第6話 光の中へ(2)
登録所の奥にある扉を開けると長い廊下が続いていた。壁という壁一面に魔法陣が描かれている。「監視か」と呟くアニモの声には呆れと驚きが混じっているようだった。幅は二人並んで歩くのが精いっぱい。俺と狐耳、アニモと名無しの女の組で向こう側へ渡っていく。
「あの……ありがとうございます」
狐耳がよれた細糸のような声を出した。この廊下じゃなきゃ聞き逃したかもしれない。初対面付けていた鉄面皮はどこへやら。なんともやりにくい。
「まあ、その。大変だな。あんたらも」
「ごめんなさい」
唐突な謝罪の言葉。何故か分からず言葉に詰まる。俺の様子を見ていた狐耳が苦笑いを浮かべた。
「初めて会った時、随分と冷たい対応をしてしまいました。」
「ああ、まあ。ああいう風にやれって言われてるんじゃないのかい?」
狐耳が無言で横に振られる。
「あえて、ああいう対応をしてるんです。情が移らないように。迷宮に挑まれる皆さんは殆どが、そのまま……」
俺は、なんて返したらいいか分からず口を閉じる。殺風景な廊下に四人の靴音だけが木霊していった。
いくら歩いても景色は変わらない。
いい加減問いただそうとした時、狐耳が立ち止まった。
「ここです」
廊下の壁を向くとそこには扉が。気づかなかった。この魔法陣は目くらましでもあるのか?
狐耳が鍵を開け外の光が差し込む。
そこは大きな広場のようになっていた。小型の闘技場のようだ。周りは頑丈そうな柵で覆われている。何人か野次馬がいるな。広場の真ん中には人の頭ほどの球体が光を放ちながら浮いていた。あいつがポータルか。
突如、柵の一部に群衆が集まりだした。喚き声がこっちまで響いてくる。しばしそれを傍観していたアニモが地面に唾を吐きかけた。
「おいおい、いったいどうし……」
「反吐が出る! あの者共は我らがどう死ぬかで賭けをしているのだ!」
ぎょっとして視線を凝らすと中心にいる男が何かの紙を持っているのが見えた。「一日!」だの「グールの牙!」だのと声が風に流されてくる。
「品のないファンファーレだ」
「……申し訳ありません。以前は挑戦者を鼓舞するような場だったのですが」
「あんたのせいじゃない」
表情を暗くした狐耳に声を掛け……なんて顔だ! 葬式だってもっとマシな表情するぞ。アニモも掛ける言葉が見当たらないらしく足元の小石を蹴り飛ばしている。
野次馬共の喧しい声が流されてくる度に場の空気が重くなっていくのが分かった。なんとも、きまりが悪い。
暗い沈黙の中、幼さの残る声が光明のように俺達に降り注ぐ。
「お姉ちゃん!」
ビビが開いた扉から小さな袋を胸に抱えこちらに走ってきた。そそっかしいのか転びそうになったところを狐耳に抱きかかえられている。こいつらは姉妹だったのか?
