第22話 第二階層の主(5)

 まさか、無傷?

 残り火に照らされた化け物の影が薄気味悪いほど静かに俺たちの足元まで迫っていた。

 重さを増した絶望に刀を落としかけた時、目の端にゆらりと白い指が浮かび上がった。

「……あれを見て!」

 急ぎアニモが魔輝石を向けた。

 奴の体に光が当たる。

 映し出されたその姿は、あきらかに以前と違っていた。

 爆炎が直撃したのか左の翼はボロボロだ。羽が抜け落ちて虫食いのようになっている。胴体の左半分も赤黒く変色していた。あの頑丈な脚も一部が砕けている。

 半面、右の翼は健在。タフな野郎だ。

 だが、好機に変わりはない。

 俺たちは顔を見合わせると奴との距離を縮めていく。

 三十歩、

 奴の姿が大きくなると威嚇するような声が飛んできた。

 しかし、それだけ。飛び立つことはない。

 左の翼が使えないのは明らかだ。

 さらに足を速める。

 二十歩の距離、

 ここまで迫ったところで奴は右の翼を体に巻き付けた。

 即座にアニモが魔法陣を展開するが、弱弱しい光はたちまち消えてしまった。

「いかん……もうマナがないか」

「まさか……あの鳥は傷が治るのを待ってる?」

 銀髪の不吉な予測に冷たい何かが腹の底で飛沫を立てた。

 あの翼をどうにかして奴に一撃を叩き込む必要がある。

 それも、早急に。

 このまま斬りかかるか?

 相手は手負い。

 今なら撃ち抜けるかもしれない。

 この、刀なら。

 ……待て、冷静に。

 深呼吸をすると胸が酷く痛んだ。

 手負いなのはこちらも同じ。おまけに純粋な膂力じゃ奴の方が上だ。

 次にあの翼を受けたら体が持つとはとても思えん。

 考えろ。

 俺が使える手は何がある。

 周りに利用できるものは。

 奴の習性はなんだ。

 周囲に転がっていた冒険者の残骸が足に当たる。

 そういえば奴はあの時……。

 その時、ある一つの考えが頭に浮かんだ。

 沈んでいた宝箱が何かの拍子で海原に現れるように。

 俺は急ぎ二人を手招きすると小声で耳打ちする。

 話が終わるなりリザードマンの口がポカンと開いた。

「そんな方法で……いや、しかし理屈の上では…………」

 二呼吸もするうちに、うなり声が止まった。手の中には魔輝石。やってくれる気になったみたいだ。

 それぞれ、持ち場に着く。

 事を始める前にお互い顔を見合わせた。

 あいつら酷い様だ。誰のモノかもわからない血糊で二人ともべったり厚化粧している。

 流石に知らせてやった方がいいか。

「お前ら酷い面だぞ。血で化粧でもしたみたいだ」

「貴殿らは一度鏡を見た方がいいな。泥でも食べたようだ」

「あなた達、凄く汚れてる。元の色が分からないくらい」

 ……話を聞く限り俺もなかなか酷い有り様なようだ。

 三人揃って音をたてず吹き出した。

 ひとしきり、空気を出しきった俺は怪物に体を向ける。

 胸が突き刺されたように痛む。まだ、動いていないのに。

 残された時間は多くないらしい。

 強い光が後ろから差し込んだ。

 アニモだ。

 両足に力を込める。

 次の瞬間、風を切る鋭い音。

 刃は既に怪物の一歩手前。

 翼上部で光を受けて煌めき、衝突する。

 残響、

 火花、

 一瞬、遅れて紅い翼が薙ぎ払われた。

 鼻先を掠める猛烈な風。

 そして、

 銀髪の投げたナイフだけが虚空に吹き飛ばされた。

 狙いが当たった。

 上空めがけて翼を動かした奴の態勢が崩れる。

 一瞬の、隙。

「ケイタ! 走れ!」

 ――駆ける、駆ける。

 あらん限りの力を振り絞った。

 残り、十五歩。

 まだ、奴はこちらに気づいていない。

 醜い口を開けっぱなしで持ち主のいないナイフの行方を呆然と眺めている。

 残り、十二。

 慌てた怪物が翼を戻そうと藻搔いている。

 残り、九。

 片側のつぶれた両眼が俺を捉えた。

 直後、目映い閃光。

 顔を照らされた奴は仰け反る。

 残り、六。

 刀に手をかける。

 奴はようやく体制を整えた。

 が、もう遅い。

 残り、二。

 間合いに入った。

 首は届かない。

 なら。

 抜刀、

 一閃。

 確かな、手応え。

 最後に視界に捉えたの恐怖で歪んだ怪物の顔。

「ギイィイイイィィ!」

 地面を揺らす重い音。

 そして、暖かな何かが上から雨のように降り注ぐ。

 血の臭い。

 刀を下げたまま、振り返る。

 片翼を落とされたハーピーは肩口から鮮血を撒き散らしつつ、苦痛にのたうち周っていた。

 出血は留まる気配を見せない。

「流石に腕を切り落とされると治せないみたいだな」

 刀を構えた。

 次で、決める。

 そして、一歩踏み出した時。

 視界がグラリと揺れ、沈む。

 両膝が地面に落ちた。

 猛烈な咳と共に意識が飛びそうな痛みが走る。

 ボタボタと自身の血が顎の先から滴り落ちた。

 クソッ! こんなところで……。

 いくら念じても錆びついたように体が言うことを聞かない。

 ふと、気づくと上空から降っていた雨がやんでいる。

 嫌な予感。

 心を抑えつつ顔を前へ。

 あの化け物は、もう暴れていなかった。

 吹き出す血を止めようともせず、こちらをねめつけている。

 手負いの俺を。

 そして、一歩こちらに歩みだした。

 視線の先にはあの分厚い鉤爪。

 体をよじって後ろへ下がる。

 距離が広がらない。

 やがて、手に硬い何かが当たった。

 これは骨か?

 さらに後ろへ。

 出血は続いているが奴がくたばる気配はない。

 なんてタフな……

 そんな考えが頭に浮かんだ時、

 背中に何かが当たる。

 壁だ。

 ここが、終点。

 奴は目の前。

 肌は青白くなり。潰れていた目玉は何処かで落としたのか無くなっている。

 しかし、止まらない。

 奴が脚をあげた。

 爪先を真っ直ぐにこちらへ向けている。

 狙いは俺の頭。

 体が、動かない。

 咄嗟に目をつぶる。

 そして、

 ズシリと重い音が後頭部に響いた。


 ……まだ、生きている?

 片目を開けると俺のすぐ横の壁に鉤爪は突き刺さっていた。

 視線を戻すと奴の残された目玉も白目を向いている。

 ゆっくりと、奴の体が傾き音をたてて崩れ落ちた。

 その様をじっくりと見た訳じゃない。

 俺の目は"奴が立っていた場所"へ向けられていた。

 そこに居たのは銀髪。

 折れていない手からはあの魔法、黒い靄。

「まに、あっ、た」

 息を切らしながらそれだけ告げると、糸が切れたように地面へと倒れ込む。

 魔耀石の光を浴びて星のように耀くあいつの髪色を最後にぷっつりと意識が途絶えた。

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剣士(無免許)と少女(元死体)と魔術師(竜人)と+1がクリア人数0のダンジョンに挑む話 @tmtm12345

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