お、美味しい」
バナナは三秒でなくなった。キリロは残った皮をじっと見ている。
「皮はやめとけ。まずいから。知らんけど」
私はキリロから皮を預かると、二つまとめてゴミ箱に放り投げた。
「さ、行こうか」
「……ありがとう、お姉さん」
「ラリサな」
「ありがとう、ラリサ」
「二度も言わんでよろしい」
私たちは歩き出した。キリロはいくらか明るい声で、私に仕事の説明をする。
「この時期は麦の収穫をしています。収穫自体はトラクターがやってます。僕たちは乾燥させて脱穀した後の麦を、袋に詰めていくんです」
「そこは手動なのね」
「政府の言うノルマを毎日達成しないと捕まるので、気をつけてください」
「うへえ」
しばらく行くと、人々が作業しているところが見えてきた。キリロは手を振った。
「おーい、ミロン。連れてきたよ」
一人の青年が顔を上げ、私のことをじろじろ見た。
「そいつが新人か?」
「うん。ラリサだって」
「初日から遅刻だなんて胡散臭えな。もし反逆者だったらお前が密告していいぞ」
初っ端から失礼極まりない男だ。私は空を仰いだ。密告社会とはこれまた息苦しいことで……。早いところ、みんなの胃袋を掴んでおかなくては。
キリロは、決まり悪そうな顔をした。
「いきなり密告なんてしないよ」
「何でだ? 子どもは軍事警察に協力したら菓子とかもらえるんだろ」
「僕はもう子どもじゃない。それにラリサは良い人だよ……多分」
「何だぁ? お前がそう言うなんて珍しいな」
「そうかな」
さて、私たちは、麦束から取れた麦たちを、ひたすら袋に詰め続ける作業に取り組み始めた。詰め終わっては人に渡し、を繰り返す。何時間もそれを続けていると、天使である私もさすがに腰が痛んだ。拳でとんとんと腰を叩く。
作業は、昼まで途切れることは無かった。
「……何とか、徴収に間に合うか」
ミロンが汗を拭った。
「しかし、もう少し、小麦が太っていればな……」
確かに、どの麦も見るからにスカスカしていて、見るからに実りが悪い。
何だ、そんなことなら、と私は呼吸を整えながら思った。
私がここに落とされたのはかえって運が良かったかもしれない。
私なら、この人たちの仕事を簡単に手伝える。
隙を見て、問題を解決してやろう。
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