第26話 疑問

 魔族領ジュデッカから後方の森を抜けた野営地。

 敗走した魔王軍の残存兵力と避難民で溢れかえっている人混みの中に、アベルの見知った顔があった。

 それは、常にアベルに付き従う専属メイド。


 ローラ!

 何故ここに居る……

 工業都市ゲヘナの自宅に待機しているよう命じたはずなのに……


 アベルは目を疑ったが、確かに我が家の淫らなメイドである。

 近付いて行き声をかける。


「ローラ!」


「あっ、アベル様! 良かった。やっと再会出来ました」

 ローラが近寄って来る。


「何故こんな危険な場所に! ゲヘナで待機しているよう命じたはずだ。ここは戦場だ……一歩間違えば……」


 ジュデッカは陥落したのだ。

 戦闘に巻き込まれていたら、人族の新型兵器で死んでいたかもしれない。


「アベル様……申し訳ございません。平和条約など絶対罠だと思い、アベル様を助けようと追いかけて来たのです。調印式の行われるグレストからだと、ジュデッカに寄ると予想しまして」


「ローラ……何を言っているんだ」


 何故、罠だと見抜いているんだ……

 ローラは、ただのメイドのはずなのに……


「だって、人族が魔族と条約なんかを結ぶ訳がないじゃないですか。人族同士でも条約なんて守らない国が多いのに」


「ローラ……」


 何で人族の条約の事情まで……

 まさか……

 いや、そんな訳は無い!

