第21話 調印

 ドレスガルド帝国政府より平和条約調印式への出席を強く要望されていた魔王サタナキアは出席を承諾し、その旨を帝国側へと伝え魔王自らが出席という異例の事態となる。

 帝国側はバーク国務大臣を特命全権代表として全権団のリストを提出しており、これにより両国の講和会議及び調印式の開催が決定した。

 アベルも、魔王経っての要望で魔族側の代表団リストに入り、魔王を補佐する役割となっていた。

 そして、両国の平和条約調印式が国境帝国側のグレストで執り行われる事となった。




 不味いな……


 アベルは心の中で呟いた。

 魔族側代表団は帝国の車両に先導され国境を超えた。

 国境より帝国側の街に入り、魔族代表団は完全に孤立状態だ。

 もし何かあった場合は、少数の護衛のみで難局を乗り切らなければならない。


 これでは自ら敵の術中に嵌りに行ったようなものだ。

 本来なら無理にでもサタナキアを止めたいところだったが、魔王の権限は絶対な上に逆らえば大逆罪たいぎゃくざいにされかねん。

 まさか、サタナキアが俺を大逆罪にするとは思えないが、それだけ魔族にとって魔王の命令は絶対なのだ。


 全て人族側のシナリオ通りになっているようだ……

 人族の考え得る戦法といえば、このまま魔王を人質に捕り大軍を以て魔王領へ総攻撃を仕掛け、武装解除し指揮系統を失った魔族に対し、一気に大攻勢を仕掛ける事だろう。

 このままでは魔族自体が滅ぼされかねんぞ。


 くそっ!

 とにかく、今は少しでもこの最悪の状況から脱出する事を考えなければ。

 いざとなれば魔王サタナキアだけを連れて、魔族領まで戻る事を優先するべきだろう。

 同行している官僚や近衛軍兵士には悪いが……

 サタナキアだけは連れて行かなければ、魔王軍は統帥権を失って大混乱なまま敗北を喫するのは確実だ。

 それには……


 平和会議の会場となるホテルに到着したアベルは、周囲を見回して各兵士や装備の配置や車の状況などを確認する。

 使える物は何でも使わなければならない。


 あの車……

 確かセルフスターターが付いていたはずだ。

 先導車を動かす時に確認したからな。

 エンジンも意外と確りしているように見える。

 元の世界の欧米で1900年代初頭に自動車レースが行われたくらいの技術はありそうだ。


 セルフスターターとは、現代の車のようにセルボタンを押して簡単にエンジンがかかる構造のものである。

 それ以前の車では重たいクランクハンドルを回してエンジンを始動させねばならず、発進までに時間も労力もかかるのだ。


 ふっ、人間共め……

 魔族に自動車が作れないと思って、これ見よがしに自慢する為に自動車を何台も用意したのだろう。

 俺は古い自動車の構造にも熟知しているし、マニュアルトランスミッション車の運転経験もある。

 車を一台奪い、何とかして国境まで……




 ホテル前にある会場で捕虜の交換が行われる。

 交換が終わった後に、ホテル内で講和会議と調印式が行われる予定だ。

 魔族側からのドレスガルド帝国兵捕虜235人が引き渡された。

 その中にはアケロン城を占領していたロング少将の姿もあった。

 あの頃とは違って憔悴しょうすいし痩せ細っているが。


 あのバーク国務大臣とかいう男……

 偽物ではないのか……

 首が太く服の上からでも腕の筋肉も鍛えられているように見える。

 政治家というより軍人だな……

 それに、条約調印式だというのに、他国の代表団の姿も見えない。



「それでは、捕虜の交換も滞りなく終了致しましたので、ホテル内にて会議を執り行う……」

「ま、まて! 魔族の捕虜を受け取っておらぬぞ……」


 白々しい笑みを浮かべたバーク国務大臣が喋り出した途中で、明らかに動揺したサタナキアが口を挟んだ。

 人族の捕虜が引き渡されたのみで、魔族側の捕虜を受け取っておらぬのだ。


「これはこれは、そういえば説明しておりませんでしたな。我が国では薄汚い魔族の捕虜はとっておりませんでして……全て処刑するか奴隷として飼っているのみなのですよ」


 にやけ顔のまま当然の様に捕虜は居ないと宣言する。

 バークの後ろから銃を持った兵士がゾロゾロと出て来て周囲を囲まれた。


「な、なんじゃと……」

「ああ、そういえば、残りの内容でしたが……賠償金として魔族側が20兆ゴールドの支払い。そして、魔王領全ての領土の譲渡。地下資源の永久採掘権でしたかな」

「そ、そんな……約束が……違うではないか……」


 サタナキアは茫然と立ち尽くす。

 近衛兵達も銃で包囲され完全に動けない状態だ。


「約束だぁとぉぉぉお! 何故、我々崇高で優秀な人族が、薄汚い魔族などと約束をせねばならんのだ! 魔族とするくらいなら家畜とした方がマシですなあぁ! ふあっはっはっはっ!」


 バークは下劣な高笑いをしながら、魔族を完全に見下した弁舌で悦に入っている。

 まるで魔族を差別する事が最高の娯楽だといわんばかりに。


「ひひひっはっはっはっ! 愚かな小娘よ、騙されているとも知らずにのこのこ出向いて来るとはな! 前魔王の時は狡賢ずるがしこく苦労したが、その娘が大馬鹿者で世間知らずとはな。馬鹿な魔王のせいで、魔族一億は尽く根絶やしよ! まあ、若い女魔族だけは奴隷として飼ってやっても良いがな! ふぁっはっはっはっはっ!」

「そ、そ、そんな……ワシが……ワシのせいで……」


 バークが後ろに下がり兵に命令する。

「魔王以外を撃ち殺せ! 魔王だけは無傷で確保せよ!」


 帝国兵が銃を撃とうとした瞬間、突然目の前に閃光が走り爆発が起きた。

火炎爆裂ベノフレイア!」

 ズバァァァァァァァァァァン!!!!


 その刹那、アベルは動きサタナキアを抱えると後方へ向かって走った。

 爆音と共に巻き上がる土煙により視界が遮られる。

 そのまま止めてある自動車へと飛び乗る!


 そう、バークが悦に入って口角こうかく泡を飛ばしていた時、アベルは魔力を集中させ魔法術式発動の体勢に入っていたのだ。

 魔法の発動には時間が掛かる為に戦場では銃の方が優秀だが、発動準備をしてから行使すれば混乱と目くらましには最適だ。

 そして、アベルは生まれつき魔力の高い上級悪魔であり、士官学校トップの潜在力を持っていた。

 実戦では、あまり使う事の無かった魔法が遂に役立つ時が来た。


 アベルは車に乗り込むと、スロットルレバーとタイミングレバーを動かしチョークを引く、セルフスターターボタンを押すと、水冷四気筒サイドバルブエンジンが火を噴く。

 そのままハンドブレーキを緩めペダルを踏みこむと、車はけたたましい音を鳴らしながら急発進した。

 周囲全てが敵の街で、アベルとサタナキアの逃走劇が始まる。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る