ドラゴンの鱗拾い

ジャンとドラゴン

 町の金物砥師であったジャンは、家が軋みを上げるほどの大揺れの中で目が覚めました。


 びっくりして跳び起きた彼は取るものも取らず家を飛び出すと、家を揺らすものの正体を知って立ちすくみました。


 空から差しかかる大きな影が町全体を覆っているのです。その陰の主は空を横切る巨大なドラゴンでした。ドラゴンがゆっくり、その大きな翼をはためかすと、唸るような豪風が町全体に吹き渡るのでした。


 豪風が吹きつけた直後、空からきらきらと輝く何かが町全体に降り注ぐ中で、巨大な影を作ったドラゴンは町の上を横切って見えなくなりました。


 降り注いだものはドラゴンの鱗でありました。青く透き通る、軽くて固いその鱗はとても綺麗です。


 町中に降り注いだドラゴンの鱗ですが、それを綺麗だ、と感じたのはジャンだけだったようです。掃除夫たちがめいめいに散らばっている鱗を掃き集め、町の外れにある炎の精の焼却炉の中に投げ込んでいました。


「もったいない!」


 ジャンは急いで掃除夫達の先回りをして焼却炉にたどり着くと、炉を管理していた炎の精に呼びかけました。


「炎の精、どうかドラゴンの鱗を焼くのをやめてくれないか」


 呼びかけられた炎の精が炉の煙の中から立ち上がりました。錬鉄で出来た炉は炎の精にとっては寝床のようなもの。そこから現れる炎の精は体が赤黒く燃えています。


「砥師のジャン。なぜドラゴンの鱗を焼いてはいけないんだ」


 ジャンは一瞬言いよどみましたが、意を決して答えます。


「こ、この鱗は全て、私がドラゴンから貰った物だからだ!」


 嘘です。ですがジャンは一度口にした以上、嘘を押し通しました。


「ジャン。お前は町の上を通り過ぎた、あの巨大なドラゴンと知り合いだというのか」


「ああ、そうだよ。ドラゴンが新しい鱗に変えるというから、古い鱗を譲ってくれると言っていたんだ」


 火を噴く髑髏のような顔をした炎の精は、それを聞いて暫く考えてから言います。


「そうか。それならこの鱗はお前の者だ。持って行け」


 焼却炉から吐き出されたドラゴンの鱗は煤ひとつついていない綺麗なものでした。


 目の前に背よりも高く積まれたドラゴンの鱗を、ジャンは袋詰めにして、荷車に乗せて持ち帰りました。


 さて、ジャンは金物砥師です。その仕事は人から頼まれて刃物や農機具を研ぎ直したり、鍛冶師が新しく打った剣や斧に刃をつけてやることです。


 仕事場でその日の仕事をしながら、ジャンは持ち帰ったドラゴンの鱗をどうしようか考えました。一枚きりならなんてことない物ですが、今のジャンは山のような量のドラゴンの鱗を持ってます。今更要らない、と捨てることも出来ません。


 とりあえず、一通りの仕事を終えてから、ジャンは最初に拾った一枚を手に取ります。軽くて丈夫なドラゴンの鱗は、大きな町では鎧や兜に作り変えられ、邪悪な魔法使いや悪魔と戦う勇者の武器になるらしい。


 しかしジャンの住む町に、いままでそんな悪いやつが現れたことはありません。せいぜい、家畜泥棒をする小鬼が現れるくらいです。それさえ、近頃は稀なことでした。


 ともかくも、ドラゴンの鱗は道具の材料になるらしい。ということは知っていたジャンは、仕事でしているように研いでみました。水で洗いながら砥石に当てていると、輝きは増し、まるで宝石のようです。


 思い立ったジャンは、その鱗を研ぎに砥ぎ、短剣の形に作り変えることにしました。一晩掛けて研ぎ澄まされた鱗は、深い青色がゆらゆらと刃の上に揺らめく、それはそれは美しいものに仕上がりました。切れ味もすさまじく、ジャンの持っていたハンマーの頭が欠けるほどでした。


