術式空間へ:サピィサイド

 サピロスは、術式空間へ入り込む。


 三層以降の道を探ることと、二層に押し寄せてくるモンスターの排除が目的だ。


 身体は現実世界に存在している。塔を制御オーブに、精神体だけを送り込んだ。


 精神世界に潜る時間は、五分しかもたない。それまでに、問題を解決させなければ。


「敵はいませんね」


 道も一本しかない。ナビは不要だったか。


「オイラの召喚獣は、出番なしってところか」

「しかし、この術式の配列は手間ですね」


 術式空間は、壁一面に魔術文字が張り巡らされ、複雑に絡み合っている。赤い壁には、常時鳴り止まないようにセットされた警報の術式が。青い壁には、魔物たちを強くするバフ術式がビッシリ書き込まれている。


 サピロスは、疑似キーボードを三人分配置した。この制御術式を解除するために、サピロスがマギマンサーの力で精製したものである。


「コネーホ、あなたは警報をお願いします。ビョルンは、魔物たちを弱体化させてください」


 フロア移動を阻害している術式の解除へ、サピロスが取りかかった。これが最も難しい。


「あいよ」

「任せてください」


 それぞれが配置に付き、地味なキータイピングが始まった。


 数秒もしないうちに、ビョルンがタイプを終える。


「こっちは済んだぜ。これで、付近の魔物は弱体化する。数は減らせねえが、楽になるはずだ」


 早い。さすがエルフだ。


 サピロスが分裂すれば、一人でもトラップ解除はこなせる。が、自分を三等分しても、しょせん単独作業だ。結局、時間はがかかってしまう。人を連れてきてよかった。


「警報の解除、もうすぐ終わります」

「手伝おうか、コネーホちゃん?」

「いえ大丈夫です! これで!」


 コネーホは時間がかかったが、なんとか無事に終わったようである。


「サピィちゃん、もういいんじゃねえか?」

「やはり、わかってしまいましたか」


 ビョルンは、サピロスの狙いがわかってしまったようだ。


 スライムで分身を形成して、ビョルンたちと向き合う。


「何がです、ビョルンさん?」

「よく聞けよ、コネーホ。サピィちゃんは、お前さんに道案内をさせるつもりはねえってこった」


 さすがだ。ビョルンはやはり察しているらしい。


「つまりだ。なんで道案内役を二人もつけたのか、って考えるんだ。オイラだって、このダンジョンには詳しい。しかし、サピィちゃんはガイドとして、お前さんも連れてきた」

「二人いたほうが、ナビしやすいからでは?」

「違うね。サピィちゃんのスライムを使えば、こんな道、どうってことねえよ。危険なエリアだって、自力で嗅ぎつけるさ」


 ビョルンのいうとおりである。さすがに術式障壁に関しては、力が欲しかったが。


「となれば、導き出せる答えは一つ。サピィちゃんは騎士団や他のメンバーから、お前さんを切り離したかったんだ」


 コネーホは心あたりがあるのか、普段のおとなしい顔に陰が浮かぶ。


「わたしは、あなたに聞きたいことがあるのです。コネーホ。あなたは、いえ、あなたたちはいったい何者ですか?」


 サピロスが、コネーホに問いかける。


「どうして、それを聞こうとしたんです?」

「なんのためらいもなく、あなたがわたしの手を取ったからです」


 マギマンサーとしてサピィが何をするかを、コネーホは知っているようだった。ビョルンはサピロスの手を取るとき、動揺していたのに。


「手を取っただけで、そこまで」


 説明を聞いて、コネーホが冷や汗をかいた。自分の手を見つめながら。


「はい。わたしは、あなたの心の中までは覗けません。しかし、あなたがなにかを隠しているかくらいは、スライムの特質でわかってしまうのです」

「なるほど。すべてお見通しだと」


 コネーホは、ため息をつく。


「ワタシたちは、χカイに捨てられた子どもです」


 秘密結社χは、サピロスの友人であるジェンマを殺した相手だ。


「ルーオンとワタシたちは孤児で、χの工作員として訓練を受けていました。しかし、『適正なし』と判断されて、捨てられたのです」

