第16話 第二階層(2)

 獣が迫ってくる。

 十歩の距離。まだだ。

 刀の鞘を握りなおす。

 あと五歩。まだ早い。

 息を止める。集中。

 敵は眼前。

 今!

 一息に抜刀。ワーウルフの腰目掛けて真一文字に刀を振りぬく。

 瞬間、獣の姿が消えた。

 ――上か!

 間髪入れず刃を返し真上に向かって薙ぎ払った。

「グウゥゥッ!」

 バランスを崩したワーウルフが地面に落ちる。

 思わず飛び出る舌打ち。手応えが弱かった。

 予想通り獣が飛び起きる。胸には斜めにつけられた刀傷。まだ浅い。

「炎よ!」

 左手より声。紅蓮の火球が放たれる。それは獣の足に当たると、たちまち身体中を炎で包んだ。

 冷たい壁に反響するおぞましい叫び声。

 火だるまとなった怪物は脱兎のごとく逃げ出した。

 それを見た銀髪が駆け出し――

「まてまて、ひとまずはあれで十分だ」

 こちらへ首を回した銀髪の眉間にシワがよっている。不満そうな顔。こいつそんなに血気盛んだったか?

 遠ざかっていく炎が暗闇の中へ消えるとアニモは片手の魔法陣を解いた。片腕に持ったナイフはそのままだ。

「あの獣は放っておいてもよかろう。手傷を負ったうえにあの炎だ。長くはあるまい。暗闇の中を追うのも危険だしな」

 そう言い残すと魔術師は先ほど不思議な輝きを反射した岩壁へ向かっていった。

 さて俺も……と、その前にいまだに口を尖らせている銀髪を宥めておくか。

「心配なのも分かる。だがまずは水を補給しよう」

「もう少しだった」

 まあ、確かに。だがここまで残念がることか?

 銀髪はワーウルフが消えていった暗闇をしばし見つめ。

 口にたまっていたであろう生唾を盛大に飲み込んだ。

「もう少しで、肉が」

「流石にワーウルフは食えないと思うぞ……」

 俺は未だ食材に対し執念を燃やす灼眼を放っておいて奥にある水場へと足を向けた。

 湧水を手ですくい毒素判別用の試験紙を付ける。しばらく待っても反応はない。毒はないようだ。煮沸の必要もなし。

 水筒を満たす間、周りを確認すると背の低い植物が群生していた。全体的に紫がかっていて頭には丸い花がついている。見たことない種類だが……アニモにも聞いてみるか。

 丸々と膨らんだ水筒と背の低い草を携え二人の元へ着くと、アニモがナイフを岩壁に突き立てていた。横では銀髪が体をもじもじさせながらその様子を眺めている。

「クソッ。硬いな……」

「あー、魔術師さん。ちょっといいか?」

 迷惑そうな顔だ。そんなに石を掘るのが楽しかったのか?

 俺は例の植物を目の前に突き出す。

「む、これは初めて見るな」

 アニモは壁から離れ魔輝石の近くへ寄った。すると眼下を何かの影が動く。

 銀髪だ。

 あいつは壁にとりつくとナイフを突き立てた。もしかしてずっとやりたかったのか?

「うーむ、どこか書物で見た覚えがある様な」

「俺はさっぱりだよ。地上じゃ見たことない」

「それはマギカ草」

 俺たちはいっせいに壁へ顔を向ける。正確にはそこで格闘するあいつに。草を持ったままアニモが銀髪へ歩み寄った。

「マギカ草、初めて聞く名だ」

「こういう暗がりでよく見る。マナが回復するからたまに食べてた。癖があるけどおいしい」

「へー、一つ食べてみたらどうだ?」

 紫色の草が魔術師の口の中へ運ばれた。しばし、咀嚼。

 次の瞬間体が大きく折れ曲がった。

「ガアアアアァ!」

「ど、どうした⁉」

 アニモは俺が差し出した水筒をひったくられるようにしてぶん取ると、口の上で逆さまにして浴びるように飲み干していった。ローブが水浸しだ。目も血走っていて恐ろしい形相になっている。

「なんて味だ! 錆びた鍋底だってこんなに酷くないぞ!」

 いら立ちが収まらないようでぶつぶつ言いながら湧水のある奥の壁へ。さらに何度か口を洗ってからようやく戻ってきた。

「酷い目にあった。味も酷いが風味も恐ろしい。グールの内臓だってあんな臭いはしないだろう」

「結構おいしいのに」

「で、どうだ? 味はともかくマナは?」

 味のレポートが始まる前に話題を変えよう。俺の言葉にアニモは右手を強く握りしめた。

「マナの回復効果は本物だ……だが二度と食べないぞ」

「まあまあ。一応非常用に取っておこう。銀髪なら使えるしな」

「あっ取れた!」

 銀髪の声と共に壁から石が落ち大きな音を立てた。魔術師はさっきまでの不機嫌そうな顔を消し去り、いそいそと石の元へ向かう。床から持ち上げられたそれが光に照らされた。

 黒い石だ。鉄鉱石だろうか? 仄かに青い光を放っているようにも見える。

「なんという幸運か! 鉱石の神ハデスに感謝せねば」

 俺と銀髪は顔を見合わせた。この汚い石ころがそんなに貴重な品には見えない。

「これってそんなに貴重なのか?」

「当然だ! この青い光。魔鉄が含まれている証拠だ」

 魔鉄。

 たしか魔力の源を含んだ鉄……とかなんとか書いてあった気がするな。

「質がいいとは言えないが貴重であることに変わりはない。まずは残りを集めよう」

 また、石が床に落ちる音が聞こえてきた。壁に目をやると夢中でナイフを突き立てている銀髪が目に入る。この作業がえらく気に入ったらしい。

「そうしよう。凄腕の採掘職人もいることだしな」

 鉱脈はそこまで大きなものではなかったようだ。五つの塊を壁から取り出したころにはすっかり輝きは消えていた。

 それぞれの荷物に魔鉄鉱石をしまい込む。

「貴重って言ったが何に使えるんだ?」

「用途は主に魔術用の道具だな。精神集中を助けてくれる。剣にしてもいいだろう、並の鉄など比べ物にならない強度が出る……どちらにせよ精錬する必要があるが」

 こいつが役立つのは地上に戻ってからみたいだ。水の補給を済ませ地上への土産も掘り出したところで俺たちは意気揚々と探索を再開させた。

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