第15話 愛すべき者たちと
「とまあ、ありきたりなのですがレンジャーの最終訓練で帰還したときにプロポーズしたというわけです」
「若菜さんがお迎えにきていたんですね。羨ましいな。ひよりから私もお帰りっていいたかったと言われましてね」
「ああ。我が家でレンジャーの訓練動画を観たあのときですか」
「ええ」
「ひよりさんらしいですね。
「おかげさまで」
もうかれこれ20年以上前の話である。
今でもあの頃のことは鮮明に思い出すことができる。安達と若菜が歩いてきた20年は、自衛官人生から振り返っても順調だったといえよう。
三十代の時に国際協力機関で海外に行き、国内ではいくつかの災害派遣も経験した。その間も子宝にも恵まれて今や子どもたちは安達のあとを追い始めた。家業ではないのだから好きな道に進みなさいとアドバイスはした。その結果が、長男は陸上自衛隊の航空科へ、長女は民間病院で看護師として働き、二男は防衛大学へと進んだ。
なんとか息子が上官になる前に退官できそうだとホッとしているのは秘密だ。
どこから誰が見ても仏頂面の強面で、おまけに若い頃に訓練で顔に傷を作ってしまう。縫合した後は今も見て分かるほどで、何も知らない新人隊員は初対面で必ず硬直する。
ただ、怖いのはその見た目だけだ。
訓練や勤務中は厳しい面もあるが、口調もゆっくり丁寧だし、決して声を荒げたり一方的に叱ったりしない。同期の間では仏の安達とニックネームがあるくらいだ。それだけ若い頃から変わっていない。
安達にとって衛生科隊員は天性だろう。自分を律し、他人を救うことは安達という人間に非常に合っていた。
もう、五十を過ぎたというのに体力検定は一級、レンジャーの資格ももった衛生隊員はそうはいない。
こんな風体をしているが、保健師と准看護師の資格持ちであるし、上官や同期、後輩からも頼りにされている。特に、今同じ小隊に所属する医官の東二佐は家族ぐるみでの付き合いだ。
今もときどき若い後輩たちを家に呼んで、家庭料理というものを振る舞っている。その料理は愛する妻である若菜手製のものだ。
「安達さん。午後からは野営テント設営訓練でしたね。今回は手術台もあるし、アンビが二台。さあて何分で設置できるかなぁ」
「新しく入った隊員もいますからね。とはいえそんな言い訳はさせません。いつも通りに完了します」
「安達さんが言うと安心してしまう。いつも頼りにして申し訳ない。退官しないでいただきたいな」
「あははは。光栄なことです」
定年退官の55歳まであと二年。
どんなに惜しまれても変わることのない制度だ。
「退官後は奥様とのんびりやってくださいよ」
「まあ再就職の内容にもよるでしょうが、今度は妻優先で生きていきます」
「うわぁ、ますます羨ましいな」
「東二佐も、そういう日がきますよ」
安達は来たるその日まで、命をかけて責務を全うするつもりでいる。それは、若菜との約束でもある。
「では二佐、私はこれで失礼します。そろそろ野郎どものケツを叩かないと」
「はい、よろしくお願いします」
◇
午後の課業開始。
「いつもやっている通りにすればいい。それだけだ」
「はいっ!」
いつもやっいる通りに、これが安達の口癖だった。それ以上のプレッシャーはかけない。人を救うことに徹する部隊に競技のような争いはいらない。そこにある命を救い守るということが理解できていれば、自ずと身体は動くはずである。
衛生隊の訓練は連携が必要となる。例えば仲間同士の通信に関することは通信部隊が、現場の状況を逐一報告するのは偵察隊が、駐屯地にもよるが自衛隊の救急車の運用は衛生隊だけでなく、普通科連隊が行うこともある。さまざまな部隊と連携して初めて、衛生隊の任務が成り立つのである。
「状況開始!」
負傷した自衛官が複数名いるという設定で訓練は開始された。普通科の隊員の誘導により衛生隊員は現場に入った。もちろんそこは戦闘地域であることから、救急車から降りてきた衛生隊員は小銃を構え行動する。
周囲の警戒と救護する隊員を護衛しながら、倒れた自衛官のもとへ走った。
「大丈夫か! 名前は! 今から助けるからな! しっかりしろ」
「意識レベルチェック!」
「出血確認! タンカもて!」
出血していると思われる箇所を素早く止血し、タンカに乗せる。そして、素早く救急車に乗せる。これで終わりではない。まだ、銃弾が飛び交う中に倒れた自衛官がいるのだ。
