4. 彼らは速やかに略奪を始めた
宣告の通り、悪魔は彼の剣の切っ先を、あまりに軽々しくヨブに向けた。丸腰の羊飼い相手に躊躇する良心など、あいにく奴は持ち合わせていなかった。羊飼いの懐から牛頭が浮き上がる。これまでにしとめられ、積み重ねられた屍のうちの一頭が、おぞましい眼でこちらを見ているのだ。運命の悪戯は熾烈を極め、回る時計の針のように、鋭く素早くヨブを狙う。まるで文字盤を逆さまにしたように、彼の活力は打ち消された。
かつての彼は持つものであった。それは誰に聞いても、首を縦に振ったはずであった。「ヨブは成功者であるか?」あの日の牧場の脇にたむろする、幼年児童らさえも一様に答えたろう。「そうだね、彼は富を持つ。それは本物だ。」
彼の富の力は月の浮かぶ穏やかな海の如く満ち足りた。もし君がすべてをなげうって、この力に及ぶほどの実りを掌に握ったならどうだろうか。富の海は砂浜さえも覆い隠し、星降る夜空を反射する。石畳で舗装された堤の上から、指先で冷たい水をもてあそんでみたまえ。さざなみは熱を伴った君の指に触れて、妖精のように無邪気に踊る。たとえ君に指がなかろうと、透き通った波音と夜の潮風は、君の体温を覚えている。ココヤシがざわざわと凪に揺れる。悦に入るように佇むこの木々は、幾度かの嵐では倒れない頑丈さで、その枝には肩を寄せ合って鳥たちが憩う。この壮観なる大絶景がすべて、映写機で切り取りでもするように、君ひとりに所有されたいと歌っているのだ!
ほら、今、水面から名前も知らない魚が跳ねた。君にも見えただろうか?音くらいは聞こえたろう。水しぶきを月が照らすとき、その美しさは私たちを呑み込む。目が奪われ、心は没する。沖まで小舟で漕ぎ出してみてはいかがだろうか。きっと、さっき跳ねた魚を、また見つけることができる。遠すぎて目で追えなかったのなら、今度は近くで見ておくれ。あれほど元気に挨拶をしてくれたのだ、これを返さずに気が済むほど、不躾な育ち方をした君でもあるまい。
寄せては返す海のあぶくが、君たちをはやし立てる。
紳士・淑女よ 手の鳴る方へ
品位救えど 得難き王殿
祀る神威も 諫むる学士も
魅了する催しは 日没にご用意―
砂浜へ打ち鳴らされた軽快な破裂音が、この海を飾り立てる。なめらかな水平線は印にもならず、あちらが空でこちらが海か、星かヒトデかも知らぬ君は、白黒ツートンの御者の手を取り、湿った船底に力なく座り込む。思いのほか揺れて進む、素朴な小舟に腰を下ろして……
決して乗せられてはいけない。この頼りなき小舟に、巧みな口車に。水先案内人はもれなく死神の類なのだ。君を旅路に迷わせることなく、まっすぐに冥土へと送り届けようとする。人は満月の明るさを見ると、海の暗さが見えなくなる。こうして海をそぞろ歩く。月下の明るさを過信して、船を滑らせ、さ迷いながら犠牲を出す。
ここで断る男が、まさにヨブなのであった。
「いいや、海は自分のものになりはしない。まだこの海は、私によって所有されていないし、海もまた、私を所有しえない。人間という命が崇高でも、その個々をつぶさに見れば、一生のうちにできる事と、できない事とがそれぞれある。もっぱら家畜を束ねる私より、漁りを生業とする兄弟にこそ、神はこの海を預けられた、そう心に留めるべきではないか。自らの本分をはき違えてはいけない。この臆病な堅実さこそが、私の歩んできた天国への道なのだから。」
まことに彼は正しい。彼はわきまえていたのだ。彼は順境にある時、満ち足りていることを自覚していた。
「一度、満ちみちた海は、来た時と同じ勢いで引いてゆくばかりだ。乗客は遥か彼方へ、二度と戻れない沖へ閉じ込められる。帰り道を誰に尋ねるというのか。魚に聞いても答えまい。人が陸に住む生き物で、彼らと交わる言葉を持たないことが、本来の道理だからだ。月に聞いても答えまい。潮を操ることに忙しいからだ。」
ヨブはよくよく知っていた。
