第22話 逃走

 水冷直列四気筒サイドバルブエンジンが唸る。

 内燃機関から発生したパワーはプロペラシャフトにより後輪に伝わり、細くて頼りないタイヤを回転させる。

 フロントウインドウも無い幌が付いただけの車体から、もろに風を受けて無我夢中で走りだす。

 後方で聞こえる怒号や銃声を置き去りにし、一心不乱にアクセルを開き続けた。



 ブロロロロロロロロロロロ――――

 ガタンガタンガタンガタンガタン!


 元の世界の高性能な車とは大違いの、乗り心地も最悪なクラシックカーのような車体。

 ハンドルも重く、スピードも遅く、独特の慣れない操作で手間取ってしまう。

 元の世界に持って帰れたのなら、たぶん骨董品のような価値がつくのかもしれないが。


 くそっ!

 アクセルの位置が違う!

 クラシックカーに詳しい俺だが、この世界の車は少し構造が違うのか!


 最初の魔法攻撃で出し抜いて距離を広げたが、すぐに追いついてくるはずだ。

 少しでも遠くに逃げて差を広げておかないと。



「お、おい、アベル……他の者達は……」


 呆然としたまま助手席で固まっていたサタナキアが口を開いた。

 予想外の事態が連発して、まだ思考が追い付いていないように見える。


「陛下! 今は、ご自身が逃げる事だけをお考え下さい!」

「じゃ、じゃが……近衛が……官僚の者達が……」

「もう殺されているはずです! 諦めましょう」

「そ、そんな……助けに行かないと……」

「誰のせいでこのような事態になったと思っておられるのです! 陛下は魔族一億の者達に対する責任がおありなのですよ! 何が何でも王都デスザガートに戻ってもらいます!」

「う、ううっ……すまぬ……」


 サタナキアがシュンとしてしまう。

 良かれとしてやった事が、全て脆く崩れ去ってしまったのだ。

 アベルも、少し強く言い過ぎたのかもしれないが、とにかく今は一刻の猶予も無く我儘を聞いている場合ではないのだ。


「陛下、このまま国境まで走り続けます。落ちないように掴まっていて下さい」

「あ、ああ……」


 二人を乗せた車は、土煙を上げながらひたすら魔王領へと突き進んで行った。




 調印式が行われるはずだったホテル前に残されたバーグが地団駄を踏みながら檄を飛ばす。


「早く追わぬか! 絶対に逃がすな! 早くせよ!」

「はっ!」


 部下が急いで車に乗り込み、続けざまにアベル達の後を追って発進する。

 ブロロロロロロロ!

 ガタガタッ、ブロロロロロロ!


「よし、ファーカー司令長官に報告して、掃討作戦の開始だ! 少し予定は狂ったが、今なら魔王もおらず指揮系統も混乱し武装解除までしておる。まるで赤子の手をひねるように魔族どもを駆逐できるぞ! ふあっはっはっはっ!」


