どぐう ~ドラゴン寓話~ 

きばとり 紅

「五十年に一度……」

1

 私が生まれて今日で50年になるという。


 ヒトは私をドラゴンと呼んだ。私はヒトとは違うイキモノだそうで、確かに私は、ヒトとは違った。


 ヒトは私の背中にしがみついても、私は容易に振り落とせるほどに小さく弱い。


 ヒトの肌はとても柔らかいが、私の身体には鋼より硬い鱗がついている。


 私は硫黄と肉さえ食べられれば平気だが、人は何やらいろんなものを食べるらしい。


 そんな私だが、生れてこのかた、ずっとヒトと一緒に暮らしていた。


 私が、か細いさえずりと共に卵を割ったその時から、ヒトは私の前にずっといた。


 まだ自由に動き回れず、空を飛ぶことも出来ない程ひ弱だった私に食事を用意してくれたのもヒトだった。


 やがて少しずつ大きくなっていく私に合わせて、最初は藁で出来ていた寝床は牛小屋に代わり、牛小屋が手狭になると専用の寝床のある大きな家を建ててくれた。


 ヒトは私が大きくなるたびに落としていく鱗や爪を丁寧に拾い集めては、寝床を掃除してくれるのだった。

 

 ヒトは私の周りに常にたくさんいた。私の家の傍には王と呼ばれるヒトが住んでいて、私の家と王の家を囲む広い石の壁があった。


 その外側には小川が流れ、さらにその先に無数のヒトが暮らす町というものが広がっていた。


 ヒトは小さく、力が弱い生き物だった。しかし私にとっては大切なモノだった。


 ある時、私の寝床を綺麗にしていたヒトに尋ねた。


「ヒトはなぜ私に食事を出して、しかも寝床まで綺麗にしてくれるのか」


 それを聞いたヒトは叫び声を挙げ、私の家から飛び出していった。


 ……暫くして、たくさんのヒトを連れて王が私の前にやってきた。


「ドラゴンよ。私の部下がお前の声を聴いたという。お前は今まで一度も人の言葉を話したりはしなかった。本当に言葉を話せるのなら聞かせて欲しい」


「ヒトの王よ。たしかに私は今までヒトに話しかけたりはしなかった。それは単に、面倒くさかったからだ」


 ヒトの王とその周りの者たちは大いに驚いているようだった。


「どうしてヒトは私の家を用意し、食事を用意し、寝床の掃除をしてくれるのか尋ねたい」


「おお、答えよう。それはな、ドラゴンよ。お前にはそれを受け取って然るべき理由があるのだよ」


「その理由とはなんだ」


「お前には本来、お前を産み落とした母親のドラゴンがいた。その母なるドラゴンに人々は大いに助けられ、お陰で今日、我々の暮らす王国は栄え、豊かに暮らすことが出来ている。だが、既に母なるドラゴンはこの世にはいない。故に、我々は母なき子であるお前を世話することで、お前の母の恩に報いているのだ」


 話を聞き、私は大いに驚き、納得した。ヒトとはなんと恩義に熱い生き物なのだろう。


「なるほど、分かった」


 頷いた私は寝床に戻り、ひと時の眠りを取ることにした。耳にヒトたちの声が微かに聞こえた。


 

 さらに50年が経った。


 ヒトの命は短いもので、あっという間に歳を取って死んでしまう。


 私の世話をしているヒトも、歳をとり、若い者に代わっていった。


 その間もヒトたちは栄えつづけていた。ヒトの王は既に亡くなり、その息子、さらにその息子が新しい王になっていた。


 無数の人が暮らす町もますます広がり、ヒトが暮らす建物も王の家のように立派になっていったが、ヒトの王の家はさらに豪華なものになっていった。


 私の家も時折だが、屋根を変えたり、柱を変えたりしてもらい、いつも綺麗な見た目を維持していた。


 相変わらず人は私に硫黄と肉を用意し、寝床を綺麗にしてくれていたが、ある時から彼らの生活が変わっていきつつあるのを、私は感じた。


 きっかけは些細なことだった。日が沈み、以前ならヒトの家も暗い夜の中にあるはずなのに、ある時からヒトの町には夜になれば灯りが無数に煌き、王の家はたくさんの窓から光が漏れるようになっていた。