これらが知恵と分別だ。激しくもがくものは沈み、四肢を投げ出すものは浮き上がる。彼の眼は一生という海図を読む。神の理を映しながら、自らのいるべき役割を見通している。立ち込める海霧の絶景を、陸から口笛交じりに眺めるばかりだ。「Shalom-Chaverim、魚よ、潮風よ、また会おう。」
とにかくご覧のようにして、彼は富を積み上げた。子供たちは彼を囲った。
彼がいつ自らの不足を嘆いただろうか?いいや、豊かさに嫌われることを彼は口にしない。だから今まで誰も、この小さな無垢の体現者が、悪魔によって山車に乗せようと目論見られんことを、予期しえなかったのだ。
ところがどうだろう、悪魔の夜間遊泳は朝を知らぬ。船に乗ることを拒んでも、逆上した船頭が、波の中に彼を叩き落としたのだ。船頭の胸倉を掴んで凄もうとしても、今は彼は持たざる者。水面から魚のように、苔むした艀舟を見上げるばかり。そこに桟橋があるにも関わらず、かえしが付いていて這い上がることができない。まず彼の財産は霧散した。次に彼の団欒は崩壊した。そして恐ろしいアリアが口ずさまれた。肉の健康は硬直し、精神の健康は暗夜の小道へと大きく反れて跳ねおおせたのだ。
彼の肌は病に喰われ、頭から足の先に至るまでただれた。まるで大蛇の意思を持った投網が、彼を縛り上げたように、その皮膚には粗い痕が残った。悪魔が彼の命の灯をもたげたのだ。しかし、それでも命が尽きることはない。死神さえ悪魔に追い払われてしまったようだ。神と悪魔との巨大なる契約の、不殺生の範囲内において、痛覚そのものが脈を打つように、高熱はふいごを絞ったように、ヨブの潔癖な精神を圧迫し続けている。
ヨブの妻はあまりの病状に、彼から離れる最期の夜、彼に自殺を勧告した。闘病による疲れから、茫然自失のヨブは、それでも彼女の介錯を断った。
「いいや、まだだ!まだ私は神の為に生きていける!
神から預かりいただいた、人間として生きていく一生を、自ら捨てるようなことはしない。決してしない。神から幸福をいただいたのだ。試練さえもお与えいただく、味わい尽くしてやる。何かおかしなことがあるだろうか!
もしも、もしもこの試練の先に、私によって開かれるべき、天国への扉があると言うのなら、私は戦おう!戦うために生まれてきた……!そして戦いながら死んでいく。」
しかしそれが、現に叶わぬ無茶な強がりであることは、誰もが知るところであった。かつかつと踵を鳴らすように、絶えず鉄の秒針は歩いていた。彼の眼は虚ろに歪み、吐き出す声は衰えていった。そうして二日目までは、不屈の魂はくすぶり続けたが、三日目になるとついに火種はこと切れ、彼の心は折れたのであった。
彼は確かに戦った。しかし、戦い抜くことはできなかった。見よ、天使に無垢と噂された彼であっても、志半ばで倒れるまでに、「幸いなる国」迄の道のりは遠い。魂の登りゆく国への階段とは単調で永い。それも定規で直線に敷かれたものではなく、延々と続く螺旋の先ですら、私達はその所在へ辿りつくことのないものかもしれない。
クスクスクス……
神を信じぬ野の花は笑う、「神を信じる者とは心の弱い者だ」と。「正常なる状態が失われたために、超自然的な力にすがって、事態の改善を求め、おのれが本当に壊れないようにするためのシステムにすぎない」と。大方、自らがたかだか腹痛程度の苦痛に遭った時に、償いを諳んじてみせた経験か何かからだろう。
更に酷ければ、獣に成り下がった彼らはこう言う、「世俗における敗北者が走っていく先の襤褸小屋だ、その小屋から我々を再び操り、手繰り寄せ、現世に返り咲くための手段にすぎない」と。貴公にこそ言わねばならない、信教の自由と同じく認められる、「信じない自由」を行使した先に待つ、自らの自責を負いきれると誓ってみよ。どの様な神の子であっても、怒りから吐き出される言葉は軽い。しかし悲しみに裏打ちされた言葉は重い。ましてや親神の涙の重さはいかほどか?