「あ、ありがと、おねえちゃん……あ、あの! 冒険者さん!」
ビビは立ち上がると大声を出した。どうも相手は俺らしい。両手でこれでもかと服の裾を握りしめている。
「あ、ありがとうございました! 僕、あのままだったらどうなってたか……そ、そうだ!これを」
彼女は震える手で胸に持った袋を俺に手渡してきた。ちらと中身を見たアニモが小さな歓声を上げる。
「知性の神メティスに誓って! 驚いた! これは輝魔石か! こっちには爆砕石もある」
「えへへ、貴重そうなものだけ詰め込んできたんです。多くは持ってこられなかったけど……あっ大丈夫ですよ。数なんて記録してないので皆さんが持って行ってもバレません」
アニモは子供のように表情を輝かせ袋の中を漁っている。この贈り物はしばらく預けておこう。俺はくすぐったそうにはにかんでいるビビへ目を向けた。
「ありがとうな、ビビ」
「あの、どうして僕を助けてくれたんですか? 冒険者さんにとって何の得もないですし……」
雌鹿の瞳に不安の色が浮かんだ。ふわりとした栗色の髪がしきりに撫で付けられている。
どうして、か。
柵の外では住人達が俺たちの死にざまで賭けをして、目の前の子供はもう少しで生きる糧を失うところだった。残念だが、この世界は俺達のような人間にとってどうしても生きにくい。
「俺は下層の生まれだ。学だってない。でもな、だからといって自分が正しいと思ったことを曲げたくなんかない。小さな子がいけ好かない野郎に足蹴にされるのを見過ごすなんてまっぴらだ」
「……それに、死んだ親父とお袋もあの状況なら同じことをしたと思うしな」
驚きからか身体を固くしているビビの頭を撫でる。気になっていたことだがやはり彼女に耳はない――この二人の関係も訳ありらしいな。アニモが夢中になって袋を物色する横で名無しの女もそれを覗き込んでいた。
「私からもお礼を。この子を助けてくださってありがとうございました。ただ、申し訳ありません。何も、お返しできるものが無くて……」
深々と頭を下げる狐耳。なんとも居心地が悪い。なんと声を掛けたらいいか頭を悩ませているとあることに気づいた。そうだ、俺はこいつの名前も知らない。
「あんたの名前を教えてくれないか? 俺はケイタ」
「コウと申します」
「おお、失敬! 夢中になっていた。アニモだ。貴重な資源痛み入る」
「これは貴重なのね。感謝」
始まりでもあり別れでもある挨拶を終えるとアニモはちらと扉に目をやりポータルへと近づいていった。
兵士か……。監視に来やがったな。
別れを惜しむ時間はないか。二人に手を振ろうと腕を上げたところ今日一番の悲壮な顔が目に入ってくる。ため息交じりの笑いが出てきた。どうも俺達はもう死んだものと思われているらしい。
「礼をしたいと言っていたな。一つ頼まれてくれないか?」
「は、はい! 私達に出来ることなら何なりと! 何か残したい言葉や……」
黙ったまま首を横に振る。姉は不安と絶望が混じった瞳。妹は恐怖の中に希望の光が見て取れた。
「とびっきりの御馳走を用意しといてくれ。期待してる」
「任せてください! 僕もお姉ちゃんも料理は得意なんです」
喜ぶビビが千切れそうなほど腕を振る横でコウはぽかんと口を開けている。彼女たちを残し俺もポータルへと近づいた。既にアニモが光る球体に手を当てている。
「帰ったらとびっきりの御馳走だ。腹が裂けるまで食べられるぞ」
アニモが元々デカい口をさらに大きく広げ笑った。なかなか迫力がある。金持ちの家の壁にも飾れそうだ。
「腹を減らしてから帰還すべきだろうな。ポータルを起動した。もうすぐダンジョンだ」
自然と刀に手が伸びた。
難攻不落の迷宮へ足を踏み入れる時。
じりじりと炙られるように緊張が広がっていく。名無しの女は変わらずだ。いつも通り。大した肝の太さだと感心する。
苦笑いして俺が視線を外そうとした時だった。
それまで、微動だにしなかった女がおもむろにフードを取った。
まず目に入ったのがさらさらと揺れる長い銀髪。その下には宝石をはめ込んだかのように美しい灼眼が光る。肌の色は病的なまでに白かった。想像通りの無表情。突如取られたフードに驚きを現さないように努めつつ女に話を向ける。
「あんた肝が据わってるな。殺されることはないと啖呵を切るだけはある」
女は何も言わずその赤い目をこちらに向けた。何を思ったのか俺の手腕を掴む。鳥肌が立つほど冷たい手だ。そしてあいつはそのまま。
俺の手を自分の胸に押し付けた。
「は? お、お前何やって……!」
薄いローブ越しにも伝わる柔らかな感覚。
ドキリと心臓が高鳴った。
混乱。悟られないよう呼吸を抑える。何考えてるんだこいつは? まずは、手を離して。
――ちょっとまて。妙だな。さっきから胸の鼓動が伝わってこない。まるで……
「私は殺されない。だって」
ポータルから光の膜のようなものが生まれた。そいつはゆっくりとシャボン玉みたいに膨らんでいく。既にアニモの姿は見えない。
「もう、死んでるから」
絞り出そうとした驚きの声は光の奔流にかき消されていった。
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