ドラゴンを目指したライオンの旅

鯉と虎

とある荒野には一匹のライオンが棲んでいました。


彼女は生まれた時から独りぼっちでしたが、寂しくはありませんでした。


何故なら、彼女の周りには危険がいっぱいで、それらから身を守るために一生懸命だったので、寂しいと感じる暇が無かったからです。


ライオンは必死に生き残りました。小さいときは彼女を食べようとする熊や鷹から身を隠し、小さな虫を狩って育ちます。


少しずつ大きくなったライオンは、やがて森に棲む熊に挑み、その熊の喉笛を噛み千切りました。


湧き出る赤い血を飲み干したライオンの身体には、熊の岩をも砕く剛力が宿ります。


その次にライオンは、空を飛ぶ鷹に挑み、そのかぎ爪を掻い潜って地面に引きずり落しました。


ひらひらと風を掴む山吹色の羽を貪り食ったライオンの毛皮には、嵐のような俊敏さが身についていました。


さて、そのようにして大きく、勇ましく育ったライオンの彼女は、はたと気付きました。


自分の住んでいる荒野の寂しさに、彼女は漸く気付いたのです。


ライオンの荒野には雨も降らず、雪も降らず、砂を焦がすばかりの太陽の光ばかりが降り注ぎ、草木もろくに生えることはありません。


生きることに余裕が生まれ、しかしその為にライオンは飽いていました。そんな時です。


ライオンは荒野を囲む岩山の果ての果てから響く、一匹の獣の叫び声を聞きました。


今まで聞いたことのないその叫びにつれられ、ライオンは岩山を上りました。冷たく、地面も凍り付く岩肌を上り、その頂上に立ちました。


すると、山向こうに広がっていたのは緑豊かな密林で、鋭くも無限に生え繁る木々の隙間から、緑の鱗に覆われた尖った面を突き出して、ドラゴンが恐ろしい声を上げているのでした。


それを見てライオンは驚きました。初めてみたドラゴンの姿と声に、ライオンは身を振るわせて岩山を駆け下って荒野に帰りました。


ライオンは一晩の間、ジッと月明りの下で昼間に見たドラゴンの姿を思い浮かべながら考えました。


冷たい風の吹く荒野の夜はとても侘しく、味気ないものでした。それに比べて岩山の果てに広がる密林と、その奥地に潜むドラゴンの姿は、力あるライオンにとっては言葉にならない魅力を覚えたのでした。


朝日が荒野を切り裂く頃、ライオンはまた一人で岩山を上ると、切り立った崖から密林へと駆け下りました。


険しい崖は磨いた爪のように滑らかで、もはや荒野に戻ることは出来そうもありません。


しかしそんなことはこれからのことで頭がいっぱいのライオンにとってはどうでもいいことだったのです。



さて、降り立った密林は足元を節くれた樹木の太い根がはい回り、さらに腐った枝葉に苔が生え、まるでふかふかとした寝床のような歩き心地でした。


ひくひくと鼻先には湿った匂いが漂い、喉が渇いたライオンは水を求めて歩き出しました。


やがて歩いた先には泉が見つかりました。底が緑色で、暗く、深い泉を見てライオンは喉を鳴らします。


すると泉の底から泡を吐きながら一匹の鯉が現れました。


「やぁやぁ。この黄色い毛むくじゃらめ。見ない顔だな。お前はそのぼうぼうに生えた口ひげで私の家に鼻面を突っ込み、いっちょうがぶがぶとやろうってんじゃあないだろうな」