よかろう、私の軽い言葉は脇に置かれるべきだ。すべての言葉がすべての例えに適うまい。こんなものは要旨ではないのだ。
信じざる兄弟よ、願わくは聞き給え。価値観のすべてがすべて、改変された文字盤の如く反転しているのだ。貴公の見てきた人間の中に、「神を信じる弱い人間」と呼んで、差し支えぬ人間もいただろう。しかし、「神を信じ続ける人間はやはり強い」のだと留めるべきなのだ。
私はここに書き記す。今あなたが指を差して侮る、邪教徒も、由緒正しい名前の信徒も、多くの者どもが人生の途中のどこかしらで、信仰という美徳を軽々しく放り投げる。信じざる者が苦境の中で、いよいよ神に頼むのと同じように、信じる言葉を持つ者は、どうしようもない苦境に臨んで、賢者の傘を捨てて、自らの足で勢いよく走り出し、いち早く巣に帰り着こうとする。自分が持つ腕と足を振ってやろうと、息を荒げて駆けていく。咎という名の泥が彼の足を滑らせるというのに。罪という名の雨が彼の体を濡らすというのに。
災いかな、災いかな。多すぎるのだ、罪深いヒトが。そのとき、思想概念はどんな顔をすると思うか。抽象物なのだから顔などない、小説特有の表現だと言うだろうか?そういうのはよしてくれ、この書をここまで読んでおきながら。
思想概念とは生きているのだ。その証拠に、歴史から忘れられた思想は、人類の手から離れ、〝独り歩き〟を始める。彼らはみな、誰か人間を救うために編み出されたはずであるのに。
捨てられた傘でも使うに足れば、拾う人間はいるだろう。運が良ければ正当性【Orthodoxia】の持ち主を捨てて、普遍性【Catholisism】の家に迎え入れられる。だが、後になってどれほど懐かしもうと、もう二度と古の傘立てに辿り着くことはできない。処理場にて燃やされるまで、振り払う願いの叶わぬものが、私たちによって解釈と呼ばれる、持ち主の名の刺繍なのである。だからこそ、誰かが「思想の独り歩きをさせるな」と叫ぶ。
誰からも忘れられた思想とは気の毒なものだ。例えるなら彼らは、優れた主人を失った使用人よりもみじめだ。もはや人間の内心に向き合う顔をしていない、ただの骨と布という形態に成り下がってしまった。仮にかろうじて、世界史の教科書や過去の経典が、その名前だけを覚えていたとしても、寸分の狂いなく蘇りはしないだろう。それが彼らの墓標となるのである。もし君にも、どこか感ずるものがあるなら、彼らの為に泣いてやってくれ。(他方で、未だ人伝いで残存し、継承の余地がある大きい思想とは、さぞ幸運だろう。存分にその力を発揮するがいい。望まれたる思想よ、どうか君たちの足に、雨となった私が口づけをせんことを。)
悪魔はついに、ヨブに忘れさせた。生まれてから死ぬまで、どれほど神を愛していたか、需めていたか、信じていたかを、忘れさせることに成功したのであった。後にこの一人の兄弟は、濡れた階段から滑り落ちるように、敗北を連ねることになる。
悪魔を取り逃がした天使たちは、神から与えられた翼に渾身の力を込め、それぞれたったの一晩で目的地へ到着した。ヨブが危機的状況の只中にいることを、彼の友人に伝えるのであった。
「「招集に応えよ。我らは三人の友人に告げ知らす。ヨブの善意はいま危機的状況にある。諸君らが胸を張って、彼の友人であると主張するのであれば、羊飼いの元へ行き、彼の心に慰めを与えよ。」」