 さて、こうしてドラゴンの鱗の扱い方を覚えたジャンは腐るほどあるドラゴンの鱗を材料に様々な物を作りました。とは言っても、平和な田舎の町で使える物に限った話ですが。


 まずジャンは自分の着ている着古しのコートと帽子に鱗を隙間なく縫い付けます。光の反射で微妙に色を変える鱗が美しい、それはそれは見事なコートに生まれ変わりました。


 薄く薄く研いだ鱗は丈夫で柔らかいので、ジャンはこれを縫い合わせてミトンを作ります。真っ赤に燃えた石炭を掴んでも全く熱くないミトンはとても便利でした。


 こうしてジャンは自分の家にあるものを次々とドラゴンの鱗で作っていきました。ドラゴンの鱗の鍋蓋、ドラゴンの鱗のまな板、ドラゴンの鱗の皿にフォークとスプーンまで作りました。


 それでも余ったドラゴンの鱗を、ジャンは屋根の修理に使うことにします。ジャンの家は古くてしょっちゅう雨漏りするからです。


 軽くて丈夫なドラゴンの鱗は屋根を直すのにぴったりでした。


 嵐や吹雪が来るたびに雨漏りや破れが出来る屋根を、その都度ドラゴンの鱗で塞いでいくうちに、ジャンの家の屋根はドラゴンの鱗で覆われていきました。


 

 さて、ジャンがようやくドラゴンの鱗を使い切った頃、町ではちょっとした噂が流れていました。


 西の森を分け入った先に深く落ち込む谷があり、その谷底にある玉の湧く湖に今、ドラゴンが棲んでいるというのです。


 それは町に肉を卸してくれる猟師が森の奥地に入った時、谷底から轟くドラゴンの咆哮を聞いたというのですから、町の人々は示し合わせて身を震わせました。


 そこでふと、人々の目はジャンの家に目を止めます。ドラゴンの鱗で葺かれた屋根は遠くからでも目立つのです。そういえばちょっと前に、町の上をドラゴンが横切ったことがあったなと。


 その時、町に降り注いだ沢山の鱗は掃除夫達が集めたはずなのに、どうしてジャンの家にそれがあるのだろう。


 そこで人は焼却炉に住む炎の精に聞きました。炎の精はジャンの言葉を覚えていました。


 そこであるものが考えます。


「谷底の湖に棲むドラゴンは鱗を落としていったドラゴンに違いない、そしてジャンはそのドラゴンと知り合いだという。なら、ジャンに頼んでドラゴンが、どうして湖に棲みついたのか聞いてきてもらおう」


 さて、困ったのはジャンでした。ドラゴンの鱗欲しさに吐いた嘘のせいで、獣のうろつく西の森を抜け、険しい谷を越えてドラゴンに会いに行けというのですから。


 日に日に高まる、ジャンへのドラゴンに対する機嫌伺いを求める声に根負けして、ジャンは渋々西の森に向かうことにしました。


 しかし西の森は危険な場所です。熊や狼の巣がありますし、小鬼たちが獲物を求めて徘徊しています。普通の人は滅多に入りませんし、ジャンは一度も行ったことがありません。


 不安に思いながら、ジャンは身支度をしました。ドラゴンの鱗を縫い付けた帽子とコートを着込み、念のためにドラゴンの鱗で作ったミトンも付けました。護身用にハンマーと、ドラゴンの鱗で作ったナイフも持って行きます。


 身支度を済ませて家から出てきたジャンを見て、人々は驚きました。全身をドラゴンの鱗で出来た装備で身を固めた姿はまるで勇猛な戦士のように見えたからです。


 町を出たジャンは西の森に入りました。鬱蒼とした森の中は昼間でも夜のように暗いため、ジャンは荷物からランタンを出して歩きました。


 暗い暗い森の中、波打つ地面をじりじりと歩くジャンは、森の影の中から自分を見ている視線に気づきました。それは彼を御馳走にしようとする狼や熊の視線でした。


 恐怖に打ち震えるジャンは、足早に森の中を進みました。しかしいつまで経っても狼や熊は襲い掛かることはありませんでした。


 何故なら、ジャンは全身をドラゴンの鱗で覆っていたからです。ドラゴンの鱗からはドラゴンの匂いがしますから、獣からは小さなドラゴンがそこに居るように感じられたのです。


 西の森の奥地を分け入り、ジャンは谷底へと降りる斜面に出ます。木々の隙間から降りた先にある湖が見えました。それは玉……つまり宝石が採れる湖で、岸には水で洗われた色とりどりの宝石が見つかるのです。


