8. 「われらの罪を赦したまえ」の代わりに
エリファズが話を終えると、ヨブはよりいっそう胸を痛めた。かこち事からは水が引いた。死海の周縁が渇き去って、じわじわと塩は現れる。灼熱の太陽は二人の旅客、――知恵と習熟――を捕らえ、垂直に見下ろしていた。
「そうなのだけれども…、」
ヨブは外界に晒されたこの旅人たちを気の毒に思い始めた。我が目の前にいるのだ。照り付ける過酷な日差しが、残酷にも彼らに挑みかかる。しかし彼の皮膚も病に侵されている。焼けるような痛みは身体の広範囲に広がり、心が干からびるような苦しみは我が身ごととして、すぐ傍に感じられたからであった。
しじまに波音翻し 陽光照らすは明らかなる
光の巨鯨が指差せど 汚れ知らずの塩は清し
されど我が身は汚されて 誰が
皮膚の外を呪いが駆け 枯れた
頑なな塩はくすんだ岩 ひとえに
元より砂に生まるれば 鶴嘴も鏨も寄せつけまい
おぉ
呪われた舌が這う様は 泥に埋まる怪しき貝
殻を砕いた黄金色 麻に乾けば紫に
染屋の染めるより早く 生地が毒素を吸い上げる
病める魂が手放さざり 傷と痛みの
喚きは祈りを妨げて 知恵は扉を閉ざしけり
聖人君子はかく言いぬ ただ苦しみを迎え撃て
禍福はあざなえる縄の如し 語られし死は生に勝れり、と
衰滅が内臓を掴むとき 狂気が骨肉を揺さぶるとき
誇りは裏手に引きこもり 城堀は砕けて濁るなり
いかにして悪か尋ねよう 忘却と孤独を望むこと
超存在からの隔たりを願い 汝ら友から離れること
患いから知恵を遠ざけ 休息の施しを願うこと
艱難辛苦は剝き出しに 逃れんとする子羊を駁す
平穏欲すは奢侈なるか 損切り計るは禁じ手か
外界の塗炭をご覧あれ 逆さま晒せし無名の碑
親をもコロがす奴隷売り 聖地引き裂くチャリオット
混沌飛び交う地の上に 何故我ばかりを咎め得ん
葛藤軋みしこの胸は 陽炎歪みし地を眺め
焼き焦がされた貧しい土に 頬を摺り寄せむせぶのみ
星と月とは手を結びて 安らかなる
火輪と青嵐の燻りとは 聖オリエントを空から統べる
これが弱き凡夫の僻み 神の威力は際限なし
知恵も習熟も適うものか どれほど錘を負わしむか
さに在らばこそ我は問う 灰壺に徳積めと仰せしか
躓きが我の脚を捕らえ 試みが我の首を押さえ
高らかに地鳴りの嘲るは 地平の彼方に何を隠すか
さもすれば神は秘め事を 忍びて隠してを繰り返す
万人炙りて懲らしめ与え 登る煙にて機嫌を戻す
……何故、と誰もが問う
ああ、疑問は虚空に溢れて
もしも人がその行いにて 悪しき真似をするなれば
天誅の報いが彼を切る これなら誰しも分かろうもの
生き永らえて尚あれば 魂は地獄にてこそ焼かれる
しかし埋められし痛覚に 触れて爪弾くは何故か
枝にいみじくゐるつぼみ 熟れて雅に生る木の実
神は鋏で斜めに剪ぼす 付け根を断ち切るでもなしに
摘み取らざる罪集むぬれば 彼岸渡りに差異はなし、
苦しみに意義あらざれば この世の幸いもかくの如くか
庖丁師ロトは幸いなり 血に違わざるその神縁
神たる治者が遣わしめ 降り注ぐ天の火から逃れん
残され在りし逃れの道 神の御名下にくぐりけり
硫黄の燃ゆるあの谷に ならず者らは火の粉の餌食
この砂ばかりの霊廟も 同じく太陽張り付きて
はばかり知らぬ炭石が 無慈悲に横たわる焔の庭
熱暑は踊れど知らん顔 天地に身やつし気儘旅
人らの神に仕えるは 契り濃くあればこそなんなり
さすらば何ぞ防ぎ得よう
計らいからは漏れ
恵みからは除かれ
謂われなく裁かれ