 それは太陽に比べればごくごく小さな光だったが、夜を照らし出すには十分な光だった。


 私はそこで、また以前のように寝床を世話するヒトに向かって聞いた。


「近頃ヒトの住処が夜になると光っているのはどういうことなのか」


 それを聞いたヒトは叫び声を挙げ、私の家から飛び出していった。


 ……暫くして、以前のようにヒトの王が沢山のヒトを連れて私の前に現れた。


「おお、ドラゴンよ。お前が人の言葉を話すという伝説は本当のことだったのだな。祖父から言い伝わっていたが、祖父が聞いたという50年前以来、一言も口をきかなんだのは何故だ」


「ヒトよ。それは私が、面倒くさいからだ」


 私の前でヒトの群れが騒めいていた。私は問いを繰り返した。


「どうしてヒトは夜になると灯りをあれほどに灯し、王の家は窓という窓から光が漏れているのか」


「おお、ドラゴンよ。それはな、人の世に新しい技術が生まれたからだ。お前の母なるドラゴンの御代、人は剣と槍を持ち、樹木を切って薪としていたが、今はあらたに見出された血の池、血の油を燃やすことで灯りと熱を産むようになったのだ。人々はこれで夜の闇の中でも安楽に暮らすことが出来るようになったのだ。しかもだ、ドラゴンよ。これはお前の母なるドラゴンが嘗て大地に流していった血の中より見つかったものなのだ。お前の母は死してなお人々の世に尽くしてくれている。その礼に我々もまた、お前の世話を怠ることなく続けていくだろう」


「ほう、なるほど」


 私はまた大いに驚き、納得した。私の耳にする私の母は、なんと慈しみ深くヒトを助けていることだろう。


「分かった。私もそのような母を持って誇りに思おう」


 静かな満足感を得て、私は寝床に戻り、束の間の眠りを取った。また耳にはヒトたちの声が聞こえていた。


 

 今日で生まれてから150年が経った。


 私は相変わらずヒトの世話で暮らし、ヒトは私の世話をしている。


 しかし近頃、ヒトの暮らしはまた変わりつつあった。 彼らは今、小さな箱に乗って今までより格段に素早く道を行き帰しているし、建物の明かりは朝も昼も夜もなく光が輝いている。


 私は寝床からひょいと首を差し伸ばし、家を囲む壁のさらに外で無限に広がるヒトの町を見渡した。


 ヒトの町、ヒトの暮らしは騒々しい。ヒトは夜も昼もなく動き回り、いろんな音を立てている。


 その中に、遠く微かに誰かの鼓動が聞こえた。心臓の鼓動だ。


「あれはなんだ?」


 私の呟きを聞いて、寝床を綺麗にしていたヒトが驚き叫んで家を出ていった。


 暫くすると、ヒトの王がやって来て私を見上げていた。


「……本当にドラゴンが話すのを聞いたのか?」


「はい、この耳で聞きました」


「伝説ではこのドラゴンは50年に一度だけ人の言葉を話すそうだ。……ドラゴン、ドラゴンよ。何か話して見せよ」


 ヒトの王は代替わりを繰り返し、今目の前に立っている王は、始めの王と大分変っていた。その目は何処から不愉快なものを私に見出しているような気がした。


「……なんだ、何も答えないじゃないか。空耳じゃないのか」


「いえ、いえ、確かにこの耳で聞いたのです。『あれはなんだ』と言っていました」


「なんだそれは。ますます怪しいな。暇を出すから、暫く休んでこい」


「そんな、確かに聞いたのに……」


 世話をしていたヒトは肩を落としながら私の家を後にした。王は私を見上げていた。


「……ドラゴンが喋るわけないじゃないか」


 その声には私をどこか嫌な気分にさせるものがあった。


 

