9. 無情念な奴
督励のビルダドは近づいて胸を反らした。自信にあふれる手振りと腰の座った姿勢は、彼を見る者の多くに安心感を与える。だがその内心には常に、等身大の息詰まりを隠していることを知る者は多くない。小さな一歩踏みだすと、彼の布靴はすすり泣くように、またほのかに笑ったように擦れた。
膿はいくらひり出そうとも悪いことではないはずだろう。傷をなぞるとき、医者が流血を詳細に見ながらも、当人である怪我人は遠くの雲を眺めているものである。「ああどうして空は青いのだろう」などと思おうとも、その青さをいつまでも覚えている悲しみの奴隷は、彼の経験上一人としていたことがなかった。
ゴートの民草が道をゆけば、牝牛も軍馬も土を踏み、道は草と沼地に届けられる。複雑に食い違おうとも、やらなければいけないことは、手前のひとつひとつを元の形に戻すこと。神の思いは表も裏も、その環状の字義に偽りなどはないのだ。
友ヨブよ はにかみなさい
いまや迷いし我が友は 嘆き疲れて地に伏せる
荒野に麻を敷きながら 病身にはラシャをまとえ
その口わななく果てに又 朽ち縄控えて之を聞く
けだし分かろう幸なるも かざされた手の巨大なことよ
貴君の足取りは流砂の狐 砂を掻いてはまた沈む
踏み出す一歩は遠きを見れど 救われゆくにはなお遠し
千里の道は一歩より、 夢幻の中を走れはせぬ
あなたが自ら歩み出でしに ようやく初めて階届く
張り裂けし禍苦の襲えども 裸足のまま歩みを止めぬ
紡ぎ車が落ち窪めど 自ら糸を巻き絡める
麗衣を纏うその御影 誰しも主の意図に触れん
ヨブを見る者は神を視る その苦を通して神を視る
記され残されねばならない 硬結びの紐は解かれよう
苦しみのなりとは何なるか 慶びのなりとは何なるか
踊らされるこそ恐ろしかり 苦しみに潰されないように
またその歩調同じくして 苦しみを侮らないように
貴君の目は聡くありて 違えぬことは幸いなり
まさしく我らなんびとも 個たる童と産まるれば
肉は母の胎より化け また霊は神より預かりけり
産声此岸に飾られて 初めて貴君は自己と成る
ひと掴みの砂ぶつけられ 肌が仇に汚れしとき
貴君は肉と血を通し 快苦を絶えず身に識りけり
刀身 己を斬り断てば それが痛みと傷は叫び
涼風 己を抱き留めしに それがねぎらいと疲労退く
肉は肉の受ける便り 外縁のはたらきを分別せり
しかしさは皆ただ下座
身寄りなき子の反証例 誰ぞ不幸を決めつけ得ん
火を吐く親の庇護よりも、と
苦しみも痛みも手の中に 向き合い臨めば識に入る
我は貴君に改めて視る 節制 と 希望 の呼びかけを
意いは虚空に拡げられ また容易く点に集められり
自らの意識は自らの 繰り寄せられる泥の如く
雨と土の交わる小道 あまねくあれど気付かれじ
個たる認識はこのままに 霊と肉とは口の裏
種族として生み出された、 かくなる見方に節制あり
主の愛して下さるは 個に非ずして人類なり
汝がいかに神愛せど 神をも
創り主の巨なる御手 星々を廻し文明を興す
時から時へ繋ぎして 闇の淵から命を煎ず
その勅命の及ぶこと 王者も死者も等しくあり
まさしく彼らを転ずるため 支えし故こそ巨大なり
神との隔たり猶深く 影は追えども姿なし
冬の暁の眠り児よ 揺り籠に背を預けし子よ
手を延ばせども届くまじ 夜の部屋をただ掻くばかり
泣くも然り 嘆くも然り 求めようとも得られまい
得てしてここに匠あり 生み出されしには弛みなく
作品は命を見紛うほど その在り様は尽くされし
神の生み出せし人はどうか
獣も人世も月明かり
捧げることは決まりしに 一切の事物はつくられたり
ここに我らの信望は まして届くべくもなきか
否 届く 届くを信ぜよ
ここにありて人はどうある、
それを考え悩みては 初めて自由は貴君のもの
いざ悩められよ 考えよ さこそ希望の美徳あり
しかしいかにて届きしや 善意の躍動は茨を踏む
内より腐らす醸し毒 外から壊すは赤き賊
喜び 御前に届くとき 熟考いよいよ叫びしに
被造物としての命に 悩める自由は保たれり
ビヒーモスがさる力を 我らが前に振るいしとき
力みなぎるは然にして たぎる木々と野禽の血
