第23話 葛藤

 ナイフを持つアベルの手が震える。

 小さな子供の喉元に突きつけたナイフの切っ先が上下に揺れ、士官学校で剣術や体術の成績がトップだったとは思えないほどに頼りない。

 戦場を経験し人を殺す事に躊躇ちゅうちょは無くなったはずのアベルだったが、さすがに小さな子供を殺す事には葛藤が生まれる。


 どうすれば……

 騒がれたら不味い……

 やるなら一思いに……

 だが……俺が、こんな小さな子供を……

 ダメだ、思考が堂々巡りで迷路に入ってしまったように同じ事を繰り返している!


「おい、アベル! やめよ!」


 サタナキアが割り込んできた。

 アベルの手を押えて、ナイフを下げさせようとする。


「こんな小さな子に乱暴はいかん。ワシが何とかしよう」


 サタナキアは懐から菓子を出すと、手のひらに乗せて子供に差し出した。


「ほら、お菓子をあげるのじゃ。これを食べて、少しだけ静かにしておくれなのじゃ」


 子供は、その菓子をジッと見つめると――――

 バシッ、グシャ!

 床に投げつけ土足で踏み潰した。


「おねえちゃん達は魔族でしょ! 瞳の色や形でわかるよ。魔族は悪くて汚い家畜以下の奴らだから、ぜったいに信用しちゃダメだって学校の先生に教わったんだ!」

「えっ、ううっ……」


 サタナキアは予想だにしない子供の言動に、呆然と立ち尽くしている。

 彼女にとって幼い子供とは、もっと純粋で従順な存在だと思っていた。

 だが、その考えは間違ってはいない。

 目の前の子供が純粋で従順だからこそ、大人の教えに素直に従い魔族は唾棄すべき敵だと信じているのだから。


催眠ヒプノス!」

 突然、アベルが魔法を放つと、子供は床に崩れ落ちた。


「お、おい!」

「大丈夫、眠らせただけです。陛下が子供の気を惹いていたいたお陰です」


 サタナキアは、まだ茫然としてままだ。


「陛下、これで分かりましたか? 人族は、こんな小さな子供の頃から徹底的に反魔族教育をして洗脳しているのです。人族との話し合いなど無駄なのですよ」

「う、ううっ、じゃが……」


 サタナキアは何か言いたそうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。


 アベルは家の中を物色し、サタナキアに合いそうな服を見つけると、それを彼女に渡した。

「それに着替えて下さい。なるべく目立たない恰好にならないと。あと、この帽子を深くかぶって。さっきみたいに魔族の特徴がバレると危険です」

「あ、ああ……」


 アベルも適当な服に着替えると、引き出しを物色し奥から金銭を見つけると、それをポケットに押し込んだ。

「さあ、行きましょう」

 押し入った家を後にして、車を隠してある場所に向かう。





「待って下さい」

 アベルがサタナキアを引き留め、自分の後ろに隠す。

 壁の陰から車を隠してある辺りをうかがうと、二人の帝国軍兵士がウロウロしているのが見えた。


「やはり……」

「ど、どうしたのじゃ?」

「敵兵がいます。奴ら、もう追いついて来たのか……」


 不味いな……

 帝国軍兵士が二人……

 周囲に他の兵士の気配は無いように感じる。



 その時、大通りの方から凄い歓声が聞こえてきた。

「「「ウオォォォォォォォォォーッ!!」」」


 国境を越え魔族領へと進軍して行くドレスガルド帝国軍を、市民が大歓声を上げて送っているのだろう。

 歴史上稀に見る空前絶後の大侵攻作戦に、帝国の国民も熱狂的になっていると思われる。

 人々が、そちらに出払っている為に、裏通りは人が居らず閑散としており、アベル達が目立たずに動けるのだが。



 よし、今なら!


 アベルは魔力を集中し、魔法術式発動の体制に入る。

 大通りの方で大歓声や拍手が起こった事で、こちらの物音や悲鳴を隠すのに好都合だ。


雷撃閃光ギルライトネス!」

 ズバッ、ズバッ――――――――!


 アベルの放った電撃は、一瞬で敵兵の頭を撃ち抜き、兵士はビクッと体を痙攣させてから倒れ動かなくなった。


「よし! やった!」

「お、おい……アベル……こ、殺したのか」


 アベルの予想通り、サタナキアが文句を言う。

 戦場を知らない彼女にとって、目の前で人が死ぬのはショックなのだろう。

 無理もない話だ。

 アベルでさえ初陣の時は、目の前で銃弾を受けバタバタと倒れて行く双方の兵士を見て、動揺で足が震えるのを隠すのがやっとだったくらいなのだ。


「陛下、これは戦争です。やらなければ、我々が殺されていたしょう。王都に戻るまでは我慢して下さい」

「ううっ、わ、分かってはおるのじゃが……」


 敵兵の死体を物陰に隠し銃と身分証を取ると、サタナキアを促し車に乗せる。

 エンジンをかけて給油所へと向かった。


 他の兵士に給油所が見張られているかもしれない……

 俺が帝国軍だったら、敵は必ず給油すると読んでそうするだろう……

 だが、奴らは魔族を知能の低い獣のように見ている。

 俺達を甘く見て、そこまで手を回していないかもしれない。

 これは賭けのようなものだな……

 どのみち徒歩で国境を越えるのは至難の業だ。

 行くしかない!




 給油所に入ると、作業員の男性がいぶかしむ顔をした。

 敵兵の姿は無いように見えるが、まだあまり普及していない車に若い男女が乗っているのを不自然に感じた男性が、ジロジロと二人と車とを見比べている。


 アベルは帽子を深々とかぶり直し、「ガソリンを満タンで」と告げた。


「あんた達、車なんかで何処に行くんだ……? こんなのに乗ってるのは軍関係者くらい……」


 きたっ!

 大丈夫だ、問題無い!

 俺のドレスガルド語は完璧だ。

 士官学校の必修項目で、俺は主席だからな。


 アベルは先程奪った帝国兵の身分証をチラッと見せた。

「この度の大侵攻作戦と併せて軍の特命により、我らは魔族領への偵察任務を帯びているのだ。目立つわけにはいかぬ故、可及的速やかに給油せよ!」

「へ、へい。こ、これは、軍の方々だとは露知らず、申し訳ないです」

「この件は国家の機密に係わる事、機密漏洩罪に問われる案件だ。くれぐれも他言無用だぞ」

「はい、分かりました」


 男性は黙々と給油し、アベルから金を受け取ると恭しく頭を下げた。




 アベル達は、再び車を走らせて裏街道をひた走っている。

 メインルートは帝国の大軍が進行中であり、それを避けて裏ルートで進むしかない。

 後ろから追いついて来る敵を振り切り、国境ゲート付近にいる警備隊を切り抜ければ、後は魔族の支配する魔族領

 ただ、国境を越え魔族領に入ったとしても、帝国との戦闘中になっている可能性が高く、王都まで戻るのは並大抵のことではないだろう。



「陛下、後は何とか国境を越えれば我らの魔族領です」

「おおっ、でかしたのじゃ。じゃが……近衛も官僚もワシのせいで……」


 サタナキアが俯く。

 自分の行いのより、多くの者の命が失われたと。

 そして、大規模な戦闘により、多くの同胞が犠牲になるのだと。


 だが、まだ二人は知らなかった。

 この先で二人は、阿鼻叫喚の地獄絵図を目撃する事になるのだと――――


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