プロレタリアンヘル〜農業天使の異世界労働日記〜

白里りこ

第1章 働かざるもの死すべし

第1話 私が下界に来たわけ


 みすぼらしい死体が路上に転がっているのが見えた。


 私は、見たことのない町に、ぽつんと立っていた。

 景色は何の面白味もない灰色で、壁と塀ばかりが並んでいて、奇妙な閉塞感がある。


 そして驚くべきは、この路上の死体だ。彼はぼろぼろの衣服をまとっており、ひどく痩せ細っていた。

 もっと驚愕すべきは、道行く人々が、死体を見ても平気な顔で、スタスタ歩いて行ってしまうことだ。ひょっとしてこの死体は私にしか見えないんじゃないかと疑ったが、人々はそれを踏まないように避けて歩くから、そうではないのだと分かった。


 一体何が起こっているのだろう。ここはどんなところだろう。これから私はどうしていこうか。


 ***


 子どもの頃は、神に仕える天使として、立派に仕事をこなそうと思っていた。でも大きくなるにつれ、私は嫌になってしまった。

 私たち天使には「善行点」なる得点制度が課されている。いいことをすれば点数が上がる。わるいことをすれば点数が下がる。点数が高いと、神のおそばに置いてもらえる。要は出世ができるということだ。

 仲間たちはみなせっせと善行を積む。挨拶をし、掃除をし、神に祈りを捧げる。勉強し、能力を鍛え、与えられた仕事を忠実にこなす。

 ばかみたい。

 神のことを敬い、神のために己を鍛え、神のために働く。それが善行ということになっている。でも、本当にそうなのか? 私はそんなのは御免だ。出世のために必死こいて点数を貯めるなんて、そんなつまらない生き方をするつもりはない。生まれてきたからには、楽しく生きたいでしょ?

 別に、働くのが嫌なんじゃなくて、権力者が嫌いっていうだけ。

 他の天使は不真面目な私を軽蔑するけど、私は全然気にしない。


 さて、天使はみんな一つずつ、神々から授かった特別な能力を持っている。私の場合は「植物生産」。好きなだけ植物を生やして、育てることができるってやつ。これが結構、楽しい。だから私は毎日、能力を使って遊んでいた。

 だいたい、宮殿の庭に低木を生い茂らせたり、花畑をこしらえたり、芸術的な形の木の実を発明したり。そんな他愛もない遊び方。たまに、果物をこさえて妖精たちにあげてみることがあって、その時ばかりは私の善行点が上がった。


 生まれてから百年くらい経ったころ、私は神々から特別に呼び出しを受けた。おとなしく会議室に出向くと、奥の机の向こう側に、男神のローディオンが立っていた。

 私は一応、丁寧に挨拶をした。


「こんにちは。失礼します。ラリサ、ただいま参りました」


 これで善行点が少し上がるはずだが、あまり興味はない。

 ローディオンは神経質そうに眼鏡を直すと、「ここまで来たまえ」とだけ言った。何だ、そっちは挨拶なしか。つまんないの。

 私がぷらぷらとだらしない足取りでローディオンの前まで行くと、ローディオンは咳払いをして、こう切り出した。


「呼び出したのは他でもない、君の処遇についてだ」

「処遇?」

「君の生活態度は目に余る」

「あ、そうですか」

「そうですかじゃないッ」


 ローディオンは早くも激昂し、拳で机をドンッと叩いた。


「何故、善行を積まない。何故、精進しない。立派な天使になりたくないのかね!?」

「なりたいかなりたくないかと言われますとそりゃなりたいですが、善行を積むってのには、正直言って興味無いっすね」

「ぐぅ……! いいかね、立派な天使になるには、日々努力をし、神を敬い、善行を積まねばならんのだ。他の者はみな懸命に点を取っている。何故君だけがそんな体たらくなのかね!?」

「だから、興味無いって言ってるじゃありませんか」

「……っ、いいかね、ここ天界で暮らすからには、そんな怠惰なことではいかん。怠け者は天界に住む資格はないのだ」

「はあ、左様ですか」


 ローディオンは不機嫌そうに咳払いをした。


「ここからが本題だ。君には処罰を与える必要があると、我々神々の意見は一致した。今後七日間の間、君の行動に改善が見られないようであれば、君を天界から追放する。いいな?」

「追放……? となると、下界のどれかに落とされるってことですか?」


 天界が管理している下界は数多あまたある。そのいずれかということだろう。


「そうだ。落ちたら最後、善行点を百万点貯めなければ、天界に戻ってはならん」

「百万点」


 現在、私の点数は百五点である。


「それが嫌なら、必死で努力する姿勢を見せたまえ。そうすれば処分を取り消してやる」

「ふうん……。分かりました」


 私は目を逸らし、自分の青緑色の髪の毛をいじりながら言った。


「話は以上だ。せいぜい頑張りたまえ」

「はーい」


 適当に返事をして、私は会議室を辞した。

 それから庭に出た。

 地面に手をかざして、呪文を唱える。


「ヴィーヴ、クレスク、フルークトゥ」


 その瞬間、地面から、冗談みたいな太さのツタが飛び出してきた。私がそれにまたがると、巨大なツタは猛烈な速さで伸び始め、庭中をジェットコースターのように縦横無尽にのたうちまわった。