されど獣は獣にして 力こそあれ日陰者
抽象物を希望へと 再配列する術はなし
無論 獣にも感情あり 情は情の赴くまま
目前の対象に向けられて 接ぐが如くに費やされし
されどそれが豊かさかは 首をかしげるところなり
ここに我は「豊かさ」と 「数量」の違いを見出したり
恩寵果てなく膨らみつつ 人びとにしかと持たせしは
苦から仕合せを見出す眼 闇から光を手繰る腕
貴君の指が宙に伸び 光の幕を握れずとも
明し暗しの伝うより 分別さるるがこの世界
しかしまたバアルを見よ
あの輩もまた屠畜人 あえて牛馬の首すぼめ
飢える民を追い払い 金銀シェケルを吊り上げる
しまいにはあの金の小牛 財と富の
その浅ましき懐に 屍肉を需めて蠅がたかる
神をはき違えている 真なる正負とは何か
流れるすべては御手の内 御存在からほとばしる
最も旧き契りを顕し 最果てに隠れる片鱗に
霊が急かして脚が駆けだす その脚肉に語りせまほし
身に迫り来る災いを 回避せんとする肉体よ
汝が叫ぶそのときに 霊は苦痛に振り向きたり
誰もが安らかなるを望み 長閑なさえずり欲せども
病と疲れとを告げ知らす この聞き手こそ霊なりけり
肉は称えられようか? 否 また貶めるも否であれ
教導あっても繁栄なし 虚像を求めど滅び去る
触れる
野アザミはどこか、躓きとは何か、問いかけの宛先は貴君なり
かつて貧者の呼びかけを捨ておき
偉大なる王者に成りしものはいたか
霊魂もまた
どんなに身近なりしかな 神に投げるよりもまず
我先にと霊こそが聞け 泣きぬる肉の直情を
呼び声汝を突き上げど 背くその身は帯を知らざり
霊魂たる人々よ
苟くも霊にして肉を捨て しがらみに傷残すなれば
神の愛子を名乗りては 神聖を気取るその背後
睨みし人形はいないはず
かくなる有り様を神は厭い 苦しみを繰り返しなされる
悪魔は得意げに差し出すか 苦し紛れに投げ捨てしか
引き留めなさる天の意思か また跳び越えるをお望みか
迷わしの都市は鍵持たず 貴君も我らも同じく苦しむ
苦しみが何かと尋ねども 掴みて取り出し視る能わず
仮に易しと侮らば 習熟はやはり惰性となる
知恵失いて酔飽なり 櫂も舳先も砕け落つ
星から方角も読み取らず 額縁に閉じ込め置く如し
どこにもないかもしれない
これから見つけていくものかもしれない
逆に訪れるかもしれない
思いもよらぬ、ふとしたときに
路延びては根の這う如く あらゆる方へまた人へ
何を
いかなる人と人を繋ぎ めぐり合うに何を交わすか
かくして道敷くが神の業 海大工は丘の材木を買う
よもすればまた旅すがら 見えしものと見えざるもの
この二者どこにも出でにして 欺くばかりに競り踊る
我らは知らねど神のみぞ 知りて書に記すが詩句
侍女よ 何が書かれるか 目を細めてでも唱え給え
我らがどこを彷徨いて 何処へ向かい至るかは
すべて神の握りし内 遥かなる蒼き空の夢
そしるもよし 荒むもよし 然れど覚えておくがいい
知恵をして見つけしむるには 須らく正義の徳を要す
正義は燃えたぎる炎か 万物焦がす灼熱か
汝は既にそれを知りせし 正義は小さき一縷の燈
揺れる感情に煽られず 守り通した先の先
正義とはむしろ理性の灯 扉守りの左手に息づく
闇の中に光を与え 光に影絵を造りけり
交渉に高尚を重ねるとき 忍耐が盾となり足場となる
感情を隠すは悪しきこと、 かくの如く言う者もいた
いいや 正義は隠すに非ず 問答無用でつまびらかに
神のお与え下さるは 美醜を隠す隙もなき
最も慎重かつ牛歩に 人の心を引きずり出す
それなるは二義には存せじ 砕けし欠片は放たれど
街と街つなぐ路の上 魂と肉とは隔たれまじ
臓器と臓器を分けようとも 血が通わねば働かぬ
あなたを置いてあなたはなし
生命の責めは与えられ 肉にも毛先にもつくづく及ぶ
言葉の痛みと情念とを 踏みつ固めつ品は育つ
優れし警吏と然らざる者 寄り分け見るは確かな己
決して他者を傷つけぬ態度 その上に苦楽を分析する
ここに神の徒の意義あり 正義から知恵に繋ぐ書簡
おお 悩める友よ問う
然らばなぜ苦しみを嫌い 試みを嫌うのであろう
貴君は何故とは言いぬれど その実 遠ざけんばかり
