7. 神は命あるものの死を喜ばれない

 純朴たるエリファズは歩み出た。彼の言葉はヨブの肩を、両手で握って揉みほぐす。飾る言葉など何も持たない彼だが、選び取って繋がれる言葉は柔和で、ヨブと同じほど多くの友が彼を囲む。


友ヨブよ 掴みなさい


疲れさせるやもしれないが  どうか抑えて聞いてほしい

いまやヨブは忍耐の     人間随一の旗手なりて

見紛う余地なくいざここに  美徳の光は侍りけり

彼を誰が苛もう       訪れるべきは贖いなり


然らば貴兄よ許し給え    私の気付いて補うを

努めし人は登り往き     奮励香れる花を見ゆ

募りし痣が蝕めど      主はアダムの子と共にあり

孤高の高みに臨みては    そこでこそ魔を退けよ


私は貴兄を知っている    忍耐の徳の磨き手よ

あたかも容易く成したるは  肥える丘に導くわざ

放牧巡りし羊には      施し豊かな主となりき

されどそれを顕すは     背後に「習熟」の聖霊あり


いったい私の何をして    小夜鳴く鳥へとならしめん

憂いも昔日は遍くあり    酸いも辛いも君と分かとう

我が眼の臨むは今のため   我が弁振るうは友のため

執われの正体は習熟なり   誰もが焔をヨブに見れり 


知恵も忍耐も聖なり     習熟は強かな槌となり

ときに土台を鍛えしが    しかし習熟そのものが

徹して善とは誰が言おう   悪意を注げば悪十割

習熟の為せる業多かれど   善にも悪にも身を変える


広くつかさを飾りしは      良い結びをこそ与えよう

身やつす手間を省きては   至難の帯を休めたり

これぞ習熟の真骨頂     事を究めるは秀でた早瀬

麗々しく且つ速やかに    潤しながら砂漠さえ穿つ


されど精神も物質も     共に造りしは之に非ず

神の与え給うたその名は   忍耐、正義、そして知恵

自らの内側を省みよ     その深淵に立ちすくみ

祈れる姿の美しさよ     そに知恵 必ず映されり


目でして見えぬ船の底    汝と共にありしもの

捉えるべきは緣の先     祈れる嘆きの景を見よ

狭き暗がりにて膝をつき   習熟の座るより先立ちて

汝を見守るはこの乙女    神の与え給うた知恵である


ヨブよ 耳を傾けよ     私ではなく 内なる祷りへ

か弱き知恵の擦れる声    何を願い何を祈るかを

宿主である汝にこそ     知恵が得心を呼び覚ます

飢餓も苦痛も絶望も     得てして防ぐ能うなし


今や習熟が潜もうとも    向かい風は猛く吹こう

この期に息を与えるは    原初の知恵こそなればなり

一度習熟を見切りては    重きを知恵に帰すべし

国が居城を与えども     神の園に尚及ばざり


汝は一にかく語りき     船人ノアは幸いなり、と

ノアが生きながらえるを見て 神の恩寵に救われた、と

私は今一度問い直す     ノアとは誰により試しを受け

いかなる恵みを与えられ   いかにして救い出されしや


主の定めたゴフェルの箱舟  囁きが聖人にいざ届く

心得ざるまま見るならば   確かに船が彼を助けり

天の門の破れるに      地上の移ろいは浄められ

助言は平安を遣わせけり   されどそこに過ちがある


地上が拭い去られしとき   主の右腕のかざされしに

天啓に由りてノアは逃る   死者の香りは神に帰る

神の威力は計り知れず    計略仕掛けて分かつ命

生くべきものの生きる淵   死すべきものが死せる淵


我々誰もが知るところ    私の改めて説きたる旨

板べりに桐と箟をうつ    先に死ぬか後に死ぬか

これに意味などありなんや  魂は永久に歩を踏みつ

天の国をそぞろ歩く     この魂こそ水夫なり


ノアは高潔な船頭なり    精神を以って信を勝ち得

無垢たる心の保全者なり   神は心の守り人を

ねぎらいに生き永らえさせた 祟る投網に攫われせじ

されど三百五十余年     彼は没したではないか