眼には涙が滲んだ。勇猛な天使でも泣く。主なる神から与えられた、生物の中で最も進化した器官である涙腺を惜しみなく使うのである。
友人エリファズは死海から見て南南東の地のテマン出身だった。彼は砂漠生まれにしては珍しく、耕作農家という職業を営んだ。彼はシナイ半島の地中海側に畑を買い、収穫を終えると内陸に向かって行商旅をし、主に穀類を売り歩いた。小麦、大麦などを主だった品に選んだのは、まだ豆や野菜の栽培は、とても一般的とは言えない時代だったからだ。
砂漠気候で農業などできるだろうか?先述の地中海周辺では、ある程度の雨は降る。その意味でこの町は「街」であり、人間の付けいる隙もない灼熱の砂漠とは一線を画すと言ってよい。年に四〇〇ミリくらいは降るだろうか。これはもちろん、アジアの東の島嶼ほど雨が降る訳ではない。東京の四分の一以下だろう。それのみならず、夏に長く降らない日が続けば、深刻な水不足に襲われる。また、海が近いといっても、塩水が農業に使えないことは無論だ。野菜に海水などを与えようものなら、漬物になる前に植物の苗株は倒れるだろう。そして畑そのものが不毛の土地となり、ここにひとつ新しい砂漠のできあがり、という訳である。
加えて言えば、この地で真水は金銀珊瑚に匹敵する。真水の供給が少ないがゆえに、その割合の多くを、人間も家畜も飲料水としての使用にせんと躍起になることは、誰の想像にも難くないだろう。そのような渇きの地で、農業で生計を立てようとするエリファズは、行く先でときに争いの種にもなる。だが、穀類を食わずに生きる者など一人もおらず、真水を何に使うかを巡る対立は、ことさら意義を持たなかったことだろう。もし真水の生産物を、町の外に売りにいかなければの話だが。
死海の湖畔南部はもとからそれほど人口が多いわけではない。燦然と照り付ける太陽の下、往来でまばらな通行人を見かけるほかには、数頭のラクダくらいなものだ。過酷ではあるが、静かで品のある僻地だ。だから人々が群がってきて「その麦を売ってくれ!これほど払う!」「いいや、俺に売ってくれ!見ろ、こんなに金が!」などと、金ののべ棒を片手に落札競争をすることはない。
だから、「彼が町の外の砂漠へ売りに歩くのは、簡単に丸儲けができるからだ」などと、おのぼりの商売敵こそ陰湿な陰口を繰り返したが、それは全くのまやかしでしかなかった。彼が知らぬ顔で郊外に出ていくことは、中央部の騒がしい市場やドヤ街にいることが、ただ性に合わないという、エリファズ自身の嗜好からであった。
エリファズは批判に屈せず黙々と働いた。彼はひとたび畑に種籾をまけば、毎日毎日井戸や川から水を汲み、ひねもす働きに働いた。桶を満たす水を天秤棒にして担ぎ、一日に自分の畑へと水を灌ぐ。そうして大麦小麦を採り、または雇い人に収穫させ、蔵に入れる。だが彼にとって作物の世話は、ほんの部分的な事柄にすぎない。彼は育てながら、自ら売るために旅をするのだから、その起きている時間の多くを、畑ではなく砂漠で生きていることになる。
そこは渇きが支配するネゲヴ砂漠。アネクメーネの代表地。ヨルダンを東西へ渡る隊商があれば、穀類を積みこんだ馬にまたがり、自ら商いの交渉に赴く。時には遊牧民を相手にだって商売をする。彼は商いの中で、宝石や金や奴隷などの資産を持ちながら、一切れのパンにもありつけない人々を少なからず見たのだ。だから、彼はまず「富みながらに飢える」彼らに、その日の糧を売り込んだのであった。
