16.不思議の国の住人

 不気味に笑う白い仮面で顔を隠し、黒いシルクハットがトレードマーク。

 服装は貴族のそれを思わせ、右手にはステッキを持っている。

 背丈は先生と同じくらいで見た目は人間、しかし中身は別物。

 私が好きな童話の中で、ウサギさんやネズミさんと一緒にお茶会を楽しむ帽子屋さん。

 彼はゆっくりと私のほうへ振り向く。


「やぁアリス、こんにちは」

「はい。こんにちは帽子屋さん」


 その声は先生にして優しい。

 表情は仮面で見えないけど、たぶん笑っている。

 彼は右へ左へと顔を動かし、周囲を確認して再び私と顔を合わせる。


「ここは初めての場所だね」

「はい。ごめんなさい、急に呼び出してしまって」

「いいさいいさ。私たち空想の住人にとって、現実に呼ばれることは嬉しいことなんだから。さて、今回のお願い事は……」


 そう言いながら、帽子屋さんは彼を見据える。


「彼だね?」

「はい。あの人を無力化して、後ろの球体を壊したいんです」

「なるほど、心得たよ。少しだけ待っていてくれたまえ。すぐに終わらせて、その重たさも解消しよう」

「お願いします」


 高重力の中で、帽子屋さんは華麗にステッキをくるくる回す。

 まるで重さなんて感じないように。

 そんな彼を目の当たりにして、リュートは眉を顰める。


「何だ……そいつは? 君の使い魔か?」

「初めましてお兄さん。アリスに代わって君のお相手を引き継ごう」


 帽子屋さんはステッキを正面で横に持ち、右手側を引き抜く。

 きらっと光ったそれは、鋭い刃だった。


「仕込み剣!?」

「おしゃれだろう?」

「ふっ、何なのか知らないけど、そんなもので僕に勝てると――」

「思っているとも」 


 瞬間、帽子屋さんはリュートの眼前に移動していた。

 彼は咄嗟に倒れるように後退して、帽子屋さんの斬撃を回避する。


「くっ」

「へぇ~ よく躱したね~」

 

 帽子屋さんは続けて剣を振るい、リュートを追い込んでいく。

 リュートは逃げの一手。

 距離を取ろうと足を動かすが、帽子屋さんがそれを許さない。

 

「っ、何なんだお前!」

「私はただの、しがない帽子屋さ」

「ふざけるなよ。どうしてこの重力下で動けるんだ!」

「それはね? アリスがそう思っているからだよ」


 帽子屋さんが不敵に笑う。

 白い仮面についた口が、ニヤリと蠢く。

 眼前でそれを見てしまったリュートは、背筋が凍る寒気を感じただろう。


「なめるな!」


 直後、リュートは帽子屋さんに右手をかざす。

 帽子屋さん周囲の地面がゴリゴリと音をたて窪み、削れていく。

 対照的に私たちにかかる重力が弱まった。

 

「重力を一か所に収束した! これさっきまでの十倍だ! 動けるはずが――」


 動けるはずがない。

 彼はそう確信し、勝ち誇ったような笑みを浮かべ……るつもりだった。

 しかし現実は異なる。

 私たちを襲った高重力のさらに十倍。

 地面すら窪む重さにすら、帽子屋さんは意に返さない。


「ば、馬鹿な……なぜ平気なんだ!」

「質問ばかりだね。まぁいいさ、特別に教えてあげる」


 帽子屋さんが一歩を踏み出す。

 リュートが一歩後ずさる。


「私たちは彼女が読んだ物語の登場人物さ。彼女の想像によって生まれ、魔術の力で命と意志を与えられた存在。人ではなく、生き物でもない。私たちはアリスの思いそのもの」

「く、来るな……」

「私たちの力はアリスの想像力に起因する。私には重力なんて効かないと、彼女が想像すれば現実になる。現実ではありえないことも、想像なら何でも出来る」

「来るなと言っているだろ!」


 もはや戦いは終わっている。

 詰め寄る帽子屋さんと、後ずさるリュート。

 勝者と敗者は決定し、残るは決着のみ。

 

「わかったかな? 君が相手にしているのは、アリスの想像力だ。私を止めたければ、現実で想像を超えるしかないのさ。そうだろう? アリス」


 帽子屋さんの視線の先、リュートの背後に私は移動していた。

 重力を帽子屋さんに集中したことで、私たちを抑えていた重力が弱まった。

 まだ少し重いけど、これくらいなら自由に動ける。


「あとは自分で出来るね?」

「はい!」

「しまっ――」


 ありがとうございます。

 帽子屋さん。


「美味しくいただきます。フォークとナイフで!」


 夢幻創造を発動。

 球体の周囲に、鋼鉄で出来た大きなフォークとナイフを複数生成。

 一斉に放ち、球体に突き刺す。


「あっ……そ、そんな……」

「お見事! でもちょっとお行儀は悪いな~」

「ごめんなさい」


 球体は破壊され、バラバラに砕け散った。

 これでリュートは失格。

 戦いは決着した。

 が、まだ終わっていない。

 さっきまで恐怖で逃げ腰だったリュートは、破壊された球体を見て怒りを露にする。


「き、貴様よくも!」


 リュートが右手を私にかざす。

 帽子屋さんに向けたのと同じ、超高重力を浴びせようとした。

 だけど――


「無粋だよ」

「っ、あ……」


 帽子屋さんが後ろから首元を打撃し、リュートを気絶させてくれた。

 今後こそ本当に決着だ。

 私は小さく安堵のため息をこぼす。


「これでお願いは終わりだね」

「はい。ありがとうございました、帽子屋さん」

「構わないさ。じゃあ私は失礼するよ」


 そう言って、帽子屋さんはくるりと私に背を向ける。


「また呼んでくれたまえ。次はみんなでお茶会を開こう」

「はい!」


 私が返事をしたころには、帽子屋さんの姿は消えていた。

 彼らは私の想像から生まれた存在。

 消えて、私の想像の中へ戻っていった。

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