その足元から蹴散らされる これこそ我らの受けし咎
斧が挽き麦を分かつ切刃 木塊は神意にかち砕かれり
こと被造物と創造主 両者の間は遥かなりて
移ろいゆくまま砂は舞う
獣道なく足跡なく 取り残されし土は嘆く
神は理法を敷きながら 見止めし者のみ生かすべし、と
万象の操り手は他所を見る
この土くれこそ我らなり 天におわすは造り主
けだし手に及ばぬ日輪 謳われる歌も届かぬは
遥か先に座りながら 我らに思いも馳せぬまま
投げ与えられた切り札に 人は泣いて服すばかり
神は力の赴くまま 厭われしまで尚知るなり
「遠くありし」は離れること 滅する弓手の矢の如し
矢羽が弦につがえられ 弓が姿形をひしぐとき
いかけられるは飛び去ること 鏃は血にと汚れよう
湖貯めるは午後二刻 かつての河口は歴然と立つ
ビヒーモスが住まう山岳 屍は青き叢に斃れる
吐く息白むビックァーも バグダード果ての
離れて生き また離れて死す 地の突き放す遥か先へと
友よ かくあるを見よ いかに離れども天及ぶ
救済信じ仰げばこそ 神慮なる所以も消されざり
大河が舟を流せしが 定められし
何故あえて我ら抗いし そも何故神は造り給いしか
耕す人 種まく人
彼は我にかく言いけり
水夫は小舟に掴まるべし 舟は座礁し波をかぶる、
迷いし舟も港の舟も 海に至りうることはなし、と
改めて我は問いかける 然らば汝らが足をつく
精神的 名誉的なるもの 聖遺物たる波止場とは何か
舟に意味もなしにして それでいて汝らは保てと言う
我は肉を脱ぎ去りたい この願いはなぜ避くべしや
無用と呼ばわる道理無し 烈子の武器商 テセウスの船
尚かくの如く損なわれ さして消えてゆくは何故、
ああ神罰は下されけり 必ずしも破壊を齎さない
旱魃が川を消すように 地割れが氷雨を飲むように
神の罰は取り上げる かつての自縛を奪い去る
熱はたたらから来るに非ず 潤いの涸渇から来たるなり
海に堕とさるる雷よ 谷に注がれし硫黄の火よ
炎は降りて船の上 また丘の上へも飛び来たる
我今一度問い直さん 苦しみの意味を計れるものか
被造物に過ぎぬこの我ら 刑を刑にて二重に計測る
汝らは溺れず殊に嘯く 災い避けるは神ありき、と
人の命は恵まれもの あなた方の思うそのもの
塩の柱は何をも見じ 知恵は熱にうなされて
海は水に溢れども 人より水絞るは塩水こそ
この世の如何なる苦しみも その喜びも神の気まぐれ
生み出されしは神の戯れ 何の望みをかしづこう
軛は鎖を伴いて 喰いしは徒弟の虎鋏
侮りも贖いも拭いては
我ここにこそ尋ぬるは、
さらば、
かくあらばして
藁も瓦も屋根に変わらぬと
これらが神の報いなりと
汝ら如何にして言い定めしか
神授の流々細工めくるめく
五臓六腑を心の下に
裏へと返し 覆し
述べよ友よ 汚れども
病みて吐いては 愛の語りを
口を開くは、死にぞこないか生きぞこないか。一歩離れるだけで大きな違いなのか、大きな違いであるのにほとんど脈絡を移さないのか。彼から言葉はほとんど自動的に流れて来た。
「果たして語ったのは私でしょうか。私もまた聞き手ではなかったでしょうか。」
生きることに真面目な人物ほど、その道は示されなければ存外分からない不器用なもので、しかも進み続けても、それが誤った方向につながっていたことに気付くのはずっと後だ。そのために私たちは、「私たちを導くもの」の正しさに固執するのである。
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