誰がノアを殺めしや     九百年超を全うし

命は最期に眠りけり     あたかも神が命を奪ったのか

いいや 人皆いずれ死ぬ   呼吸するすべての命は止まる

死が平等である限り     聖者も穢れ人も辿る路


河の分かたる道標      行く先は二手に分かれたり

天日纏いて見えたるは    鳥さえまどろむ天国と

かたや地獄は口を開け    礫石を散らして待ち構える

隔てる物などたかが霧    されどかくも離されたる


着岸は天の定めし結論    無垢が神意たる理由なり

この仕組みをこそ知るが故  ノアは報われし者なりけり

飛沫しぶきを上げて船首は滑る   汝のにも握られたる

この櫂こそが操るべき    知恵の授けし宝なり


闇夜に迷い流るを避け    神の御傍に就かんとし

人は必死に船を漕ぐ     この小舟こそ肉体なり

ゆめゆめ死を急ぐなかれ   苦痛が小舟を砕いても

魂が川に飛び込むな     リヴァイアサンは鼻が利く


流れは霊を揉みながら    飲みほす如くに渦を巻く

自ら船を捨てるなかれ    死して後 未だ躓きあり

いかなる岸辺へ寄せるかを  流れに任すに等しきなり

櫂をかなぐり捨つるべからず 積み荷をこそまず犠牲にすべし


契りの中身を汲み給え    何故ノアは命延ばせしか

ひとえに櫂を持たせおき   新たな積み荷を背負うため

何故罪人の命を縮めしや   既に櫂を失いて

流さるる船を片すため    船人をその御手に帰すため


私はここに見出したり    造り主が地を漱ぎなさるは

数多ある劇の一作の     更にそのまた一局面

恐怖と畏怖とが募れども   それは人の小さくあるゆえ

かくありて神は示された   峠の先にこそ虹が待つ



汝は次にかく語りき     

我の背負いし報いを見よ   神は度を越えて我に課す

嵐の如く義人を襲い     あまつさえ死を遠ざける、

風に挑みしこと非ず     鳥を拒みし事もなし

されど神は答えられず    座りしままに見るばかり、


我の豊かさは泡となる    健やかさもまた流される

膿も腫れも退かぬまま    霊の宿るは荒れ庵、

今日も今日とて日は暮れる  炉に灯すべき薪は無し

傷に海水を塗るにして    いかに義など養えよう、  


神よ果たしてこのままに   仰ぎ人を裏切るのか

義を手放すその前に     ひとえに衰滅を我に下せ、

神の働きは地に満ちる    回転する星々は天を萌す

然らば胸の矢傷を癒せ    働かざるは怠慢の疑、と


小さき者よ しかし見よ   自らの影絵が地に映る

己の仁義を質に取り     神を脅すは如何なるや


それは心の病める者     迷妄によりて捕らわれし

まなこに耳に霊感に       いくばくかの齟齬を持つ

度数の狂った象限儀     重石の欠けしはね釣瓶

月の赤に染まる如く     塵芥が光を屈み折る


光は天から降りけり     地に映る影は我が血肉

影が暗くて何がため     天にそれを訴えよう

与えられたる太陽の     光は我らを照らすとき

その強かなる恩寵が    汝の影を黒く染めたり


これを隈なき人間と     いかにして言い得るべしか 

えてして罪人も言いにけり  吊り縄控えて皆喚く

抱える罪の小ささと     受くべき罰の過酷さを

霊を御さるる主の剣     これよりいかに逃がし得よう


否、かえにすべからず     神は魂を操る者

我らが指の間より      零れる砂の粒さへも

恢恢疎にして漏らさずは   既に天網巡れば故

従いて我ら平伏すなり    ただ人徳のみ抱えながら


而して違えた解釈すれど   私はヨブをそしる者を許さじ

口を汚してはならぬ、    思いを汚してはならぬ、 

それは汝の利を作らじ、   かように語る外者もいよう

虚ろなる水を掴む者よ    如何にして力で浄めよう


口から川水流れねば     どこを違えているかさえ 

我らは量る甲斐もなし    噂ばかりのレヴィヤタン

