【小話あり】マスタァピィス

ある夏の終わりのころ、自称文豪こと片桐文吾は死んだ。

服毒自殺であった。


彼の死を見つけたのは、親友である武三たけぞうであった。

武三は、いつも通り玄関先で声をかけたのだが、いつもなら、文吾が微笑みながら迎いに出てくるはずが、いつまでたっても姿を見せない。

不審に思った武三は、ずかずかと部屋の中に入りこむと、文吾が書きもの机に顔を伏せている。


夜更けまで書きものをして、さては、そのまま眠ってしまったのかしらん。


武三は、そう考え、文吾を揺り起こしたが、文吾は起きることはなかった。


文吾は、その手に写真立てを抱き、微笑みながら死んでいたのである。

享年二十八歳。若すぎる死であった。


書きもの机の上には、何やら遺書のようなものが書き記されていた。



・・・・


ついに マスタァピィスを完成す

これで ようやく 我が運命の歯車は動き出す


この世のものでなく あの世の歯車なれど

欠けてしまった歯を 再び 取り戻し


僕らは ふたりで 運命の歯車を回すのだ


・・・・


文吾の葬儀は、ごくごく簡単なものだった。

名もまったく売れていない文学青年にすぎないのだ、当然であろう。


照りつける太陽と白い雲。その下を優雅に二匹のトンボが飛んでいる。

武三は、二匹のトンボを目で追いながら、考え込んでいた。


武三には、解せぬことが一つだけあった。

文吾のいう『マスタァピィス』。

そんなものなど、どこにも見当たらなかったのである。

手あたり次第、探してみたが、どこにも見当たらなかった。

果たして、『マスタァピィス』なるものは、本当に存在したのだろうか?


きっと・・・あったのだろう・・・文吾は、それをこの世に残さずに、あの世に持っ

て行ってしまったのだ。

そうだ・・・文吾のいう『マスタァピィス』とは、夏美さんへの愛の言葉に違いない。この世に残しておくのが、彼には気恥ずかしかったのだろう。

だから、夏美さんの元に持って行ってしまったのだ。


武三は、ひとり満足げにうなずきながら、二匹のトンボを見続けていた。

すると、二匹のトンボが、縦に連なり、こちらに向かって飛んでくる。

トンボたちは、武三の周りを何度も何度もクルクルと飛び回った。

それは、まるで別れを伝えているかのように見えた。

やがて、トンボたちは、縦に連なったまま、いずこかへ飛び去って行く。


武三は思った。

ああ、あのトンボたちは、きっと文吾と夏美さんに違いない。

私に別れを言いに来たのだ。最期の別れを・・・。


武三は、かぶっていた帽子を手に取ると、胸の前に当て、トンボたちの姿が見えなくなるまで、見送り続けた。

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