またそれでいて、彼は眼と鼻の先にある出自の集落に帰ることはなかった。彼は故郷に良い思いがないのだ。幼少に付き合いのあった周りの大人は、渇きに喘ぐことをしない。雨を欲する旅人を「贅沢な輩だ、すぐに飲み水を欲する」と鼻で笑いながら、じわじわと人が離れ、廃れゆく様子を見ていた。同じ人間として創られながら、渇きに強いも弱いもあるか。彼らは水を、豊かさを、求めている自分に無自覚で、そのくせ需要者を弱いと笑うのであった。
年を経ていざ見れば、その滑稽さが随分辛く感じられる。故郷を出てから「地元の異常な過疎具合」に気付くと言うのは、時代の上り下りに関わらない。すぐに立ち行かなくなるのは確実な、未来も見えぬ有様なのだが、当人達は気楽に何となく構えていて、乾ききった笑いを隠しもしない。無神経な者は見ている我々の胸が痛む。
自らの妻子の住んでいる、豊かな井戸の都市の様子を、あの砂漠の光景に重ねることもあった。水資源を巡る考え方は、豊富に地下水が生まれる地に住まう人々の方が、甘くなりがちなものだ。それが自然だ。エリファズ本人は砂漠の出だから、本当は街生まれのどんな耕作人よりも、水の管理に厳しく、几帳面だった。
とは言え若いころに比べると、エリファズ自身はやはり、自分が徐々に甘くなることを痛感せずにはいられなかった。過去には遠く貴重なものだった、真水という資源が、現在ではぐっと身近なものになってしまった。
「すぐに水を欲するなど、贅沢な奴だ、慎め。」と、そこにいないはずの声が投げかけられる。起きれば傍らに馬と売り物の野菜だ。葛藤することもあるだろう。気が狂う夜もあるだろう。俯いて奥歯を鳴らすとき、彼がどんな顔をしているのかは、地中海の村人はもちろん、彼の使用人も奴隷も、家族さえ見たことがなかったのかもしれない。
それでも、出張先のオアシスに移り住む人々は別で、彼が月の光の下で肩を震わせても、遠くから彼の弱い背中を励ましていた。彼らの多くは旅人としての経験があり、水の貴重さ、食糧の貴重さ、そのどちらもよく分かっていたから、この顔馴染みの穀物商を好意的に迎えた。自生する木の実で飢えをしのぐ中で、栽培のための知識を持っているわけではなかったが、やって来た旅人には、水も果実も快く振舞った。そして、物々交換で穀類の分け前に預かるときもまた遠慮はしない。
政情は決まって不安定で、外敵に狙われる恐れは常にあり続けたが、逆らう力などありはしない。この地そのものが、砂漠を渡る者にとっても、攻め込む者にとっても、命を継続するのに重要な拠点だったから、思いのほか暴力的な企てに巻き込まれることはないのであった。ひとたび火の粉が舞えばたちまち燃え尽きて消える、おがくずのような天国でも、人々の息遣いが止むことはない。いつだってこの灼熱の中を、歩いてゆく人々の内で、孤独でない人間なんていやしないのだが、束の間の心細い平和は、ここにいる誰にでも共有されている。刹那的な運命論者たちが寂しげに微笑む。この不思議な寂しさに浴したいなら、君たちも訪ねてみると良い。今日もまた命があり、砂丘から昇る朝日を迎えることができたなら、文字に表すのみが感動の伝達手段でないことが分かることだろうから。
いよいよ農夫たちが、いや王族からラクダに至るまでが待ち望んだ、雨を呼び込む冬の季節、パレスチナ地方の雨季である。エリファズは自宅のうす暗い小屋の中で、籾を脱穀するための