忌まわしきものとは何なるか、欠如からなると貴君は言う
安穏たる憩いに憧れ 枠組みを手早く積み終わる
いまやせり石は崩るれらん 天から鍵石を差しこめ、と
己が息の結ぶ内 倒れる前にはめこまねば、と
貴君の抱く憂い事よ 完成前に打ち倒れん
内なる骨枠はどこへやった 神恩を映すに適いしか
孤独を欲すと言い乍ら はけ口としての主をかつぎ
創り主にははばかりなく 訴えかけているではないか
神から干渉なくなれば 幸いなりとでも言いしか
然らば貴君が欲するは逃れか 神を従えるを望みていまいか
取り除けようかドクムギを いまだ青き苗床から、
苦しみが苦しみを見つけるは 苦を見出そうとする意いは
見分けるを欲する為に非ず 神近く侍らんとすればこそ
その魂の急かすが故に 泥だまりへ言 滑らせん
また我らは例えて言う
我は古の例を知れり 民 王者の足に集うとき
王もまた民を慕い 拠り所になり得るらん、
しかし人が神仰げど 主はヒトに炉をは頼るまい、
いにしへ唸る決まりごと なんぞ抗いさえ許さぬか、と
さに疑えば導き出す
主なる神に頼られたい、
かくに貴君は願うなり
神にとって払いざる
類稀な善人でありたし、と!
なるほど結構 善良なり
しかし貴君が喚きたて 干渉とやらを払うとき
つながれし貴意を踏み捨つる それを貴君にできるのか
大木も貴君の言いしまま 地にありては天に届かぬ
空は広くに澄み渡り 端見えぬ砂漠もまだ及ばぬ
昼夜に光は割り込むなり 我らのみならず獣へまで
昼に炎は輝かざり 煙を吐いてただ揺れし
夜にハゲタカは飛ばざりけり
天蓋を彩る星々に あたかも見られまいとして
昼も夜も知らぬものなど 霊失いし屍のみ
洞穴や流砂の底の淵 酒樽や霞ならいざ知らず
その髄に籠りてむせぼうと 息継ぎも無しにいかに生きよう
もうお分かりだろう
世界は秩序と共にあり かくありてこそ命は営み
逃れようとした者つと よどむ地獄への岸辺へ着く
しゃれこうべがいかに見よう 知恵の眼球を宿さずに
天との離別を望む嘆きが どうして貴君を救いえよう
あまつさえ我ら徳を侍り 敬虔に神に服し続けり
変わりゆく不和の姿なり 輝かしめむ時の連なり
それら足掻きが贖いとなり 人神繋ぐタペストリ
肉と霊からなる彼の 契約も原罪をも輝かす
刈り獲られしかのイチジクは 傷者の手に握られる
愛と格言が帰天の手土産 どれほど豊かなことか知れない
試みが我らの前に及び 涙に打ちひしがれなんに
報われざりしからといって
忍耐の離さぬ本懐は すでに貴君の知るところ
天賜りしこの命に 清らかさをこそ保つこと
尚呪いが身に触れしとき 正義と知恵は拭いさる
否 ただ拭うにとどめざり 拭い去らねばならぬのである
そこで初めて知るだろう 我らが神から与えられし
自己を省みる結びは何か 祝福か?神罰か?
先んじてあり そは鏡、 ありし強力なる魔道具
己が姿をありのままに 光も影も返すのみ
金も瑪瑙もかなうまじ 水晶さえ凌ぐ美しさ
獣がその姿を見通すか 自らの声を目で読むか
神の光の内側に 涙に枕を濡らすだろうか
かくあるなら我ら人こそ 似姿である我らこそ
超存在を仰ぐべし 霊が霊のなるままに
また霊 外なる肉を統べ 手懐ける先に平和あり
家も穀庫ものみ市も その全てがELの手の中に…!
内省こそこの地を視ては 初めの窓と心得たり
またかくも信ずるは
宴を掲げど夜は過ぎゆ
わらべの調べる鏡のごとく
我が友ヨブのわきまえる 節制と正義の人徳を―――、
例えば私達が風となり、外で荒々しく吹き付けたところで、室内にて喚いて走り回る、元気溢れる腕白坊主どもを、どうして押さえつけることができるだろう。嵐が雨を降らせても、霰を浴びせかけても、かれらの母親が落とす雷にはかなわないのである。
適材適所。子供の育ちの責めは親にあるように、満足に従わせるのは適した命の出処であるべきであったのだ。
命から希望がほとばしるとき、その光を映しながら、適切に管理する鍵は、節制と正義の手綱に結われた自己観察にあるとビルダドは言った。
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