第7話 アメリカにて・その3 ――日本人とアメリカ人の違い――

   

 アメリカで働くといっても、職場は大学の研究室。僕のように他国から来ているポスドクや学生が多く、日頃アメリカ人と接する機会は少なかった。

 僕の趣味としては、合唱以外に釣りも好きだったので、週末は頻繁に川や湖に出かけていた。釣り場で見知らぬアメリカ人が声をかけてきたり、逆に僕の方から話しかけたりすることもあったが、これが僕にとって最も「アメリカ人と喋る」機会だったかもしれない。

 そんな状況だったので、市民合唱団に入ることで、アメリカ人メインのコミュニティに初めて参加したようなものであり……。

 これはこれで、面白い経験となったのだった。


 僕の仕事は研究ばかりであり、大学が職場といっても、学生に教えるような立場ではなかったが……。

 ある時、「授業も受け持っている」という日本人女性と一緒に買い物をしていたら、

「明日は授業があるから、お菓子を買っておかなくちゃ」

 と彼女が言い出した。

 大学の授業でお菓子……? 幼稚園や小学校でもあるまいし……?

 ピンと来なかったが、彼女に言わせると、アメリカの大学生には子供じみた部分があるのだという。

「はい、正解です。ご褒美にキャンディーをあげましょう」

 みたいな対応が必要だそうだ。

 飴と鞭の、まさに『飴』の部分だろう。日本の教育ならば、ごくごく小さい頃は『飴』があっても、やがて『鞭』の方に偏っていく。だがアメリカでは『飴』ばかりで甘やかされて育つので、大学生になってもそのままだという。

「それは大変ですね」

 と、僕は話半分に聞いていたのだが……。

 アメリカの市民合唱団に入ってみて、少しだけ彼女の言い分が理解できた気がした。


 日本であれ、アメリカであれ、アマチュアの市民合唱団の基本は楽しく歌うことだ。より良い音楽を作るために厳しく指導される、などということはなく、そんな指揮者だったら、すぐにクビになってしまうだろう。

 それでもコンサートを開いて観客に演奏を聴いてもらう以上、最低限それなりに仕上げる必要がある。だから指揮者がいるわけだし、指揮者は色々と指示や注意を出す。

 当然アマチュアなので、直すべき点はたくさんある。例えば日本の市民合唱団で練習中、一人の指揮者が、

「こんなことばかり言うんじゃなくて、本当は音楽を作りたいんだがなあ」

 と呟いたことがあり、この言葉は僕の印象に強く残った。指揮者にしてみれば、音楽未満の基礎的な注意だけで練習が終わってしまう、という嘆きだったのだろう。

 そうした未熟さは団員の方でも心得ており、あれこれ注意されても嫌な顔をしないのが、日本のアマチュアの市民合唱団だった。

 一方、アメリカの市民合唱団はどうか。技術レベルとしては日本の市民合唱団と同じ水準なのに、「ここはダメだから直して」という指示は少なかった。逆に「今のは良かったよ! そんな感じで!」というのが多かった。

 たまたま指揮者がそういう指導方針の人だった、という可能性もあるかもしれない。だが、ちょうど少し前に指揮者が変わったばかりだそうで、しかも新しい指揮者は団員にも気に入られている、という話だった。だから、これがアメリカ人には適した指導法なのだろう。


 この件があって、僕は上述の日本人女性の話を思い出したのだった。

 極端な言い方をするならば「叱って直す」が日本人、「褒めて伸ばす」がアメリカ人の基本方針なのではないだろうか。

 どちらが良いか悪いか、僕にはわからない。だが少なくとも「褒めて伸ばす」ならば自信はつくはずであり、それがプラスになる場合もあるかもしれない。


 実力以上の自信。それは、演奏会の回数にも表れていた。

 日本の市民合唱団ならばコンサートは一年か二年に一回くらいだが、同じ程度の力量しかないにもかかわらず、僕が入ったアメリカの合唱団は、一年に三回も演奏会を開くのだ!

 春と冬に普通のコンサート、そして夏に『公演』と称して、四日くらいかけて同じ演目を上演する。

 まず「四日くらいかけて同じ演目を上演する」という時点で理解し難いが、とりあえずそこは目を瞑ろう。内容的にも、普通のコンサートよりもハードなのが夏の『公演』だった。

 ミュージカルやオペラを自分たちでアレンジして、ただ歌うのでなく、動きのあるステージを作り上げる。学芸会の真似事のような感じ、と言った方がイメージしやすいかもしれないし、大学の合唱サークル関係者には――自分のところにはなくても他の合唱サークルの演奏会などで見ているだろうから――「企画ステージ」という言葉で説明した方がわかりやすいだろう。

 ミュージカルやオペラのようなものなので、全体で歌う合唱だけでなく、部分的に誰かが個別で歌う箇所も出てくる。これは団員の中から希望者が歌う形であり、「テナーの中では自分が一番上手い方」という自負のあった僕も、そうした箇所をいくつか受け持った。

 完全なソロではないが、これはこれで面白い経験として楽しませてもらったものだ。

   

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