大きく赤十字の旗を側面につけた救急車が、少しずつ進入するといったん銃撃戦は止まった。今回の訓練では止まったという設定だ。ジュネーヴ条約で、赤十字の印をつけた車両や腕章をつけた兵士への攻撃は禁止されている。条約では彼らは保護対象となるのだ。
「いそげ! ぜんしーん! 自衛官確認しました!」
「後方へ退避させろ!」
「了解。助けに来ました! 触りますよ! いち、にっ、さーん」
負傷者を背負えるものは背負って、それが難しい場合は脇に腕を差し込んで引きずってでも連れて帰る。その間、護衛についた隊員は警戒を怠らない。小銃を構えながら敵に正面を向けたまま後退する。
「ドア閉めろー!」
素早く救急車に負傷者を収容すると、瞬く間に現場から退避した。
さて、これで訓練は終了ではない。ここからが彼ら衛生小隊の本当の仕事が始まるのだ。安達は若い隊員たちに指示と確認を行った。
「アンビ、ドッキングして」
「患者が来るぞ。点滴大丈夫か!」
「受け入れ態勢は整っています!」
「伊達三曹! レントゲン準備」
「了解」
ここからは医官である東二佐が指揮をとる。
「麻生くん。麻酔、出しといてね」
「あっ、はいっ。えっと」
「橋本くーん。麻生くんのサポートよろしく」
「はい」
「河口くんどこ?」
「はい! ここに!」
「僕の隣で補助するように。できるよね」
「はいっ!」
安達が率いる衛生小隊は若い隊員が多い。
橋本大輔二等陸曹は、救急救命士の資格を取得したばかり。伊達陽平三等陸曹はレントゲン技師の資格を持つ。河口健太三等陸曹と麻生寛太三等陸曹は一般陸曹課程を終えたばかりのなりたてほやほやではあるが、准看護師の資格を持っている。
どの隊員も二十代前半と若いけれど、成績優秀な者ばかりだ。そして、四十手前の医官、東八雲二等陸佐だ。
安達と東はどちらもレンジャー徽章もちというのだから、なかなかのメンバーである。
運び込まれてきたのは数名の負傷者役の普通科の隊員だ。またここの隊員の演技が素晴らしいのだ。
タンカに乗せられた隊員は腕をだらんと垂らして、白目を剥いている。
背負われて退避した隊員は両足を引きずられながら、「まなみぃ…まなみぃ」とうわごとで彼女の名前を口にする。
肩を支えられながらやってきた隊員は力尽きたように地面に突っ伏して「お、うぇ…」嘔吐の演技をする。
「いでぇ……死ぬ」
「死にたくねぇ。母ちゃん! うおっ」
「ぐふっ」
とにかく舞台俳優かと突っ込みどころ満載ではある。クセが強すぎるのだ。
安達はいつも思う。
(普通科の連中、楽しんでるだろ……)
楽しんでいるのは、負傷者だけではなかった。
「はい、服を切断します。足を切ったらごめんなー」
「えっ、うおっ」
「はい、冗談。胸の音、聴きます」
東二等陸佐である。
(まったく)
でも、安達はこの現場を共にする彼らのことが好きだった。苦しくても、辛くても、この小隊で働くことが安達の生き甲斐でもあった。
ずっと訓練が訓練で終わればいい。それで役立たずと罵られても、税金の無駄遣いだと叱責されてもいい。
自分たちが現実に戦闘地域に行かなくていいことが、国民にとって大事なことなのだ。
『私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います!』
この服務の宣誓をしたあの日から、自衛官として恥じぬよう生きてきたつもりだ。
おそらく、安達の自衛官としての人生は一生続くだろう。例え退官しても、自衛官であったことに誇りをもち、自衛官として活動したことに責任を持たなければならない。
これは、安達のモットーである。
「状況終了!」
「安達曹長、時間はどうですか?」
「うむ。いつも通りに終了しました」
「さすが、安達陸曹長の部下たちだ」
「いえ。彼らの努力の賜物です」
「褒められたぁぁー!」
「イエっす!」
「オッシャー!」
褒めると必要以上に喜ぶのが今どきの若いもんだと安達は苦笑いをする。それでも、シメるときはシメなければならない。
「まだ終わっとらんぞ。撤収!」
「はあいっ!」
こんなに強面で、顔面に傷があって、笑っていても怒っているように見えるのに、どの上官よりも強くて優しい男。
それなのに、奥さんには弱くて行動が可愛くなる男。
安達四季陸曹長。
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