 その日の夜、街の明かりがまばゆくきらめき、城の窓のすべてより灯りが漏れていた時。


 私は昼間のように首を差し伸ばし、耳を澄ました。昼間よりわずかに静かになった人の世界で、私の耳ははっきりとヒトとヒトの会話を聞くことが出来た。


「心臓炉の稼働率はどうなっているんだ」

「およそ85パーセントを維持しています。出力は8億5000万ドラゴンパワー毎時」

「産業界からさらに竜の血とエネルギーを回してくれと来ていますが」

「これ以上の出力上昇は炉の耐用年数が下がる恐れがあります」

「建築業界からはより高品質の鱗と、貯蓄している骨の放出を求められています」

「どいつもこいつも好き放題言ってくれるな……」


 ……それはヒトの王が数多くのヒトと会話しているものだった。


「分科会会長に質問する。現状で心臓炉の耐用年数はあとどれくらいだ」

「現在の出力を維持するならあと30年は持つ計算ですが、出力を上げるというならその限りではありません」

「第四次計画を推進する側としては12億ドラゴンパワー毎時は欲しい。民生用に分力する分も含めてな」

「! ……それでは20年、いえ、15年も持てばいいでしょう」

「軍需部門としては保管されているドラゴンのスカルを下賜して頂きたい。弾道攻撃用の高次計算器に使いたい」

「待ってくれ、それは学術的にも有用だぞ。我々は来たるべき当たらなドラゴンの獲得のための細胞培養を行っている。複雑な計算器はこちらでも必要だ!」

「ああもう、わかった、わかった。大臣、スカルを学術部に貸与だ。軍需部門は暫く既存の計算器を使ってくれ」

「くっ……せめて、せめて保存しているドラゴンの神経網を譲ってくれ。あれがあるだけでも……」


 ドラゴンの骨、スカル、血、神経網、それに心臓……ヒトたちはそれらについて話し合っているようだった。


 私はこれまでの年月、ただ静かに暮らしてきた。人の世話を受け、それで満足してきた。


 しかし、どうやらヒトは何か思惑があって私を世話してきたのではないか、という思いが頭にもたげてきた。


 ……そう言えば、私の母について、ヒトは何度か話してくれたことを思い出した。


 私が一度も見たことがない母を、ヒトはどうしたというのだろう。かれらが持っている骨や血は一体誰のものなのだろう。


 彼らが甲斐甲斐しく私の世話をして、剥がれ落ちた爪や鱗を拾い集めていくのはどうしてだろう。


 今や私はヒトが作ってくれた家でさえ手狭に感じられるほどに、身体は大きくなっていた。それほどまでに私を養い育てた理由を聞くべきかどうか。


 ……が、取り敢えず私は眠ることにした。私は面倒くさいのだ。

 


 ……あれから50年が経った。


 愚かな人類がこの世を去って20年。今や彼らの築いた諸々のものは塵に埋もれ、華やかなる往時の影もない。


 私は重い腰を上げ、旅に出ることにした。どこかにまだ私以外のドラゴンが暮らしているかもしれない。


 私は外に出ると翼を広げた。伸びに伸ばした翼はかつてのヒトが暮らした街を覆い隠し、ひと羽ばたきで身を浮かす。その、うち降ろされた空気の塊が、かすかに残っていた町の残滓を粉々に吹き飛ばした。


 空高く舞い上がった私は、かつての住処を見下ろした。そこには、ただの瓦礫の山ばかりが広がる地平が残されていた。


 わたしは母の墓となった生まれ故郷を背に、遠く空の彼方へ向けて飛んだ。

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