「戦闘面では、かなり強いほうだと思ったのですが?」

「子どもを殺せなかったんです」


 χの元で働くには、ある種の非情さも求められる。二人には、それがなかった。


「特にルーオンは、同期を殴り飛ばしたんです」


 その同期は、野球で遊んでいる子どもたちを殺そうとしたという。ルーオンは止めたが、「油断しているから構わない」と、同期は聞かなかったという。


「ワタシはルーオンの側について、二人ともクビに。で、スラムへ捨てられました。ルーオンは強制労働を強いられました。ワタシは、その……オトナの相手をさせられそうになりました。ワタシはこのとおり凹凸のない体型ですが、そういうのを好む相手を紹介されて」

「ひどいですね」


 だが、コネーホは首を振る。


「二人とも、地獄の日々が始まるんだと思っていまいた。しかし、すんでのところで助けが入ったのです」

「それが、リックと」


 コネーホは「はい」と答えた。


「リックは一瞬で、ワタシたちを自由にしてくれました。リックがいなければ、ワタシたちはどうなっていたか」


 奴隷商を撃退する依頼を、リックは受けていたらしい。


「そこから、ワタシはリックの仲間になったんです」


 元いた仲間に認めてもらうため、過酷な試練にも耐えたという。


「リックは休みのとき、ルーオンに野球を教えていました。リックもリックで、仲間を傷つけたことを後悔しているようでした。それが、ランバートのことだったんですね?」


 やり直すため、生き直すための時間は、リックにも必要だったのかもしれない。


「だから、リックに頼まれた仕事をやり遂げます。最後まで」

「お願いします」


 さすがに、三層以降への道は、そう簡単に開きそうにない。


「さてさて、最後の仕上げといきますかね」


 ビョルンがサピロスの隣に座り、コンソールを叩く。


「ワタシもお手伝いします!」


 コネーホもサピロスと向かい合って、キーボードを打ち始めた。


「責めないんですね、ワタシを?」

「どうして、そう思うのです?」

「ワタシたちχは、あなたにひどいことをしました。あなたの国外追放を扇動し、窮地に立たせた」

「それは、あなたが誰かから聞いた話でしょう? あなたはもう、χとは関係ありません」


 捨てた時点で、χは彼女たちの保護者を語る資格をなくしている。


 コネーホとルーオンの親は、リックだ。


「サピィさん」

「急ぎましょう。ランバートが待っています」

「はい!」


 これまで以上の速度で、サピィはキーを叩く。


「残り一分だが、一番きっつい障壁を抜けたぜ。あと一歩だ。踏ん張っていこうぜ」

「さすがですビョルン。わたし一人では、時間をオーバーしていました。今すぐにでもマギマンサーになりますか?」

「ごめんこうむるぜ。奇術師コンジャラーが、気に入ってるんだ」


 しかし、この術式解除の腕は、並大抵のものではない。彼はいったい何者なのか……。


「よし、行けるぜサピィちゃん!」

「参ります!」


 サピィが、魔力を込めた指でエンターキーを押す。


 これで、魔物たちの大量発生は止められるはず。無事に三層へ戻っていくはずだ。


 ずっと暗かった景色が晴れて、白色の世界に変わった。


「止まりました! 塔の制御装置の侵食が収まって、正常に起動しています」


 コネーホからの報告を受けて、サピィが大きく深呼吸をする。


 予定より一分も早い。


「戻ります」


 意識が、肉体へと戻っていった。


 サピィは目を開ける。


 現実世界にちゃんと戻ってきたようだ。他のメンバーも、無事である。


「思っていたより、酔うなぁ。二度とやりたくないね」


 ビョルンが、立ちくらみを起こす。


「おいおい、ジョーク飛ばしてる場合じゃねえ見てえだ」


 深刻な状況になっているようである。 


「そんな!?」


 コネーホが見つめる先には、壁際に倒れているルーオンの姿があった。

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