口をぱくぱくさせながら、ごぼごぼ言いながら鯉はそう口走り、ぶっぶと水を吐きつけてきました。その臭いのひどさにライオンは顔をしかめて吠えました。


「こいつ、なんて口の悪い奴だ。だったら私の飢え渇きは、水の代わりにお前の鱗と肉で何とかするしかないな」


「おおっと、なにもそんな仰々しい、恐ろしい顔で言わなくたっていいじゃないか。出すものだしてくれるなら、水でもなんでも口にすればいい」


そういうと鯉は水の底に潜っていき、赤い樽を持ち上げて戻ってきました。


「さあ、この樽に心ばかりのものを入れてくれればいいんだ。お前さんの立派な牙でも、爪でも、なんならそのふさふさとしたたてがみのひと房でもいいんだ」


ライオンは呆れました。鯉の住む泉はこんこんと水が湧き出でているというのに、なんてケチな奴か。


そこでライオンは閃きます。


「けちん坊の鯉よ。お前の樽に恵んでやるから、ちょいと、もそっと、こちらへと近寄ってくれないか」


「おお、おお、それはそれは、嬉しいな」


樽を構えた鯉が泉の淵へとやってきます。その体は脂が乗ってまるまると太り、鱗は緑がかった虹色に輝いていました。


「さあ、さあ、この樽へ慎ましやかな募金を」


「慎ましやかなどとは申すまい。爪も牙も鬣もくれてやろう!」


ライオンは一吠えし、一足飛びの所まで近寄ってきた鯉めがけて飛びつきました。





むしゃむしゃしてやったことでライオンは喉を潤すことが出来たのでした。


「私の腹にはいれば、まさに私の爪も牙も鬣もお前のものだぞ」


ライオンは満足げにつぶやくと、その体には鯉の鱗が纏わりつき、キラキラと輝くのでした。






泉でよろしくやった後、ライオンは更なる樹林の奥地を目指して進みました。


するとやがて樹林に切れ間ができ、その先には竹の生え繁る丘が現れました。


竹の笹葉がさらさらと揺れる心地よい音を聞きながら、ライオンは満足げにその中へ入っていきました。


竹林の中はまるで迷路のように、どこを向いても同じ景色だったので、ライオンはあっという間に迷ってしまいました。しかし、ライオンは慌てたりしません。


ライオンの鼻先は、さきほどからくんくんと香りよい竹の中に紛れた獣の臭いを嗅ぎ取っていたのです。


「私は岩山を超え、荒野よりやってきた者。だれぞこの竹林の中にいるのか。隠れても無駄だ、獣は臭いで分かるのだ」


ライオンの声に応えるように、竹の狭間からぬるうりと現れ出でたのは黒と金の縞模様をした虎でした。


「ようこそ、岩山向こうのライオンはん。わてはこの辺りの竹林でよろしくやっております虎でおます」


「先ほどからお前は竹の狭間から私を見ていたな。何の用だ」


ライオンはひっそりと手のひらの爪をむき出して、しかしそれを見せないようにちょっとだけ後ろに下げました。


「私はこの先にいるドラゴンへ会いに行くのだ。黙って通してくれ」


「いやまぁ、そうしてあげたい気持ちはあるんですけどねえ」


にやぁりと虎は口を引き裂くように笑った。その口には大きな大きな牙が隙間なく並んでいて、じゅるじゅると涎が潤している。


「あんさん、ここからちょっと先にある淵の鯉をやりましたやろう」


「ああ、やったよ」


「あの鯉はここらで六つの指に入る大物。立派な鱗の下に美味しそうな脂のついたそれはそれはいい鯉でしたわ。あんさんから、あの美味しそうに満ち満ちていた鯉の油のええ匂いがするんですわ……」


ざわざわとライオンの毛並みが逆立ち、ざわざわと竹林の間に風が吹きました。






気が付いた時には、夜はとっぷりと暮れて真っ暗闇でした。


ようやく虎をむしゃむしゃできたライオンは大満足し、さっそく手に入れた豊かな毛並みの縞々毛皮の上で一晩を過ごすことにしました。


今日は立派な獲物を食べることが出来て大満足、ライオンは荒れ地で暮らしていた時とは考えられないくらいお腹が膨れ、縞々毛皮の上でごろんごろんと寝返りを打ちながら、いびきをかいて眠るのでした。

 

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どぐう ~ドラゴン寓話~  きばとり 紅 @kibatori

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