 険しい斜面に差し掛かったジャンは恐る恐る降りていきました。斜面は木が生えているものの、岩がちで、山登りの経験がないジャンには一歩踏み出すたびに背筋が凍るほどの怖さです。


 一歩、二歩、三歩……次第に夕陽が谷を染め始め、視界はますます悪くなっていきました。ランタンを掲げて進みたいですが、足場の悪い場所で片手を塞ぐわけにはいきません。


 ついに太陽は谷の影に隠れ、空は夜闇に包まれてしまいます。手探りで降りようにも、一歩先さえも見通せません。


 やむなく、ジャンは再びランタンを手に取りました。そして恐る恐る一歩、下り坂で飛び出ている岩の上に置きました。


 ごぼり、と足を乗せた岩が斜面から転げ落ちた拍子に、ジャンはついに谷間を転げ落ちてしまいました。斜面に茂る木々に身体をあちこちぶつけながら落ちに落ち、びしゃり、と水たまりに叩きつけられ、漸く止まります。


 痛みに呻きながらゆっくりと立ち上がったジャンは、自分が思ったより軽傷で済んでいることに驚きました。ドラゴンの鱗で覆ったコートと帽子はしっかりとジャンの身体を守ったのです。


 ジャンが落ちた水たまりは、谷底を流れて湖へと注ぐ小川でした。ランタンの光に反射する川面を辿り、ジャンは湖を目指します。


 やがて木々の隙間に湖らしき輝きが見えました。暗闇の中でも湖が薄っすらと光っているのです。下生えの間を掻き分けて進むジャンの目の前に、ついに谷底の湖が広がりました。湖は底に溜まった玉たちが、昼間の日光を吸収し、夜の間はそれが放射されて光り輝いているのでした。それはそれは、今まで見たことのない光景で、町の金物砥師に過ぎないジャンは圧倒されてしまうのでした。


 岸辺に近づき底を覗き込むと、二つの大きな輝きが、深い深い湖の底からこちらに近づいてくるのがわかりました。


 ざばあり、水柱を上げて出てきたのは巨大なドラゴンの首でした。その大きさは、ジャンが知っている最も大きな建物である、町の時計塔よりも大きなものでした。首だけでもそれだけ大きいのです。余りの大きさに、ジャンは腰が抜けて水辺にへたり込んでしまいました。


「こんな夜更けに何か用かね。人の子や」


 それはドラゴンの声でした。ドラゴンが人の言葉を喋るのをジャンは初めて聞きました。その声は眠そうな老人の声に似ていましたが、とても大きな声でした。


 ジャンは見下ろすドラゴンの頭の、余りの大きさに威圧され、唇が震え、胸が苦しくなりました。かける言葉なく見上げている彼の姿を、ドラゴンはその大きな瞳を細めて見るのです。


「なんだその姿は。それは儂の落とした鱗だな。不潔な奴だのう」


 ドラゴンはふう、と溜め息交じりに息を吐きました。熱い息を吹きかけられてジャンは水辺を転がりました。


「ど、ドラゴン様! わ、私はここから東に広がる森の先にある、町に暮らしております、金物砥師のジャンと申します! 町の者を代表して参りました!」


 ようやく出せた言葉をドラゴンはまんじりとしてきいていました。


「何しに参ったのだ」


「町の皆は、町の近くにドラゴン様が住まわれていることを、とても怖がっているのです。なぜというに、町が出来てからずうっと、この湖には何も住んでいなかったからです。ドラゴン様、どうしてこの湖にお棲みになられたのか、お教えください!」


 胸をドキドキさせながら、ジャンは精一杯の勇気を込めて話しました。ジャンの話を聞いたドラゴンは、また一息、熱いため息を吐き出します。その熱さに湖面の水がふつふつと沸き上がります。


「聞くがよい、人の子よ」ドラゴンは答えます。


「ここには今よりはるか昔、天を支えるが如き巨峰がそびえておった。儂はその山の中腹に住処を持っとった。ある日、勇者と後に呼ばれる人間が現れ、儂の住処へとやってきた。そ奴の目的は、ドラゴンの身体に生える逆鱗を手に入れることじゃった。逆鱗はドラゴンにとって、第二の心臓とも呼べる器官でな。それを取り込んだ生き物はドラゴンに等しき力を宿すのじゃ。その頃、海を隔てた遥か東には、混沌の力で生み出された魔物を率いる魔王がおった。勇者は魔王を打倒するために、ドラゴンの力を求めたのじゃ」


