第10話 アメリカにて・その6 ――緊張する時しない時(後編)――
コンサート当日。
会場は大学の関連施設らしいコンサートホールであり、満杯ならば千人くらいは入れる規模だったと思う。
もちろんアマチュアの市民合唱団の演奏会に、それほどの客席は必要ではない。だから、二階席のような一部の区画は締め切った形で行われるコンサートだった。
せいぜい数百人規模のコンサート会場と考えたら良いだろう。
いざ開演して、曲目が進み……。
少しずつ、胸の内で緊張が高まっていく。
そして『愛の歌』17番目の「Nicht wandle, mein Licht」、僕のソロの番だ。
目の前に広がるのは、練習の時の合唱団員たちよりも明らかに多い観客たち。ざっとそれらを見渡して、観客の存在を意識した途端、緊張は消えた。ピアノ伴奏の前奏に続いて、落ち着いて歌い始めることが出来たのだった。
ピアノ伴奏をしてくださるピアニストはいるが、この「Nicht wandle, mein Licht」は僕のソロ曲だ。この観客に歌って聴かせるのは僕しかおらず、今この瞬間、会場全体が僕一人と繋がっている。
そんな感覚だった。
日本にいた頃の、セミプロの合唱団での経験が活きたに違いない。
前述したようにコンサート回数の多い合唱団だったが、その理由は「たくさんのステージをこなしてこそプロ」というだけでなく「生演奏こそが音楽の本質であり、ライブ感を大切にする」というのもあったはず。僕が今まで歌ってきた合唱団の中で、あれほど客の反応に敏感な合唱団はなかったくらいだ。
終演後や途中休憩の楽屋にて、
「今日のお客さんの拍手は……」
みたいなな話題はよく出ていたし、特に途中休憩の場合は、
「いつもと拍手の質が違うから、それに合わせて、後半の演奏で意識することは……」
というように、観客次第で、演奏者の側から微妙に音楽を変えていくこともあった。
この臨機応変さに、僕は「さすがアマチュアとは違う」と感心させられたものだが、そうした環境で過ごした数年間があったからこそ、僕の体にも染み込んでいたのだろう。
コンサートにおいて演奏者は観客と一体化する、ということが。
だからこそ、ステージの上で観客を前にしたら、緊張なんて綺麗さっぱり消えてしまったのだ。
そして、約2分間の演奏が終わり……。
あくまでも17曲目の「Nicht wandle, mein Licht」が終わっただけで、まだ「Liebeslieder Waltzes, Op. 52」全体が終わったわけでもないのに、観客の拍手が聞こえてきたのだった。
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