 ローラは生まれも育ちもアスモデウス伯爵家の領地だ。


 まるで人間の歴史や事情を知っているような……

 そんなのは俺くらいだと思っていたが……

 メフィストフェレスのように頭の回転が速いヤツならまだしも、まるでローラは最初から知っていたようではないか……


「このように人族の侵攻が早いのは予想外でしたが、優秀なアベル様なら人族の罠に気付いていて、きっと帝国から脱出してジュデッカに来ると信じていたからです」


 何だ……

 何か違和感が……

 俺は何かを見落としているのか……

 それが何なのかは分からないが、ローラには何か秘密がある気がする……

 だが……

 悪意は無いはずだ。

 俺は、子供の頃からずっとローラを見てきたのだ。

 今は余計な事を考えず、無事に王都まで戻る事に専念せねば。


「そうか……だが危険だ。俺も罠だと気付いていたからこそ、キミをゲヘナに残してきたというのに」


「私はアベル様の専属メイドです。何処へでも付いて行くのが仕事ですから」


 色々と疑問が残るが、このメイドは主の命令を全く聞かないし、前からこんな性格だった気がして諦める事にした。


「それで、こちらの方が……」

 ローラがサタナキアの方を向く。


 帽子を深くかぶって顔を隠しているが、傍目でも落ち込んでいるのが見て取れる。

 メイドにまでダメだしされて、更に自己嫌悪に陥っているようだ。


「こちらがサタナキア様だ。今はお忍び故、周囲にバレないようにせよ」

「はい」


 ローラは、魔王に対する平伏ではなく、メイドの儀礼カーテシーをし小声で挨拶をした。

「魔王陛下、私は専属メイドのローラ=ウアルと申します。このような簡単な挨拶で申し訳ございません」


「うむ、今は緊急時じゃ。そのままで良い」


 サタナキアは落ち込む気持ちをギリギリ奮い立たせると、何とか魔王の威厳っぽい体裁だけ整えた。




 三人になった一行は、車に戻り今後の対策を議論する。

 何とかして王都に戻るルートを確保しなければならない。


「先ずは燃料を手に入れ、行けるところまで行くしかない。そして、途中で鉄道が生きていれば列車に乗り換えて一気に戻ろう」


 この絶望的な戦局を覆すには、ゲヘナに隠してある爆撃機を使って、ドレスガルド帝国軍に大打撃を与えるしかない。

 その為には、魔王を王都まで送り届け、サタナキアに俺の階級を上げさせてある程度の決定権を持たせるように仕向けるしかない。

 人族がゲヘナまで侵攻して施設を破壊されるより前に、全てを滞りなく完遂させねば。



「アベル様、このような時の為に水や食料を確保していたのですが、ジュデッカに敵が侵攻してきた混乱で全て失ってしまいました。申し訳ございません」


「いや、それはよい。この混乱だ、仕方がない。命を最優先すべきだ」



 後は、ガルヴァーニ大佐が何処からか掻き集めてくる燃料で、早くこの場を脱出せねば。

 ジュデッカに侵攻した人族が、更に勢力を伸ばしてくるやもしれぬからな。


 ――――――――




 ジュデッカ――――


 ドレスガルド帝国軍第12軍

 マグダレス大将は溜め息を吐いた。


「ふぅ……これでは補給がままならないではないか」


 辺り一面焼け野原になっている。

 ナパーム弾により建物も魔族も焼き尽くされ、まるで全てが灰塵に帰したようだ。

 黒焦げになった魔族の死体がいくつも転がっていて、見るも無残な光景が広がっている。


「はっ、魔族は殲滅せよとの総司令官殿からの命令でして」

 脇に控えている側近が答える。


「魔族は殲滅は分かるが、この先は敵地の奥へと進行して行くのだ。このまま補給を疎かにしていては、戦線が伸び切って背後を突かれ補給が絶たれたら、逆にこちらが敵地奥で孤立し殲滅される愚を犯すやもしれぬのだぞ!」


「は、はあ……」


「それに、こんなに弾薬を使いまくっていては、敵王都まで侵攻した時に玉切れなどと言う事になりかねん」


 魔族は知能が劣っているという俗説を信じ切っている風潮があるドレスガルドで、マグダレスは少し異を唱えていた。

 敵を舐めていては手痛いしっぺ返しを受けるかもしれないのだ。

 実際に城塞都市アケロンでは、魔族の頭脳戦により城を奪われるという恥を晒している。

 魔族の中にもアケロン攻防戦の時の指揮官のような、恐ろしく狡猾で頭の切れる者がいるのだから。


 現状の圧倒的物量により完全勝利を治め、気が緩み切っている自軍の驕りを心配していた。

 そして、その心配が、後に現実となって壊滅的な大打撃を受けるとは、この時の誰もが知らなかった。




 アケロン――――


 国境沿いの街が次々と陥落する中、ここアケロンだけはギリギリで持ちこたえていた。

 城塞都市となっていて攻め難い形状の上、先の戦いで持ちこんだ榴弾砲を駆使して敵の猛攻を防いでいた。


 駐留軍としてアケロンに残っていたセーレ少将とキマリス少将は、戦車の前身とも呼べる戦闘装甲車両を率いたドレスガルド帝国第5装甲軍を先頭に、第18軍、第19軍、第20軍の猛攻撃を受けている。


「これは負けたな……」


 キマリスが自嘲気味に呟く。

 作戦指揮をしているアケロン城から、彼我戦力差約8倍という地表を埋め尽くす程の敵の大軍を眺め、絶望的な気分になっていた。


「司令官が弱気でどうするのだ」

 横に立つセーレが答える。


「どうもこうも事実だ。この状況を逆転出来る者がいたなら教えて欲しいくらいだ」


 頼みの綱の榴弾砲も弾薬が尽き、もう戦局を覆すことなど不可能に見える。


「あの男なら……アスモデウス少尉……いや今は中佐だったか。あの男ならば、この最悪の戦局を逆転する事が出来るのだろうか……?」


 セーレが呟く。

 もう一度、あの奪還作戦のようなミラクルを見せてくれるのかと。



 次々と魔族の街は陥落し絶望的な空気が支配する。

 地獄のような光景に希望を失い逃げ惑う者達。

 最悪の状況の中、アベルを待ち受けるものとは――――


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