魔物を討たんと繰り出せど  髭一つ刈り取る見込みなし

勇んで波往く傷み舟     そのまま藻屑となりぬべし


我らの前に明らかなれば   我らは友として与するなり

ブドウ ツルバラ フウチョウソウ 

絡みて支柱にもたげたるも

竿の曲がりを直すごとく   紛いを手折るは務めなり

いかに自然を妬めども    両の手は拵えて意義を顕す


朝日を迎える耕作たがやし人    草花は東日に照らさるる

そこで私は語りかける   

神ではなくあなたに訴える 今に一度櫂を拾い

正すを試みるはいかがだろう 洗いざらいに洗いてさらえるは


思え 畑に咲く花を     あるじの苗木は実を結ぶ

実を結びては人を惹き    身に香りをしたためる

我ら人間さえ背に侍らせ   雨も渇きも恐れざりけり

食卓を彩り身を捧ぐ     その最期に至るまで生に満つ


人の作物を育てたるは    神のお与え下さった

赦しと施しに与るため    畑に実るは神の恩寵

知恵が実りに手を加え    習熟が土を耕した

誉れ高く刈り取りを待つは  さながら神の使いのよう


荒れ野に咲くは孤独の花   関わりもなく微笑まず 

誰の目をも楽しませじ    花びら葉肉も棘さえも

老いさらばえる地上のステルス

人の目に留まるに至るまで

移ろう時節に忘却を秘める  虚無の名の下に凍えるが宿命 



愛が辻でうずくまる    

私は愛のかくあるを禁ず   倒れているなら抱き起す  

知恵の呼び声は探し出し   傷つく種子を植え直す

野花も菜葉なのはも同じ空     材木もハーブも同じ雨

種ごとに目的分かれども   主は愛憎をご覧になる   



天は事物を造られて     その御体に万象を宿す

飢える者に富める者     神はそのどちらも造られた



酒に酔いし人の例え     昏倒と覚醒が内在する

果たしてぶどう酒は聖か邪か 醸し人は聖か邪か

酔いは勤労を妨げる     されど寒空から人を守る

神が酒をも造りし事には   酒を以って聖邪は計れぬ


決して人らの届かぬ眼    それこそ神の慧眼なり

あらゆるものを見通せり   それが未来でさえも尚

砂漠にザクロは咲かぬなり  高地に講ぜぬコウシニア

なんぞ砂漠を鍬で掘ろう   正しく種まくは習熟なり



癪か

全能に跪きて譲るは癪か   紡がれるは硬き吊るし糸

人間に先立ちて息する習熟  愛を前にして歩み出る知恵

知恵と愛の呼応こそが    遡れば神より出づるもの



知恵よ祈れ 

夜を徹して祈れ 

人よ識れ 

夜を徹して祈る知恵の 

ざわめきと光のありかを識れ

神の偉大なる見識を 



我 信ずればこそ語るなり


 しっとりと話し終えられたとき、ユダヤ人はためらいがちにその口を結んだ。進言の内容に自信がないわけではない。本来であれば、忠言を述べる立場ではないかも知れなかったが、友人の内面に踏み込んで訴えかけるには、相応の勇気や経験的な知の蓄えが不足していないか、誰であっても不安に思うものである。

 彼はそれを話した。友情という踏み固められた関係性を信じた。しかし、人と人の結びつきは、ある意味では誰かをその関係性に縛るものにもなる。

 もっとも危惧したことは、信仰を抱きながら破滅したヨブに「神についてを語ること」を続けるべきかどうかだった。主が友情を通してヨブの前に訪れようとしている。

 ふと気づくと、東の空は燃え始めていた。夜明けだった。


(遠い未来では……、——いや本当は一瞬間の後かもしれないが――、神の支配的地位は徐々に消され、蝕まれていく。ある時は公に晒され、その神秘的と形容されるべき御業は改竄され、表面のみが品なく舐められ、辱められる。またある時は、平生は大して神を知らぬ者からさえ、変えることのできない運命の代表者か何かであるように、自己の注がれるべき責任を転嫁され、そしられる。

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