 ドラゴンは話を続けます。それは遠い遠い大昔のお話なのです。


「当時の儂は若かった。今を思えば、その勇者に協力してやればよかったのじゃが、知ったことかとはねつけてしもうてな。怒った勇者と戦う羽目になってのう。それはもう、猛烈な戦いじゃった。何故ならすでに勇者は猛烈な力を身に着けておったのじゃ。神の作った武具、妖精の加護を備え、たった一人で魔王の軍勢の、十万とも二十万とも戦える能力があったのじゃ。そ奴と儂は七日七晩戦い続け、儂が放ったブレスとあ奴の魔法がぶつかり合い、激しい爆発が起こった。それによってここにあった山は諸とも吹き飛んでしもうた。儂も遂に力尽きてしまい、えぐれた大地の底に倒れてしもうた。そして勇者は儂の身体から逆鱗を剥ぎ取り去って行ったのじゃ」


「ではこの谷は元々は山だったのですね。そして、そこにドラゴン様が棲んでいた」


「うむ。じゃが、逆鱗が無ければ死んでしまう……というわけではないのじゃ。所詮は、鱗じゃからな。勇者が立ち去って暫くしてのち、儂は起き上がり、身体を治す旅に出ることとしたのじゃ。ここよりはるか南に温泉の湧き出る砂漠があるでのう。儂はそこに行き、砂漠に大穴を掘って埋まって過ごしておった。これが、とても心地よくてのう。いつの間にか居眠りをしてしもうた」


 それはドラゴンにとってはちょっとした時間に起きたことに過ぎないのですが、人間にとってみれば、何世代、何十世代、何百世代もかかって起きた出来事だったのです。砂漠で眠っていたドラゴンは、やがて自分の身体の上に砂が積もり、自分の上を多くの生き物が行き交う事にも気づかず、何千年もの間眠っていたのです。


「そして儂はつい最近目覚めた。体に溜まった砂を振るい落とすと、逆鱗が良い具合に生え直しておったから、このようにこの地に戻ってくることにしたのじゃ。もっとも、砂を被っておったせいで、一緒に古い鱗も落としてしもうたようだがのう」


 なるほど、ジャンの住む町に落ちた鱗は、言ってみれば垢すりで落とした垢のようなものだったのです。


 はじめにジャンを見て不潔な奴、と言ったのも納得です。


「そういう事じゃ人の子よ。儂はお主の町になんの用もない。生贄など持ってこなくともよいぞ。町の者にそう伝えるがよい」


「分かりました。しかしもうこの暗さでは森の中を抜けられません。今晩はこの湖のほとりで夜を明かすことをお許しください」


「うむ。好きにするがよい……ところで人の子よ。お主は何故儂から剥がれた古い鱗などを見に着けておるのだ」


 ジャンは鱗のいきさつを説明しました。そして鱗で作った数々の道具についても話しました。


「おかしな奴だのう。そのような物に興味をもつなど」


「しかし、都ではドラゴン様の鱗で作られた武具は貴重なものだと聞きます」


「たわけ。それは儂の鱗ではないわ。儂の鱗と偽った、蛇や蜥蜴の鱗に過ぎぬ。お主が今身に着けておるのは、この世界でも有数の鎧なのだぞ。今のお主の恰好なら、煮え立つ溶岩の中でも、凍れる大地の原でも、死が踊り狂う毒の沼でも、如何なるところでも闊歩できよう」


「なんと恐ろしい。私はただの砥師です。これはドラゴン様の美しい鱗で飾り立てたいという、ただそれだけの気持ちでやったこと。そのような危険な地に行くためではありません」