 ドレスガルド帝国による、史上類を見ないほど大規模な魔属領への掃討作戦が開始された。

 首都防衛とアメリア共和国との国境に残してある軍を除く、大部分を魔族領との国境へと移動させていた。


 魔族領西側の広大な平野から――――


 ディーテに向け

 第1装甲軍

 第6軍

 第7軍

 第8軍


 リンボに向け

 第2装甲軍

 第9軍

 第10軍

 第11軍


 ジュデッカに向け

 第3装甲軍

 第12軍

 第13軍

 第14軍


 トロメーアに向け

 第4装甲軍

 第15軍

 第16軍

 第17軍


 魔族領東側から――――


 アケロンに向け

 第5装甲軍

 第18軍

 第19軍

 第20軍


 ギリウスに向け

 第6装甲軍

 第21軍

 第22軍

 第25軍


 歩兵支援用装甲車を実践投入した装甲軍も含め、総勢96万もの大軍を送り込んでいるのだ。

 武装解除した魔族には対抗出来る手段がなく、無防備無抵抗のまま一方的に攻撃されるだけである。




 アベル達を乗せた車は国境付近の人族の街ムスベルに入ったところで、とんでもない事態に気付く事になる。

 車の燃料が切れかかり、目立たないように路地裏に隠していると、大規模な軍隊が魔王領へ向け進軍しているのを見てしまう。


「なんだあれは! 凄い大軍じゃないか……10万……いや、それ以上か……」

 まさか……あんな大軍で……

 いや、待てよ……もし、この規模で他の街にも同時侵攻するのだとしたら……

 ドレスガルドは、とんでもない物量を投入して一気に魔族を駆逐するつもりなのでは……


「あ、アベルよ……どうするのじゃ……」

 サタナキアが不安そうな顔で見つめてくる。


「陛下、燃料を手に入れて車で国境を越えようと思いましたが、このままだと敵軍と鉢合わせしてしまいます。少し様子を見てからにしましょう」

「お、おう……そなたに任せるのじゃ」


 マズいな……

 こんな所でグズグズしている内に、敵に侵略され戻った頃には国が無くなっている事にもなりかねんぞ!

 早く国境を越えねば……

 どうにかして燃料を手に入れ、その為にはこの国の金が必要か……

 先ずは目立たないように人族の服を手に入れ変装しなければならないな……


「取り敢えず服を手に入れ変装しましょう」

「ど、どうするのじゃ……」

「盗むしかないでしょう」

「それは……」

「今は非常事態なのです。陛下は不本意かもしれませんが、少しの間だけ目をつぶって下さい」

「…………わ、分かったのじゃ」


 サタナキアは少し逡巡したが、結局はアベルの意見を受け入れた。




 アベルは路地を目立たないように歩きつつ、人気ひとけのなさそうな家を探す。

 そして、静まり返った家を選んでドアの鍵穴に魔力を込め局所的な魔法を発動させる。


極小破壊断ミノブレイズ!」

 カシャ!

 鍵の内部を局所的に破壊してドアを開ける。

 ドアを開け中を確認すると、素早く室内に侵入した。



 ガサッ、ガサッ!

 すぐに室内を物色する。


「陛下は入り口を見張っていて下さい。誰か近付いて来たら、すぐに知らせるように」

「わ、分かったのじゃ」


 ガタッ!

 その時、入り口とは反対側の家の奥から物音が聞こえた。

 アベルは瞬時に反応し、懐に隠してあったナイフを取り出すと、奥から現れた人物に突きつけた。


 なっ、子供――

「動くな! 声を出したら殺す!」

「うっ……あうっ……」


 家の奥から現れたのは小さな子供だった。

 一人で留守番でもしていたのだろうか。

 奥の部屋で寝ていたところを、物音で起こされたのかもしれない。


「お、おい、アベル! まだ小さな子供じゃないか……」

 相手が幼い子供だと知り、サタナキアが動揺する。


「陛下……たとえ小さな子供であっても、もし邪魔をするというのなら……」


 くそっ!

 ここで騒がれて見つかるわけにはいかないのだ!

 子供であっても容赦するわけには……

 くっ、人類滅亡させると誓ったはずなのに、どうして俺は迷っているんだ……


 俺は、子供の頃から……人に迷惑をかけないように、人に優しくするように、人に親切にするように……

 そうやって俺は生きてきた……

 その結果はどうだ!

 裏切られ、踏みにじられ、尊厳さえも傷つけられてきたんだ!

 人間の中には、どうしようもないクズが存在しているんだ!

 ヤツらは決して反省も更生もしない!

 弱い立場の人を、優しい人を、真面目な人を、食い物にして搾取し踏みにじって楽しんでいるだけなんだ!


 俺は前世で死ぬ直前に祈った!

 もし生まれ変わったのなら、人類の敵になって、そして人類滅亡させると!

 そして俺は悪魔に転生したんだっ!

 これは啓示だ!


 それなのに、どうして迷う!

 くっそぉぉぉぉぉぉ!



 魔族領へと迫る帝国の大軍、周囲全てが敵の街で生き残るには非情な決断をせねばならない。

 幼い子供を見て迷いが生じたアベルに危機的状況を切り抜ける道はあるのか――――


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