第17話 国津神の過去

気がついた頃には人々から"お山様"と呼ばれていた。

霊魂の存在である私は彼らの営みを諭鶴羽山ゆづるはさんから見守る事しか出来なかった。


今日もムラの女子が私の元へやって来る。

はぁ、はぁ、と可愛らしい息遣い。小さな手には山で取って来たであろう木の実が握られている。


彼女は私が鎮座する岩まで来ると、にこやかな笑顔で声を出す。

「おはようごさいます! お山さま!!」

「おはよう」

私の声は彼女に聞こえない。

だが、少女の声に心温かくなりつい返してしまうのだ。

「今日は木の実を持ってきたの!」

彼女はそう言って手を開く。

自身の手を見て涙を浮かべながら呟く。

「.....あちゃあ...お山様ごめんなさい。」


「良いのだ。そなたの気持ちが何よりの献上品だ。」

目を細め少女を見る。



彼女は地に座り世間話をする。

「昨日はね、那多利兄様がイノシシを捕まえきたんだよ。もうそれはムラ中大盛りあがり!」

「私は皆に言い回ったんだよ! そしたら父様に怒られちゃった。」

「サンヒは口が軽いし、動物の命も軽く思ってるって...」

「イノシシは殺されちゃう時、悲しかったよね...苦しかったよね」

彼女は両手を胃の上に当て俯く。

「でも、私達は彼らを食べて大きくなるの....」


「サンヒ....あっ、私もいつか死んじゃうんだよね。怖いなぁ。」

彼女は私の依代よりしろである岩を見上げ悲壮な顔で言う。

「お山様、私死にたくない」


「あはは、私何言ってるのかな。」

「もっと楽しい事考えないとね!」


彼女はあっと声を上げ、今までで一番の笑顔を見せる。

「お母さんのお腹に赤ちゃんが来てくれたの!!」

「それはめでたいな。」

人の子にとって子供はかけがえの無い宝物だ。

私は彼女の報告が我が身のように嬉しかった。


「名前はねー。ミナソ? キトニかな?」

「私が名付けたいなぁ。ねぇ様になるんだもんね!」

「あと何回お天道様とお月様がお顔を出すと会えるのかな?」

彼女の興奮は止む事を知らない。

5歳の彼女に兄弟が出来る。それだけで彼女は幸せなのだ。


サンヒと名付けられ、諭鶴羽山の麓のムラで育った彼女は私が人の子を愛するきっかけになった。

「お山さま! 赤ちゃんが無事に産まれてきますようにお祈りするね!!」

「あい、わかった。末永く見守ろうぞ。」


遠くから彼女の兄の声が聞こえる。

サンヒはその方を振り向く。

「おい、サンヒこんな所に居たのか。帰るぞ」

「っと、お山様。貴神のお陰で今日も私達は生きて行く事が出来ます。」

「獲物も取ることが出来ました。」

「貴神の山を荒らした事を謝罪すると共に感謝の意をお伝え致します。」

気性が荒く、小さな頃からムラで負けん気の強い童であった彼も日々目に見えぬ私を畏怖している。


彼は妹を背負い帰る。

彼女は右手を岩に向けて振る。


十年もすれば彼女は嫁入りし、新たな命の芽を繋いでいくだろう。

人の子の儚くも美しい一輪の花の様な人生が愛おしかった。

私に出来る事は彼らを見守るだけだ。

病で苦しみ、死にゆく人の子を私怨に駆られ助ける事は神の道理に反する。

人の子に"定められた運命"の一言で片付けなければならない。

しかし、私は疑問に思う。

我が子の様に愛おしい人の子等に対し、何も出来ずに黄泉の国へと見送る自身の存在に。




数ヶ月が経過した。

サンヒは私の元へ訪れていない。

赤ん坊が産まれ育児に参加しているのだろう。

彼女が一生懸命、赤ん坊の世話をしている姿が脳裏に浮かぶ。


そんなある日、彼女はムラの大人達に抱えられ私の元へと運ばれた。

地面に筵を引き、その上に彼女は寝ている。

荒い息を上げ、額には大粒の汗が噴いている。

その横に木面が置いてある。

おそらく彼女が兄弟達と作ったであろう木面が。


「お山様。彼女を助けて下さい。」

サンヒの母親は悲鳴とも取れる声で願う。

兄のナタリは両手を握りしめ唇を噛む。

姉のネマコは産まれたばかりの妹を胸に抱いている。


私は彼女に声をかける。

「サンヒ....」

聴こえぬとは分かっている。

大人達は口々に呟く。

「あぁ、なんて事だ。病に倒れるなんて。」

「お婆様の祈りでも駄目だった。」

「彼女はもう...」



「黙れ!!」

私は声を荒げる。

山全体が揺れ、彼らは戸惑い跪く。

「死ぬなサンヒ...!」

「死ぬな...!」


身体があれば彼女を抱きしめられる。

霊魂の存在である己を恨む。


彼女は小さな口を開き微かな声を発する。

「お山様のお声が聞こえるよ....身体が熱いよぅ。死にたくない。怖いよぉ。」

「赤ちゃん産まれて来たのに、やっとねえ様になれたのに...」

「もっと、お山で遊びたかった、母様のお手伝いをしたかった、兄様姉様とお話しをしたかった」

彼女は力なく右手を天に上げる。

「お山様、私....し」


パタッと右手が地面に崩れ、皆が駆け寄る。

声を上げてなく家族。

両手を合わせ祈祷する。

「どうかサンヒを黄泉の国へお導き下さい。」




私の中で何かが壊れ、砕け散った。

最愛の人の子を目の前で失った私は自暴自棄になり、ある種の終末思想に染まっていった。

「死こそが人の子に取っての救いなのだ。」

苦しみ、嘆き、悲しみの連鎖を私は人の子から断ち切る。

全てを無に帰す。


諭鶴羽山の麓にあるサンヒとの思い出のムラの人間を一人残らず呪詛で殺した。

高天原の神々に怪しまれぬよう、土砂災害を起こしムラを土中に沈め、存在を滅した。


ある時、禍々しい神が現れた。

「高天原の愚神ぐしん共に挑戦しないか?」

「神殺しだ。」

圧倒的な邪悪を持ち合わせるその神は提案に承諾した私に身体を与えて下さった。


武者震いする拳を地につけ告げる。

「必ずや高天原の神々に神誅しんちゅうを!!」

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