「いけいけー」


 私はツタをどんどんけしかけた。

 庭はめちゃくちゃになり、木々は折れ、窓ガラスは割れた。

 カンカンに怒ったローディオンが庭まで出てくる頃には、ツタはとぐろをまいたヘビのように庭に横たわっていて、そのてっぺんに私が足を組んで座っていた。私のなけなしの善行点は、あっという間にゼロになってしまった。周りには、他の天使や妖精たちが様子を見に集まっていた。


「何をやっているのかね君は──!!」


 ローディオンは怒鳴った。


「何って」


 私はクルクルッと宙返りをして、ローディオンの前にストンと着地した。


「ちょっとした悪戯です」

「さっ……さっきの今だぞ!」

「これで私は下界に行けますか?」


 私は怒りのあまり真っ赤になっているローディオンの顔を見上げた。ローディオンはぽかんと口を開けた。


「……君、下界に追放されたいのかね?」

「ええまあ。面白そうなんで」

「………………」


 絶句して、彫像のように固まってしまったローディオンの後ろから、不意に現れた者がある。

 神々の中でも序列の高い、女神スヴェトラナだ。


「好きにさせてやりなさい」


 彼女は平坦な声で言った。


「しっ、しかし、スヴェトラナ様」

「口出しは無用。……この若い天使には、愛想がつきました。このような者は天界には不必要です」

「は、はいっ。かしこまりました」


 ローディオンは深々とお辞儀をすると、くるりと私を振り返った。


「そういうことだ。儀式の間まで来なさい。すぐに!」

「はーい」


 私はおざなりに返事をした。


 ***


 そうして天界追放の刑に処された私は、こうして途方に暮れているというわけだ。


「こりゃまた大変なところに落ちちゃったな」

 私は言った。

「ここはどういうところなんだ?」


 私の目の前でパッと金色の光が弾けた。

 するとそこには、一匹の妖精が現れていた。ハチドリほどの小ささで、ごく薄い金色の羽を生やして飛んでいる。


「こんにちは、ラリサさん」

「はい、こんにちは。あんたも追放されたの?」

「まさか」


 妖精は気分を害したようだった。


「私はあなたのお目付役および案内役になったんです。あなたの様子を監視し、天界に報告しにいくお仕事ですよ」

「そりゃ大変だ。ご苦労さん」

「申し遅れました。私の名はリディヤ。この世界の管理を手伝っている者です。以後お見知り置きを」

「はい」

「それで、ここがどこかとおっしゃいましたね」


 リディヤはてきぱきと話を進める。


「この世界は下界の中でも、第十三区域第五番目のものです。あなたが立っているのは、エルピア大陸の北部に位置するリスーサ連邦に属するエニアークという国のアッセドという村ですね」

「長いな。覚えらんないよ」

「エニアークのアッセド」

「エニアークのアッセド」

「はい。あなたの家は既に用意されています。どうぞこちらへ」

「わざわざどうも」


 私は転がっている死体にちらりと目をやった。


「リディヤ。この人を弔ってからでもいい?」

「はい。では先に、共同墓地にご案内します」

「共同墓地ね」


 私は遺体を抱き上げた。天使の私が力持ちだとはいえ、悲しいほどに軽い体だった。


 十五分ほど歩くと、剥き出しの地面に大きな穴ぼこの空いた独特の場所に辿り着いた。

 一人のみすぼらしい男がシャベルでせっせと穴を大きくしている。


 人間には妖精の姿が見えないので、私が進み出て「あの」と声をかけた。男は億劫そうに振り返った。


「ああ、ありがとさん」

 しゃがれ声でそっけなく言う。

「適当に穴に投げ込んでおいとくれ」

「……分かりました」


 私は穴の前まで歩み寄ると、遺体を丁寧に横たえた。中には他にもたくさんの遺体が乱雑に放り込まれていた。私は彼らにしばし黙祷を捧げてから立ち上がった。


「失礼します」


 そう言ったが、男はもうこちらを見なかった。


「うん、今ので善行点が入りましたね」

 リディヤが空中を指さすと、ピンク色の光で描かれた点数表が表示された。

「百点加点。目標の百万点まではあと九十九万九千九百点です」

「あっそ……」


 私はポケットに手を入れた。

 天界にいた時から着ていた白いワンピースだけでは、いささか寒い。


「家、案内してくれる?」

「無論です。ついてきてください」


 リディヤは羽をパタパタさせて浮遊しながら、来た道を戻り始めた。

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