第9話 アメリカにて・その5 ――緊張する時しない時(前編)――

   

 ソロを歌うことが決まったので、全体の練習時間の中でも、『愛の歌』17曲目に差し掛かった時には、約2分くらいの間、僕が一人で歌うことになる。

 合唱を始めたばかりの頃の「一人では歌えないから、みんなと一緒に歌う」から見たら、信じられないような状況だ。

 とはいえ、既に人前で一人で歌うことには慣れっこになっていたはず。かつてセミプロの合唱団で、毎年冬のオーディションを受けた経験があるからだ。あれは公開オーディションであり、合唱団の団員みんな――アマチュア枠も含めて――の前で歌うどころか、外部からも希望者は聴きに来て構わない、という形式だったのだ。

 一応は内輪の行事という認識であり、わざわざオーディションを聴きに来る者は少ないが、セミプロの合唱団なので、熱心なファンもいる。そうしたファンが来る場合もあり、団員たちにサインをせがむファンにも一度だけ遭遇したくらいだ。もちろん僕たちはプロの音楽家ではないから、サインと言われても困惑するだけだったが、とりあえず普通に漢字で名前だけ記したのを覚えている。


 ……と、少し話が逸れてしまったが。

 それくらい僕は、人前で一人で歌うことには慣れっこになっていたはずなのだ。

 ところが、アメリカの市民合唱団にて。

 全体の練習時間の中でソロを歌う度に、妙に緊張してしまうのだった。


 緊張の原因は、一種の自意識過剰だろう。

 同じ合唱団員の前で歌うということは、自分と同じ立場の者たちの前で歌うということだ。このソロを歌っていたかもしれない人たちの前で歌うということだ。

 彼らがある意味ライバルのように、僕は感じていたようだ。

 ライバルの前で少しでも下手な演奏を示したら、彼らから「あれくらいなら俺でも出来た」「俺の方がソロに相応しかった」と思われるのではないか、と考えてしまうのだった。


 これは、例えば日本にいた頃のセミプロの合唱団のオーディションでは、起こり得ない状況だろう。

 オーディションなのだから、それこそ受験者は皆ライバルなのだが、その全員がそれぞれ一人で歌うのだ。オーディションを受ける以上、皆の前で一人で歌うのは当然であり、そこに「本当に自分がこの場に立っていていいのか、この場で歌っていていいのか」という緊張は全く発生しなかった。

 だからソロを歌うことになって味わう緊張感は、ある意味、初めての感覚だった。新たな感情を楽しみつつ「練習でこれならば本番はどうなってしまうのだろう」という心配も少しあったのだが……。

   

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