だが良いことばかりでもない。小屋の中にいると、外が夜になっても気付かず、「明かりに使うヤニ剤がもったいないから、早く終えてしまいなさい」と、妻から怒られるのが一日の締めくくりになるだろう。
そんなありふれた日のひと時に、エリファズはふと宙を見上げた。最初は虫の類かと思ったが、小さな光が人魂のようにぼうっ、と光っている。初めは疲れから、虫を幻惑で飾っているのかとも思ったが、サソリが入ってこないように、戸口には蚊帳をかけていたはずだ。それに球は確かに明るく、光を発していたので、自分の眼がちかちかと星をまわしているのではない。だから現れたことに軽く驚きはしたが、その光球が話し始める前から、それが超自然の存在であることは、なんとなく考えが及び、威厳に満ちた声が聞こえても、いくぶんか円滑に受け入れることができた。
「「エリファズよ、手を休めて話を聞きなさい。」」
「…あなたは、誰ですか。天の使いか…?」
只の光の球だったものが、一瞬強く光った。たちまち天と地を繋ぐ垂れ幕のように伸びた光となり、そこに天使が降臨した。山羊の前に現れたときとは異なり、肉が空間に存在する訳ではない。光は発するがままに任され、霊の顔がエリファズを見下ろした。
「「エリファズよ、お前は聞いているか、お前の無垢なる友人、ウツのヨブの境遇を。耳に挟んでいるなら、ここにじっと籠っているお前ではないはずだ。すぐにウツの地へ向かえ。」」
「天使様……!ヨブが災難な目に遭ったことは、風の噂に聞いておりました。ですが私は今日も明日も仕事です。元から必ず見舞に行こうと、心に決めてはおりましたが、すぐには行くことはできません。いったいそれほどまで彼は逼迫しているのですか。」
「「ああ、手の汚れた悪魔に唆された。悪魔が舌なめずりをしたせいで、ヨブはただ財産を失うだけでは済まなかった。彼は病身なのだ。」」
「ああまさか、そんなヨブが。」
エリファズは考え込んだ。彼はまじめで、神にいと近き人間であったはずだ。悪魔を跳ね返せるのではないかとさえ思うほど、正義の人であった彼が、そんな事態に遭うだろうか。天使は答えて言った。
「「優れた人格をもっていた、それが故に狙い撃ちされたのだ。」」
「必ず行きますから、明日の、若い衆たちが仕事をする準備をさせてくれないか。私は上に立つモンなんだから……」
「「ならぬ。」」
「ではせめて、今の道具がひと段落するまで待ってくれ。」
腰が重いエリファズは、やすりがけの出来上がった箕の持ち手を軽く拭くと、小道具を巾着に入れて、鍬を横一列に吊るしている梁に並べてひっかけた。
彼は急いで旅用の荷物をまとめるために母屋へ戻った。妻はこの珍事に何事かと目を丸くしたが、エリファズは元から、安息日を除けば働き尽くしであったこともあり、むしろ羽を伸ばすように言っていたのは妻の方だったので、「畑仕事が生育から収穫に切り替わる前に戻ってこなければ、現場の兄さん方に指示できませんからね」、とだけ忠告すると、しつこく食い下がることもなく彼の馬を見送った。
エリファズが街はずれまで来ると、寒い風が追い風となって、彼の背を押した。時刻はもう夕方だったが、勇んで男は砂漠へ出た。勇まなければ暗闇が砂漠にもたれかかり、凍えてしまうにちがいないのだ。
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