「ほほほ、面白い奴。……なるほど、そうか」何かに合点がいったドラゴンは岸辺に首を寄せてきました。


「人の子。ジャンと言うたな。お主の話をせよ」


「私の話、ですか」


「そうだ。果て無き昔、そのまた大昔から、儂らドラゴンは人が言う勇者や英雄に目を付けられ、狙われておった。儂らは光物が好きじゃし……ほれ、この通り」


 ざばあり、水柱を上げて出てきたのは、ドラゴンの腕でした。ジャンの身体ほどもある大きな鉤爪に握られているのは、これまたジャンの家ほどもありそうな、巨大な宝石です。


「それにさっき話したように、逆鱗を欲しがるような奴もおる。そうかと思えば、やれ、襲わないでくれ、守ってくれ、その代わりにこれこの通り生贄を捧げるので、という輩ばかりじゃ。まったく、生贄などいらんというに」


「それではドラゴン様は一体何をお食べになっているのですか」


「儂らが食うておるのは水と空気よ。それさえあれば、腹の中の『はんぶっしつろ』が膨れてくれるのじゃ」


 水辺に寄ったドラゴンはジャンに頭の上に乗るように促しました。


「いつまでも水に浸かっておると風邪を引くじゃろう」


「それでは……失礼します」おずおずとジャンはドラゴンの頭の上に乗りました。


 そこはちょっとした小島のようでした。足元にはドラゴンの長い鬣がふさふさと生えており、その合間から木の幹のような太い角が七本にょっきりと突き出ているのです。


「ほれほれ、そこでも聞こえとるから、お主の話をしてみせい」


「は、はぁ。それでは……」


 ジャンは町での暮らしや出来事などを話しました。自分の身の上話や、町の興りについて話し、子供の頃の出来事や、はたまた町の居酒屋にある好物の話なんてものもありました。


 特にジャンが熱心に話したのは、自分の生業である金物砥についてでした。丁稚として砥師の元に弟子入りした時のことや、はじめて自分だけで研ぎを完成させたときのこと、一人前に認められて独立し、最初の仕事を貰った時のことを話しました。


 ジャンとドラゴンの会話は楽しく過ぎていき、気が付けば空には朝日が差し込み始めていました。


 谷間を割って覗き込む太陽の光が、切り立った崖を照らします。そしてその光が湖に差し込むと、湖の底にある玉たちが一斉に光り輝くようで、ドラゴンの上に立つジャンは光の上に立っている自分が、まるで天国にでもいるようだと思いました。


「ジャンよ。面白い話をしてくれて礼を言うぞ」ドラゴンは鷹揚に言いました。


「陽が高く昇れば町まで帰れよう。手土産をくれてやろう」


 そういうと、ジャンの足元が何やら動きました。


 それはドラゴンの鱗です。鱗の一枚が、ぴんと立ち上がってジャンの足を押し上げていました。


「そのような古い鱗ではない、真新しい鱗を一枚やろう。ついでに鬣のひと房ももっていくがよかろう」


 ジャンは恐る恐る足元の鱗を掴みました。草の根を抜くように抜けた一枚鱗は傷一つなく、手に取るとじんわりと暖かいものでした。


 そして鱗で出来たナイフを使い、目の前の鬣を一掴み切り取ると、ドラゴンはジャンを岸辺に運んでくれました。


「ありがとうございます。ドラゴン様。どうか住処でお休みください!」


「うむ。達者で暮らせよ」


 にっこり微笑み、ドラゴンは湖の底へと沈んでいくのでした。


 

 こうしてジャンはドラゴンの元から町へと帰っていきました。


 ジャンは町の人にドラゴンの素性を語って伝えると、人々は胸を撫で下ろしました。


 ジャンは再び、元の金物砥師の生活に戻りました。一つだけ違うのは、彼の家のもっとも目立つ場所に飾られたドラゴンの鱗と鬣です。


 ジャンが丹精を込めて磨き上げられた鱗は透明さと輝きを増し、それは世界でたった一つの宝物となりました。鬣も丁寧に梳られ、編み込まれた飾り縄としてともに供えられました。


 やがてジャンは『ドラゴンと話の出来る男』として有名になり、仕事の腕も評判を呼び、程なく町一番の砥師になりました。


 そのうちジャンに嫁取りの話が回ってきました。東の川の向こう側にある町からやってきた娘をジャンは一目で気に入り、二人は多くの人に祝福されて結婚出来ました。


 やがて夫婦の間には元気な男の子が生まれ、ジャンの家は幸福な日々を過ごすのでした。


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